第9話 試験勉強は図書館で
王立図書館は街の真ん中、城の傍にあった。
高い尖塔が幾つもそびえる宮殿のような城とは逆に、石造りの四角い建物だった。灰色で頑丈そうに思える。
俺とセリカは中へ入った。本棚が所狭しと林立している。
建物の中は古書の香りが充満していた。日光による変色を避けるためか窓は小さい。昼間から魔法の明かりが灯っていた。
入ってすぐの地上一階は閲覧頻度の高い図鑑や実用書が多い。
二階が文学芸術系。
記録などは地下に収蔵されていた。地下何階まであるか分からないが、地下二階以降は身分の高い者しか入れないらしい。
試験に出る魔物オクトパストンについて調べてから地下一階に下りた。
ちなみにオクトパストンは羊の角に蜘蛛の腕、タコの足を持った悪魔だった。
神話関連を探す。
この世界の神話は他の神話とよく似ていた。創世神が世界を作り、子供の神たちに治めさせた。空の神や大地の神、木や水や火の神など。
そのうち新しく生まれたヴァーヌス神という聖なる神が勢力を伸ばして、多くの人に信仰されているらしい。魔王や魔物を倒す力を持つらしい。
この国の僧侶や神官もヴァーヌス教だった。
それはいいとして、ラピシアという神は見当たらなかった。
「やっぱりないな」
セリカが頬に手を当てて溜息を吐く。
「聞いたことないですもの……どちらでその名前を?」
「いやあ、ちょっと酒場で小耳に挟んでね」
「そうでしたか。もっと調べられます?」
「それより神々のための儀式について知りたい」
倒せないなら荒ぶる魂を鎮めるしかない。
俺みたいな世界の部外者が訴えたところで通用するかどうかも怪しいが。
第一、儀式をやってる間に石化されそうだ。
ミチャダメと言っていたから、姿を見なければなんとかなるのかもしれない。ギリシャ神話のゴーゴンのように。
思わず手を止めて呟く。
「鏡か……」
「どうされました?」
「石化する攻撃にどうやって対処しようかと考えているところなんだ」
「そこまで危険なモンスターは出ないはずですが」
「噂に聞いたところによると出るんだ。はぁ」
「そんな恐ろしいことが……」
「まあ、最悪、別の方法もあるけどな」
奥の手を使うしかないか。
クジ引きをいじって3番以外を選択する。
クジじゃなく勝手に決められるなら、警備員の隙を突いて試練の塔に貼られた番号の紙を全部はがして一つずらす。
そうすれば安全に突破できる。
……でも、それだとミチャダメと教えてくれた子供の神を助けられない。
それにガフの企みから逃げたことになる。
神である俺にとって、それは我慢できない。
汚い奴には完璧に勝ってこそ、本当の勝利だ。
「石化を治す地聖水は売ってます。けれども石化を防ぐアイテムとなると、とても高いです。手持ちが……」
セリカがうつむいて言った。端整な顔に悲しげな影が差す。
金がないのはつらいな。
けど石化はもっとつらい。
石になったら動けなくなるし、砕かれたらもう元には戻れない。
「いや、まてよ?」
「ケイカさま?」
「初めから石になってればいいんだよ!!」
「こ、声が大きいです、ケイカさまっ」
和服の裾を掴んで引っ張られた。
すると長いローブを着た司書が、俺たちのいる神話関連の本棚までやってきた。微笑みを浮かべているが、目は怒っている。
「どうされました? 目当ての資料は見つかりましたか?」
「うっ、大声出して悪かった。なかなかラピシアという神を調べていたのだが見つからなくてな」
「ラピシア? ――ああ、でしたらここではないですよ」
「え? 知っているのか!?」
「はい、マイナーな昔話の一つですね。『母の愛』という題名だったかと。正確には神ではなく、神と人との間にできた子供、という設定のお話でした」
「そ、それ、どこで読める!?」
「一階の子供向けの本を集めたところに置いてあったかと」
「ありがとう! 助かった!」
なるほど、半神人だから神話には載ってなかったのか!
司書は微笑みながらこめかみに血管を浮かせた。
「あと図書館では、お静かに、お願いします」
「すんません」
「ごめんなさい」
俺とセリカは謝りつつ、一階へと向かった。
薄暗い地下から出ると、小さな窓から日光が入る一階は、それだけで暖かく感じた。
子供向けの本がある場所へ。
絵本の並んだ本棚から『母の愛』を引き抜いた。
さっそく読む。こんな話だった。
大地の女神は人間の男と恋に落ちた。
幸せに暮らして子供が生まれた。
しかしそれは神として許されないことであった。
事態を知った創世神は女神に子供を殺すよう命じる。
女神は子供を殺そうとした。
けれども子供がいとおしすぎて殺せなかった。
自分が代わりに死んで許しを請おうかとまで考える。
けれどそんな事をすれば大地が死んでしまう。
ところが女神と夫は名案を思いつく。
子供を殺したと嘘をついて、棺に入れて大地に埋めて隠した。
創世神の怒りも解け、女神と夫は末長く暮らした。
子供は今でも母なる大地に抱かれて、すやすやと眠り続けている。
めでたし、めでたし。
……それがラピシアか。
かなり歪曲されているのだろうけど、それでも昔話は真実の一面を伝えていることが多い。
これはつまり、ラピシアそのものに怒りを収めてもらうよりも、母の力を借りた方が良いのだろう。
たぶん埋めるのが一番手っ取り早いんだろうけど。
俺は晴れやかな顔をして、近くにいるはずのセリカに言った。
「よしっ。めども付いた。帰ろう」
「ふぇ、あ、はいっ」
セリカが手に持った本を落としそうになる。別の絵本を読んでいた。
「絵本、好きなのか?」
「これ、お母さまがよく読んでくれた本なんです。一番好きなお話です」
「へえー」
「何の変化もない暇な暮らしに飽きた少女が、冒険の果てに自分の王子様を見つける話なんです」
「へえー」
「とっても素晴らしいんですよっ!」
青い瞳をキラキラさせて、夢見る乙女のように力強く言い切った。
「ふぅん。それはよかったな。さ、帰ろう」
「あ、この話の素晴らしさがわかってませんね! これは~」
宿屋へ帰る道すがら、えんえん力説された。
思い出補正があるから素晴らしく思えるんだ、と言い切ることもできたが、セリカが楽しそうなので、うんうん頷いて聞いてやった。
彼女の鈴の音のような澄んだ声は聞いてるだけで楽しかった。
次の日。試験当日。
とてもよく晴れた朝だった。
俺は軽い朝食を食べると、すぐに勇者登録所へ行った。
二階の広間に通される。
一人用の机がずらっと並んだ室内。ざっと数えて百席はあった。
半分ほど勇者候補たちですでに埋まっていた。なかなか癖のありそうな奴ばかり。
俺は後ろの方に着席する。最終的には80名ほどになった。
ガフは開始ギリギリにやってきた。
今から試験を受けるとは思えないほど、怠惰な服装と態度をしていた。息が酒臭い。
きっと適当に書いても通るのだろうな。
軽蔑しつつ、開始を待った。
しばらくして僧侶のようなローブを着た老人が部屋の前に立った。
試験監督官らしい。
しわがれた声で話し出す。
「えー、勇者を目指される皆さん、おはようございます。これから勇者に必須な『賢さ』を試させてもらいます。地理、歴史、武器道具魔法。魔物の弱点。すべて勇者というリーダーとして、パーティーに指示を与えるために必須な知識です。この試験では点数の良いものから上位32名が選ばれます。終了時間は太陽が西の空に傾くまで」
「「「ええ?」」」
ざわざわと声が響いた。
「日没までじゃないのか!?」
「時間が短すぎるぞ」
例年より試験時間が短いらしい。
ガフが大金を払って勇者になることが決まっているのだから、長く開催しても余計なお金がかかるだけだと考えたに違いない。
試験官は動揺などまったく見せずに言った。
「勇者たるもの、いかなる事態にも対処しなくてはなりません。そして、試験結果は今日、日没に発表します」
「なんだそれ!」
「早すぎるぞ!」
その時、一人の男が手を挙げた。
「去年までは別の日に、試験合格者がクジ引きをして試練の塔の扉を選べる順番を決めていたが、今年はどうなるのだ?」
試験官は当たり前のように答える。
「今回は点数の高いものから順に、1から32の番号が割り振られます」
またざわめく室内。
勝手に決められるのか。俺が3番になるのは確定だな、こりゃ。
しかし決められたものは仕方なかった。
全員同じ条件だからと、皆はしぶしぶ納得していた。
用紙が配られて試験開始。
さらさらと紙に回答を書く音だけが広い室内に響く。
途中トイレに立つ時は目隠しをされて連れて行かれた。
夕方になって試験が終わる。
俺は一応全部解答した。間違いはないはず。
無駄な努力かもしれないと思ったが、勇者の知識の復習だと思ってこなした。
得点は発表されず、順位だけが知らされた。
そりゃあガフの得点なんて公表できるわけないしな。
試験官が手に持った用紙を見ながら言う。
「筆記試験通過1番、ガフ」
「嘘だろ……」「なんであいつが……」
室内が驚きと怨嗟の呟きで埋まる。
ガフが立ち上がって、がははと笑った。
「この程度の問題が解けないのかよ。お前ら勇者になる資格なさすぎだ」
「く……っ!」「ふざけやがって……!」
室内の空気が濁ったように悪くなる。
2番は別の奴が呼ばれ。
その次が俺だった。
「3番、ケイカ」
まあ、予想通り。
すると室内の空気が微妙に変わった。
「おい、あいつって……」
「ケイカって、ガフを追い払った奴じゃないか?」
「そんなに強いのか」
「マジかよ。それ見たかったぜ」
もう街の噂になってるのか。
ガフの奴、よほど嫌われていたらしいな。親父の店以外でも横暴に振舞ってきたんだろう。
みんなは俺へ賞賛の視線を向けるとともに、ガフをニヤニヤした目で見た。
「ちっ!」
ガフは盛大な舌打ちをすると、俺を恨みのこもった目で睨んでから部屋を出て行った。
悪いのはお前だろうが。本当にあいつにはイライラさせられる。
まあいい、とりあえず予定通りに終わった――。
そう思っていたときだった。
前に立つ試験官がしわがれた声で言った。
「以上で発表終わりです。合格したみなさん、おめでとうございます。落選されたみなさん、切磋琢磨してまた来年、魔王を倒すために頑張ってください。――それでは、お疲れ様でした」
何人かが立ち上がる。「やれやれ」と微笑みながら安堵する男や、悔しげに唇を噛み締めている男。
ところが最後に予想もしないことを試験官が言った。
「あと『勇気』の試験は今日から三日後の開催になります。今回、試験に落ちた人はパーティーメンバーにはなれません。また来年勇者として参加していただきますように」
「「「えええ!」」」
俺も思わず一緒に叫んでしまった。
男たちが詰め寄る。
「落ちたこいつらを雇うつもりだったんだ!」
「今からじゃパーティーが間に合わない!」
などなど。
しかし、また条件は同じだからとねじ伏せられていた。
俺は思った。
すでに手下とパーティーを組んでいるガフが圧倒的に有利じゃないか。
本当に今回の試験はガフが得をするよう仕掛けられている。
いったい幾らの金を出したんだか。
ていうか、あいつはこの話を聞かずに出て行った。
もう知っていたんだろう。当初の打ち合わせ通りってわけか。
俺は腕組みをして考えた。眉間にしわが寄る。
酒場の親父にパーティーメンバーの手配を頼んでいたが、一週間かかるといっていた。
しかも、勇者試験に落ちた奴は雇えない、だと。
ということは、今王都にいる優秀な者は、引く手あまた。
きっと雇うのに高額を出さなくてはいけないだろう。
盗賊や僧侶を雇いたかったのだが、無理かもしれない。
――さて、どうするか。
騒がしさのやまない広間をあとにして、考えながら宿屋へ帰った。