第8話 夜の散歩は試験対策
深夜。
宿屋の寝室。
教え疲れたセリカが大きなベッドに眠っている。
嫌な夢でも見ているのか端正な顔をゆがめて、ときどき「ううん」と苦しげに寝返りを打つ。
服が乱れて白い肌と鎖骨がのぞく。金髪がさらっと流れる。
俺は手のひらを優しく光らせて頭を撫でてやった。
すると、セリカが切なそうにつぶやく。
「お母……さま……」
「……エーデルシュタインか」
セリカが国々の歴史を語るとき、魔王の所行を語るとき、眉間につらそうなしわを寄せることがあった。
それがエーデルシュタイン王国。
北西の山間にある小さな国で、緑に囲まれた美しい国だったそうだ。
攻めづらい場所にあるため、小さくても独立を保っていた。というか占領する価値もないと見なされていたらしい。
ところが宝石の鉱山が見つかったとたん、あっというまに魔王の手が伸びて滅ぼされた。
――いつか、帰れるといいな。
そう心の中でつぶやくと、またセリカが「うぅ……ん」と身をよじった。
先ほどまでと違い、その顔が美しく微笑んでいる。
「ケイカ、さまぁ……」
赤い唇から甘えるような声を漏らす。
もう大丈夫そうなので、手を離した。
そして立ち上がる。
「さて、と」
俺は下駄を持つと、そっと部屋を出た。
ガフが余裕な理由を探りにいくつもりだった。
深夜の街角。
魔法の明かりが等間隔に石畳の道を照らしている。
下駄のからころという音だけがよく響いた。
まだ営業している酒場や食堂を何軒かのぞいたが、手下の姿だけでガフの姿は見えなかった。
――なにか、たくらんでるな。
俺は汚らしいガフの気配をたどりつつ、街をぶらぶらと歩いた。
そして勇者登録所へやってきた。神殿のようなどっしりとした建物。
当然、両開きの大きな門は閉まっている。
俺は辺りを見て人の姿がないことを確認した。気配もない。
「風よ、運べ」
足に力を入れて飛び上がった。
三階立ての石造りの屋根に飛び乗った。
高い外壁に囲まれた、暗闇の底に並ぶ街並みが眼下に広がる。
――《千里眼》
俺は目を光らせると登録所の部屋を一つ一つ見ていった。
二階の大広間には多数の机が並べられている。
ここが試験会場らしい。
ほかの部屋を見ていく。
絨毯の敷かれた応接間。
所員たちの仕事部屋。
「お?」
三階の奥にある、机が一つだけある大きな部屋に、男が二人いた。
恰幅の良さそうなハゲ親父と、もう一人は髭面のむさい男――ガフだった。
何かを話し合っている。
――《多聞耳》
すぐに二人の会話が聞こえてきた。
「なあ、金は払っただろ。それぐらいの都合は聞いてくれよ」
「そうは言ってもだな。無理なものは無理だ」
「一日も早く、あいつをぶち殺したいんだよ! ぜってぇ許さねぇ」
俺も同意見だ。
ていうか、金で勇者の資格を買ったのか。
勇者になればやりたい放題だものな。
ハゲ親父が頭を撫でる。
「ならトーナメント一回戦で当たるように組み替えようじゃないか」
「いいや。あいつは底が知れねぇ。確実に殺しておきてぇんだ」
ほう。腐った目にしてはよく見ている。
ハゲ親父が首を振る。
「塔の罠を即死トラップにするには、とてもじゃないが足りないな」
「これでいいんだろ!」
ガフは懐から大金貨を数枚取り出す。
ハゲ親父は金貨を手に取りながら目を細める。
「これだけかね?」
「くそっ! 足元見やがって!」
ガフはありったけの金を懐から出した。ジャラッと机に小山を作る。
それを引き寄せながらハゲ親父が言う。
「いいだろう。工事しておこう」
「おう。大金払ったんだからな! ちゃんとやれよ!」
どうせ盗んだ金だろうに。
ガフは部屋から退出した。そのまま登録所の裏口から出て行った。
無防備な背中を見ていると一瞬、侮辱された記憶が蘇ったが、今はその時じゃないと自分に言い聞かせた。
ほんと、日本ではどれだけ短気な荒ぶる神だったか思い知った。
その代わり俺は恰幅のいいハゲ親父の観察を続けた。
ハゲ親父は金貨を集めて部屋の隅に行った。
人の背丈ぐらいの大きな鉄の箱がある。金庫だろう。
金をしまいながらつぶやく。
「工事は一カ所だけでいいだろうな。その方が安くつく」
くくくっと含み笑いをするハゲ親父。
この狸の方が一枚上手だったようだ。
ざまあみろと言いたい。
それにしても即死トラップは一カ所か。
密室で壁が押しつぶしてきたり、毒ガス、それとも水攻めにされるのか。
いや、できるだけ工事費を安く仕上げたいそうだから、矢か槍が飛び出す仕掛けに毒を塗る程度かもしれないな。
試練の塔はどこにあるんだろうか。この街に城以外の高い塔は見えないが。
日取り的には明日から工事を始めないといけないはずだ。
まあ俺は大丈夫だとは思うが、一緒に行くセリカが危険になるかもしれない。
一度見ておこう。
というか、金庫の中に用紙の束があることに気がついた。
試験用紙だ。
俺はじっくりと眺めて、問題を覚えた。
それから帰った。
次の日。
さっそく試練の塔を見に行った。賑やかな大通りを歩いていく。
俺の横にはセリカが並んでいた。朝日を浴びて金髪が流れるように光っている。
前には案内してくれるミーニャが怯えたようすで辺りを見ながら、尻尾を細い脚へ巻きつけるようにして歩いていた。
その小さな背中に声を掛ける。
「どうした? 怖がるようなことでもあるのか?」
「い、いえ……大丈夫」
そう言いながらも、三角の耳をしゅんと伏せて体を縮こまらせて歩く。
セリカが俺に顔を寄せて小声でささやいた。耳に吐息がかかってくすぐったい。
「猫人族のような獣人は、北の生まれなのです」
昨日いろいろ教えてもらっていたので、ピンときた。
「なるほど。魔王の手先と思われて迫害でもされているのか」
「そのとおりです、ケイカさま」
「……」
俺はセリカの青い瞳をじっと見た。俺に見つめられて大きな目の瞬きが多くなった。
「な、なんでしょうか、ケイカさま?」
「お前も獣人が嫌いなのか?」
「そんな! わたくしの国は獣人の住みかとも近いので、とても仲良く暮らしておりました。お付合いしてみればとても良い人たちばかりだとわかります」
「そうか。疑ってすまなかった」
「いえ、分かっていただけただけで嬉しいです」
彼女の言葉に嘘はなかった。
本当に優しくて素直な性格で、そこが可愛いと思う。
しばらくしてミーニャが公園のような広場の前で立ち止まった。フィード焼きの屋台があった場所。
その広場の奥を指さした。
「ケイカお兄ちゃん……ここ」
「ここが?」
噴水のさらに奥に、見た目的には二階建てほどの高さしかない円筒型の建物があった。平べったい屋上には旗が一本ひるがえっている。二階から上れるようになっていた。
昨日見たときはてっきりトイレか給水塔かと思っていた。
ミーニャがボソと呟く。
「中には魔法がかかってるから……広い」
「そうなのか。――案内ありがとう」
お礼を言いながら、まっすぐな黒髪を撫でた。緊張していた彼女は気持ち良さそうに目を細めて、ふにゃ~と鳴いた。
セリカが言った。
「しかし急に来られてどうされたのですか?」
「試験で来るから確認しておきたくてね。それに筆記試験にも出るかも知れないだろ?」
かも、じゃなくて、実際に出るんだが。
セリカは、ほほぉ~と感心して頷いた。
「さすがはケイカさまです。試験対策を怠りませんね」
「もう少し近寄って見て来てもいいか?」
「はい、どうぞ。お供いたします」
俺たちは塔に近寄った。
塔の周りは警備兵が立っていた。立ち入り禁止らしい。当たり前か。
塔の回りをぐるっと回ると、一階は外壁に沿って扉が幾つも並んでいるのがわかった。扉には数字を書いた紙が貼り付けてある。32番まであった。
「あの数字はなんだ?」
「なんでしょう? こんなの初めて知りました」
「ミーニャは知ってるか?」
ミーニャは小さく頭を振った。背中まである黒髪が揺れ動く。
「去年と、違う」
「そうか……いや、そうか」
おそらく俺を確実に即死罠にはめるために、今年はくじ引きでもして偶然を装って入口を決めさせるのだろう。
――と。
ガタガタと車輪の音を響かせて荷台を引いた豚馬――ブーホースが広場に入ってきた。
塔の傍まで来て止まると職人風の男たちが作業を開始した。
荷台にはハンマーやつるはしなどの工事道具とともに、長さ1メートル半ほどの大きな灰色の石の箱が乗っていた。
目を細めただけで、その石の箱から怨念のような負のオーラが立ち昇っているのが見える。
――なんだこれ。いや、これが即死トラップなんだろうけど、予想と全然違うぞ?
とりあえず中に何が入っているのか確かめようと思った。
《千里――》
『!!! ミチャダメ!!』
突然、ガツンッと頭に殴られたような衝撃が走る!
脳に直接、声が響いた。かん高い子供のような声。
聞いたとたんに、背筋にブワッと鳥肌が立った。
思わず眉間を摘むようにして頭痛に耐えた。
――神の俺にここまでの精神的ダメージを与えるなんて。
どう考えても俺と同格の存在。
つまり声の主は『神』だと思われた。
声はまだ響き続ける。
『ミチャダメ! サワッチャダメ! オネガイ、ニゲテ!』
俺は声の主を探した。
噴水のある広場を見渡し、その向こうの石畳の大通りを行き交う人々を見て、それから辺りの家々を見ていき、給水塔のような円柱の塔を見て――そしてようやく発見した。
石の箱の中、噴出する怨念に混じって声が聞こえてきていた。
……一緒に閉じ込められているのか?
『ミチャダメ!! ……コエガ キコエルノ?』
――ああ。お前は誰だ?
『トニカク、ミチャダメナノ! らぴしあヲ ミナイデ、ミナイデ!!』
他にいろいろ質問してみたが「ミチャダメ!」の一点張りで話にならない。
――わかった。
とにかく見てはダメらしい。これだけ必死な神の忠告には従うべきだった。
でも、それだけでは事態の解決にはならない。
俺は千里眼ではなく《真理眼》を使った。
【ラピシアの棺】
・怒りと憎しみに取りつかれた神が収められた棺。その姿を見たものを石に変えるという。
うわー。神が怨霊化したものか。しかも石化か。
めちゃくちゃ厄介な存在だ。
ただでさえ同格なのにパワーアップされてるのだから、俺でも間違いなく石化する。
というか信者が一人しかいない俺が弱すぎるだけだが。
どうしたものか。というかなぜ子供の神が一緒に入っているのか。そして無事なのか。
う~んと唸っていると、セリカが形の良い眉を寄せて手を触れてきた。柔らかく優しい体温に癒される。
「どうかされましたか、ケイカさま?」
「ああ、そうだな。一人で悩んでも仕方ない。セリカはラピシアという神を知っているか?」
「ラピシア……? ごめんなさい、聞いたことがないです」
聞いたことがない? そんなばかな。忘れ去られた神なのか?
「だったら神話を調べられる場所はないか?」
「王立図書館へ行けば、古い記録があるかもしれません」
セリカは青い瞳でまっすぐに俺を見て言った。
その時、作業員が石の棺を数人で抱え上げて、3番の扉に入っていった。
それを目で追いつつ俺は尋ねた。
「あとオクトパストンとかいう魔物の姿を見ておきたい」
筆記試験に出るから。
「それも王立図書館で図鑑が閲覧できると思います。案内しますね」
「わかった。そこへ行こう」
ミーニャがすまなそうに怯えて言う。
「わたし、仕事、あるから……」
「送っていこうか?」
「大丈夫……」
ミーニャは辺りを警戒しながら、尻尾を立てて足早に立ち去った。
朝の清々しい空気の中、俺とセリカは石畳の大通りを並んで歩いた。
会話は少なく。
俺は考え続けていた。
とにかくこのラピシアという神について調べなければ、おそらく俺は勇者になれない。セリカを守れない。神にもなれない。
一つ方法はあるけれど、できればその手は使いたくない。
はたして試験までに対処法を見つけられるだろうか?
いや、違うっ。絶対、見つけなければ!
俺は奥歯を噛み締めて歩いていった。
誤字修正。特に最後の「明日までに」を「試験までに」に変更です。