第98話 この世の地獄!
真祖ヴァンパイアである地獄侯爵に案内されて城の中を歩いていた。
彼が作り上げた地獄を見て回るため。
その間に千里眼でたまごを見つけようと考えていた。
地獄侯爵はマントを揺らして先頭を歩く。
俺たち4人はそのあとをぞろぞろとついて行った。
セリカが心配そうに言う。
「いったいどこに連れて行かれるのでしょう?」
「よほどひどい光景を見せて震え上がらせるつもりなんだろうな」
拷問や強制労働か。
地獄侯爵が振り返る。
「そうだとも! おそろしさに震えるがいい! くぁはははは!」
マントを翻しつつ、高笑いをした。
とりあえず、廊下を歩く間に、地獄侯爵に気づかれないように魔法を唱えた。
即死無効の魔法。
地獄侯爵は即死攻撃を2つ持つので、セリカ、ミーニャ、ラピシアにかけておいた。
俺は【妖精の加護】に即死無効があるので大丈夫だった。
あとで暇なときがあれば、彼女たちの装飾品に即死無効の効果を付与しておこう。
長い通路を抜けると、そこは暖かい日の降る外だった。
城は丘の崖に張り付くようにして立っていたが、ここは丘の内側を削った場所だった。
カルデラ火山のような感じ。丘の周囲が天然の防壁となっていた。
とても広かった。半径1キロはあるだろうと思った。
畑で人々が刈り入れをし、別のところでは家畜が飼われていた。大きな建物がいくつか立っている。
地獄侯爵が悪そうな笑みを浮かべて振り返った。
「どうだ、恐ろしいだろう!」
「……隠れ里ではあるな。というかヴァンパイアなのに日光を浴びても大丈夫なのか」
「我輩は真祖だからな、弱点などないのだ、どうだおそろしいだろう? 用意してきた道具や作戦が無駄と知り、絶望するがよい。ふははっ」
高笑いする地獄侯爵は隙だらけだった。傲慢な態度が一番の弱点じゃないだろうかと、少し思った。
その後、畑で働く人や、牛の乳絞りする人、羊の毛を刈る人、チーズを作る人などを見た。人間や獣人、魔族が働いていた。
さほど過酷な労働をさせられているようには見えない。
感想を聞きたそうな地獄侯爵に、俺は言った。
「普通だな。苛酷な環境には見えないが」
「くくくっ。我輩の恐ろしさは目で見えるものではない。これこそ真の地獄なのだ!」
マントをバサァと鳴らして両手を広げた。
俺は首を傾げる。
「もっと鞭を打ったり、拷問などをしないのか?」
「ふん。そんなことをしてなんになる。我輩は思ったのだ。はたしてすぐに殺していいのかと」
「ん?」
「我輩は人をたやすく殺せる。果実をもぐように即死させられる。しかしだ、それで本当に恐怖を与えたことになるのかと。むしろこの辛い世界から安らぎの死後の世界へ導いているだけではないかと」
地獄侯爵は自分の手を見ながら言った。
「なるほど。死はある意味救済かもしれないからな」
「そう! そのとおりだ勇者! そこで我輩は、この世界に縛り付けて真綿で首を絞めるように、じわじわとなぶるのが一番恐ろしいのではないかと考えたのだ」
「まあ、わからなくもない。それにしてはえらく牧歌的だが」
「甘いぞ、勇者! 見た目ではわからんのだよ、ここの恐ろしさが! まずはこの畑、一日14時間労働だが、働くのは8時間なのだ! ――つまり、2交代制だ!」
「ほう」
「さらには週に2日休みを入れる。これにより肉体の疲労が取れてしまい、この生き地獄から抜け出せなくなるのだ!」
「シフト組んでるのか」
「それだけではないぞ。毎月、希望から絶望の奈落へ落とすよう仕組んである」
「というと?」
「給金を支払っておるのだ! しかーし、一見多額に見える給金から次々と金を差っ引く。手元に入るころには小額になり愕然とするだろう!」
「差っ引くのは家賃や食費か?」
「甘い! もっとだ! ――あれを見ろ!」
地獄侯爵が指差す先には、担架に乗せられて運ばれる獣人の姿があった。
俺たちの倒した鹿と象の門番だった。
建物の中に運ばれていく。
「あそこは?」
「病院だ! 怪我や病気などという甘い死でこの地獄から抜け出すことはできんのだ! しかも、仕事中の怪我は積み立てた金から支払われる。仲間たちの金を使ってしまい、恨みを買うがいい。ふはは、どうだ! 恐ろしいか!」
「労災保険組んでるのかよ! お、おそろしい」
「ふふん、どうやら我輩のおそろしさが少し分かってきたようだな」
くくくっと犬歯を光らせながら笑った。
木材加工所を通り過ぎようとしたとき、一人のゴブリンがやってきて土下座した。
「侯爵さま! 申し訳ございません!」
「どうした?」
「妻が妊娠してしまいました! 予定日は3ヵ月後です!」
「なにぃ! 貴様たちは出産日前後2ヶ月、働くことを禁ずる。一番ものいりな時期に夫婦揃って給料半額になって苦しむがいい! ふはははは」
「はい、とっても恐ろしいです、侯爵さま!」
ゴブリンは涙を流して笑顔になった。
俺は恐れおののいた。
「それただの産休じゃねーか! しかも半額支給……ッ! おそろしい」
「そうだろう、そうだろう! ここにいるものは皆、恐怖に打ちひしがれながら生かされておるのだ!」
先ほど獣人が運び込まれた病院の建物まで来た。
2階建ての大きな建物。
すると、人や獣人が入口のところから行列を作っていた。
セリカが首を傾げる。
「あの、侯爵さま。あの行列はなんでしょう? 全員怪我も病気もしていないようですが」
「くっくっくっ、血を奪っておるのだ! 我輩や魔物たちの糧となる!」
俺は腕組みして頷いた。
「つまり働く奴らも実は家畜として飼っていた訳だ。ようやく地獄らしくなって来たな」
ふんっ、と地獄侯爵は鼻で笑う。
「それだけだと思っているのか? ローテーションを組んで年に一度血を抜くだけではないぞ? 取った血を分析して、体の異常や病気を調べる! 見つかったものは即入院させ、絶対に死の安楽を与えてはやらない! どうだ、参ったか!」
「それただの、年に一度の健康診断じゃねーか! そこまでやってるのかよ!」
「ふふ、怖いか?」
「これは……おそろしいぞ」
長生きさせてこの世の苦痛を最大限に与えるという目的の結果、ホワイト企業ばりの優良待遇を作り上げていた。
ケイカ村よりうまく運営されている。ちょっと悔しい。
その後は鍛冶工房やガラス工房。絵師に陶芸師の仕事ぶり。
また楽器を弾く楽団の練習を見た。
セリカが言う。
「それにしてもいろいろな仕事があるのですね。ガラス細工師や楽士団までいるなんて」
「くくく。それも考えたのだ。何をしたら一番、その人間のすべてを奪えるかと!」
「ほう」
「奴隷として全員畑仕事させても意味がない。慣れれば誰にでもできるからな。持って生まれた才能を生かした仕事をさせることこそ、その人間に一番の絶望を与えられると気付いたのだ! 人間は衰える。歳を取って才能が枯渇したときに、味わう絶望はどれほどのものか! おそろしいだろう!」
「お、おそろしい……職業選択の自由まであるのかよ。しかも当然、才能を調べているんだな?」
「当然だ! 職業訓練所も作ってある」
「なん……だと」
確かに才能を生かした仕事をすれば喜びは倍だが、できなくなったときの絶望もまた深いだろう。
でも働く人たちは皆、目を輝かせている。自分のやりたい仕事ができて喜びながら働いている。
それからさらに地獄を見て回る。
住民達が住むアパートのような建物の前で、人々が集まっていた。中心には老人がいる。
「お疲れさま」「今までご苦労だったね」「故郷に帰ってゆっくり休んでね」
俺は言った。
「あれは送別会のようだな。歳を取ったら退職させるのか」
地獄侯爵が胸を張って笑う。
「ふははっ、長年奴隷のように働かせた上に雀の涙の金を渡して放り出し、路頭に迷わせておるのだ! 残りかすの人生をぼろきれになりながら生きるがいい!」
「退職金まで出すのか! どこまでおそろしいやつなんだ……!」
すると、住民たちが、地獄侯爵の前まで来て、ひざまづいた。
退職する老人が言う。
「侯爵さま!」
「うん? なんだ?」
「恐ろしい日々を送らせていただき、地獄の日々でした!」
「ふはは! ここはこの世の地獄だろう? おそろしいだろう?」
「「「はい! とってもおそろしいです!!」」」
住民は声を揃えて言った。みんな生き生きとした笑顔をしていた。
俺は愕然としながらその光景を見ていた。
――やばい。
こいつ、めっちゃ慕われてる。
というか、日本でもまず見ないぐらいの高待遇なんだから当然か。
もし地獄侯爵を殺したら、俺、絶対恨まれる。
しかもさっき聞いたところによると4000人ぐらいいるらしい。
4000人の不興を買って、あることないこと言いふらされたらおしまいだ。
へたしたら、無抵抗の侯爵を殺した悪人として悪評をばら撒かれるかもしれない。
住人1人につき他の村5人に伝えたとしても、それだけで2万人。
噂には尾ひれが付いていくものだし、国全体に広がる頃にはいったいどうなってしまうか。
結論、こいつ殺せない。
魔王ヴァーヌスも、同じ考えに至ったに違いない。
ヴァーヌスも信者が必要だから。
強いから一目置いてるんじゃなく、信者を大幅に減らす可能性があったから手を出せなかったんだ!
住人の1人が俺たちを見た。
「侯爵さま、あちらの方は?」
「勇者だそうだ」
「「「えええ!」」」
住人達は立ち上がると、俺の回りに押しかけてきた。
「勇者さま、お願いです! ここは恐ろしい場所なのです!」
「私たちのことはいいですから、どうかお逃げください、勇者さま!」
「侯爵さまは恐ろしい方です! 今すぐお逃げください!」
みんな必死で頼んでくる。
この環境を失いたくないらしい。
それもそうか。シフト制に労災保険、産児休暇、健康診断、退職金。しかも自分の能力にあった仕事。
ボーナスはさすがにないが、作った野菜や作品が高く売れたときは報奨金が出るらしい。
ここまで完備されてる働き口はこの世界では他に知らない。
その様子を見ていた地獄侯爵だけが高らかに笑う。
「くははっ! いいぞ、泣き叫べ! 儚い希望にすがりつくが良い!」
――こいつ、心の底からこの世の地獄を作り上げたと思ってるんだろうな。
どう見ても楽園です。本当にありがとうございました。
俺は住民達を押し留める。
「わかった、わかった。逃げる方向で考慮する」
「「「ありがとうございます、勇者さま!」」」
涙を流して喜ぶ人々。
とはいえ、たまごは回収しなくてはいけない。
倒せないのなら、交渉するしかない。
しかし魔王軍に頼まれたたまごを渡すと、侯爵やこの隠れ里が襲われるかもしれない。
考えていると侯爵が言った。
「どうだ? あまりの恐ろしさに心が折れただろう? さあ、打ちひしがれたままこの世を去るがいい。――ついてこい!」
バサァッとマントを広げつつ歩き出す侯爵。
戦うらしい。
怪我をしたら吸血で即死だ。俺はいいが、セリカとミーニャが危なくなる。
かといって倒したらまずい。悪評をばら撒かれる。
防ぐには住人全員を口封じか。
でもそんな人道にもとる行為をしたら邪神や禍津神になってしまう。
侯爵に続きながらその背に言った。
「侯爵。喉が渇いたな。飲みながら話さないか?」
「む。戦いの前に飲むだと? ――いや、最後の晩餐か。よかろう、我輩の慈悲深さに感謝するが良い。応接間に来たまえ」
俺はどうやってたまごをもらうか考え続ける。
横を歩くセリカが心配そうに俺の腕に手を添えていた。考えることは同じらしい。倒したらまずいのではないか、と。
彼女の青い瞳を見つめながら、黙って頷き返す。
しなやかな指先だけが優しく温かかった。
明日は夜の更新になります。




