戦場
9話目です。
よろしくお願いします。
突然現れた巨大な蛇に対して、城の騎士や兵士たちの行動は早かった。
騎士は皇帝とその家族やメイド達、文官たちを素早く城外へと誘導し、兵士たちは隊列を組んで矢を射掛けた。
首を振り、もがくように暴れている蛇となったディナイラーは、何かを探しているようだ。そこへ、雨のように矢が降り注ぐ。巨体に産毛のように矢が突き刺さり、小さな傷をつけて行く。
「なんだ、何が起きてる?!」
弓兵を指揮していた騎士が目にしたのは、傷口からあふれるように湧いて出てくる蜘蛛や毛虫などの毒虫の群れだった。
「傷口から何か出てくる!」
「もっと打て! こっちに近寄らせるな!」
弓兵たちを護衛するために壁になっていた歩兵たちに、絨毯のように広がる虫が到達する。
彼らは必死に剣を振り下ろすが、それで殺せるのはせいぜい2匹程度で、振り下ろされた剣に這い上がってくる虫を見て、慌てて剣を捨てる者もいる。
「剣じゃ埒があかない、踏みつけろ!」
靴の下でブチャ、と音を立てて潰れる感触に顔をしかめながら、必死で地団駄を踏むが、とても追いつかない。
「いてぇ! 誰か助けてくれ!」
「服の中に……うわぁっ! さ、刺された!」
一度体制が崩れると、虫たちにまとわりつかれて体中を這い回る虫に噛まれ、刺され、あちこちを無残に腫らして転げまわる。
「ゲラーテル、矢を止めろ! 傷を増やしたら虫が増える!」
歩兵を支持している騎士が弓兵のところにいる騎士へ叫ぶが、ゲラーテルと呼ばれた騎士からは反論が上がる。
「駄目だ! ここに惹きつけねば化物が街へ向かう!」
「ならせめて直接当てないようにするか矢の数を減らせ! このままだと虫が城内に溢れかえるぞ!」
「……ちっ! 弓兵、半数ごとの射撃に切り替えろ! 矢が化物の目の前に落ちるようにするんだ! マイガン、魔導兵が来るまで持ちこたえろ!」
ゲラーテルが寄越した言葉に、歩兵を率いる騎士マイガンは歯噛みした。
「簡単に言ってくれるな……」
慌てて編成した歩兵隊は今ひとつ息が揃わないが、何とか壁となって虫の侵入を最小限に食い止めていた。
兵たちは大蛇が崩した城の一部から外に出て、城の裏庭で鎌首をもたげている大蛇に向かって隊列を組んでいる状態だったが、兵たちが5列に並んで充分ふさげる程度の破壊に留まっているのが幸運だった。もう少し開口部が広くなっていれば、虫の侵入は今よりも遥かにに多くなっていただろう。
だが、それにしても余り長くは戦線を維持できそうにない。
人間相手に食い止めるならお手の物だが、体調が2~5センチ程度の虫の大群を相手するのは誰にとっても初めてだ。
今も、また一人の兵士が虫に絡みつかれて倒れ、動かなくなった。
刺されて後送される兵を見ると、腕や足、顔が紫色に変色して酷く腫れている。何か強力な毒を持っているのだろう。
「全員冷静に対処しろ! お互いの身体を確認して、仲間の背中を這い回っている奴を見たらぶっ叩いて潰せ!」
叫びながら、マイガンも鞘を付けたままの剣を持って前線へ進む。
「マイガン様、危険です!」
従者が引き止めようと叫ぶが、マイガンはひと睨みして歩き続ける。
「お前は下がっていろ。危険なところで部下が戦っているのを、後ろから怒鳴り付けるだけの騎士に何の価値がある」
魔導士というにはおこがましい程度だが、マイガンには風の魔導に適性がある。単純な詠唱を終わらせ、虫の絨毯に剣を向ける。
「風よ、虫どもを散らせ!」
兵のそばまで来ていた虫は、軽いものは飛ばされ、他の虫も動きを止めた。
「今だ、さっさと踏み潰すぞ!」
「応っ!」
何百匹を潰したか、感覚も鈍くなる頃に、ようやく革鎧にマント姿をした魔導士の部隊が駆けつけた。
魔道士を率いていたのは痩せた金髪の騎士だった。急いでいたようで、白い鎧から金属音を鳴らしながら肩で息をしている。
「遅くなったようだね、すまない!」
「スヴァンか。とりあえず俺たちに水をかけて虫を落としてくれ!」
数箇所を刺され、痛いというより熱く感じる部分をかきむしりながら、マイガンはどんぐり眼をスヴァンに向けた。
「了解したよ! 聞こえたな諸君、水が使える者は虫を押し流せ! 兵が流されないように、水量を調整しするんだ! それが終わったら、炎の魔導で虫を焼き殺せ!」
この指示を勘違いした者がいたようで、いくつかの火球が大蛇にぶち当たり、蛇は痛みに叫び声を上げながら、また多くの毒虫を撒き散らした。
「馬鹿野郎! あの蛇は傷から虫が湧いてるんだよ!」
再び迫りくる虫の大群に、マイガンが怒声を上げた。
「なんだって!? と、とにかく虫を止める! 今度は蛇に当てないように焼き殺せ!」
「歩兵は一旦下がるぞ! 無傷の者は近づいた虫から魔導兵を守れ!」
虫の毒が周り、歩くこともままならなくなってきたマイガンは、膝を付きながら指示を叫んだ。
よく訓練された兵たちは、素早く動き始めた。
それを確認したマイガンは、侍従に支えられて治療のために前線を離脱した。
虫たちへの対応に、弓兵たちも取りこぼしを踏み潰す形で参加し、城内の兵の大半が虫退治にかかりきりになった。
「ゲラーテル、あの蛇は一体何なんだい?」
数人係で火の壁を作り出し、少しだけ余裕が出来たスヴァンは、後方にいたゲラーテルに近づいた。
「知るかよ。突然出てきて城を壊しやがった。あとは、矢傷から虫が溢れてきたってだけだ」
「それにしても、攻撃している私たちには特に興味が無いようだけど?」
見上げると、大蛇は自分の瓦礫が散らばるあたりをしきりに見回しており、矢や魔導での攻撃よりも気になる物があるようだ。
「さぁな。化け物の考える事はわからん……が、おかげで虫退治に集中できる。蛇の動きはここから監視しているから、虫を頼む」
あれは弓じゃどうしようもない、とゲラーテルは不満げに呟いた。
★☆★
小さな管狐の姿で、誰にも気づかれずに城内に入り込んだ魅狐は、城の窓から蛇と化したディナイラーの姿を確認していた。
丁度、矢が降り注ぎ、虫が溢れ出すところがはっきりと見えた。
「……どうやら、また外国の悪魔が……いや、あれは確かに蛇神の類だね」
魅狐は石造りで冷たく冷えた廊下の端を駆け抜けながら、どこかで読んだ文献の内容を思い出していた。
「確か、ペルシャ神話から伝わる邪神の配下で、”アジ・ダハーカ”だったかしら。文献より頭の数が少ないただの蛇の見た目だし、傷口から爬虫類じゃなくて虫が出てきてるみたいだから、出来損ないみたいね」
神話では、三つ首の龍の姿であり、傷口からは爬虫類が湧いて出てくるとされている、と魅狐は記憶していた。
それに比べて、ディナイラーの姿はたんなる巨大な蛇だ。
元々、オワルと合流できれば負ける気はしないが、そこまで分析ができると多少は気が楽になる。
「それで、肝心のオワルはどこへ……あら?」
蛇がキョロキョロと見回している姿が見える裏庭、その手前にある大きな石材の影で、しゃがんで隠れている女性の姿が見えた。
「蛇は女好きだというのはお約束だけれど、まさかね」
放っておくわけにはいかないので、そっと窓から飛び出した魅狐は、瞬く間にその女性の所へと駆けつけた。
周囲では矢や魔法が飛び交い、まるで戦争中の様相を呈している。
「どうしたの?」
迷子に声をかけるように、しかし、管狐のまま見上げるように話しかける。
「えっ? きゃっ!」
隠れていたのはリリリアだった。
突然小動物が人の言葉で話しかけてきたのに驚いて、地面に尻餅をついてしまった。
「ああ、ごめんなさい。驚かせちゃったわね」
魅狐は人の姿へと戻った、が、それでも12歳程度の子供の姿だ。
「こ、子供……?」
「これでも、貴女よりずっと年上だけれどね。まあそんなことはいいじゃない。私は魅狐。貴女は?」
リリリアはしばらく面食らっていたが、今日はもう驚くのはお腹いっぱいだ、気を取り直した。
「わたしはリリリアです。監査室の職員なんですけど……」
「へぇ、貴方がね」
さっきは一歩遅れて姿を見られなかったから、と魅狐は緋袴の折り目を整えながら、リリリアの栗色の髪と勝気な赤い瞳に視線を向けた。
「可愛い子ね。さっきオワルが貴方を追うと言っていたけれど、こんな時に女の子を放って、あいつはどこへ行ったのかしら?」
オワルの名前が出たところで、リリリアは肩を震わせる。
「お城の壁が崩れたとき、わたしを助けるために、瓦礫の下じきに……」
その後は、逃げ回っているうちに兵の攻撃が始まって、今の場所に隠れる事ができたらしい。
リリリアは、自分が先走ってディナイラーに捕まったことから、オワルに助けられた事までを説明しながら、じわりと溢れてくる涙を懸命に拭っていた。
「そう、危ないところだったわね。……しかし、女の子を助けて潰れるなんて、格好つけ過ぎじゃないかしら」
泣いているリリリアの頭を撫でながら、魅狐はコロコロと笑った。
「若い子相手に張り切っちゃって。馬鹿なんだから」
「あの……オワルさんと魅狐、さんはお知り合いなんですよね? オワルさんが死んじゃったのに……」
「あら、彼はぺちゃんこになったくらいじゃ死なないわよ。安心しなさい。それより、多分面白いものが見られると思うわよ?」
魅狐は、リリリアに聞いたオワルが潰された瓦礫の方に視線を向けた。
一面に大小様々に砕けた石材が散らばる中から、オワルがひょっこりと顔を出した。
慎重10センチ程の姿になって。
「オワルさん? か、可愛い……」
思わず頬を赤らめて呟いたリリリアを見て、オワルはへの字口を突き出した。
「だから嫌だったんだよなぁ、この姿になるのは」
「いいじゃない、怖がられるよりずっといいでしょう。それに、身体を作る材料が足りないなら、仕方ないじゃない」
小さなオワルをそっと拾い上げて、魅狐は膝のうえにオワルを座らせた。
「こうしていると、まるでお人形さんね」
「……この非常事態に、のん気なもんだね」
あぐらをかいて座っているオワルは、やれやれと溜息を吐いた。
「えっと……オワルさん、大丈夫なんですか?」
「ああ、心配させたかな。ごめんね」
頭をかいて、ピョコンと頭を下げたオワルに、リリリアは頬が緩むのを堪えきれなかった。
「ぷぷっ……ごめんなさい」
「……まあ、いいさ。身体が潰されちゃったから、身体を作る“肉”が足りなくてね。取りあえずは、虫がたくさんいるから、あいつらを食って身体を作り直すよ。ディナイラーを始末するのはそれからだね」
「いくらまがい物でも、あれはそれなりに強い奴みたいだから、仕方ないわね」
虫は嫌いだから、できれば食いたくないんだけどな、とオワルは不満そうだ。
「まあ、虫にやられた兵士の死体もあるし……」
オワルがそう呟いたところで、リリリアがオワルに身体を寄せた。
「あの……兵士さんたちの身体は、食べないでもらえませんか?」
突然のお願いに、オワルと魅狐は顔を見合わせた。
「どうして?」
本当に不思議そうに首をかしげる魅狐と、何かを考えているらしいオワルに、対して、リリリアは座りなおして二人を正面から見た。
「あの兵士さんたちは一所懸命戦ったんです。悪い人じゃないんです。……せめて、身体は家族の元へ返してあげたいと思うのは、人として当然だと思います」
リリリアは、オワルに向かって頭を下げた。
「あの時、オワルさんのやり方を受け入れる事を選びました。でも、殺しはしなくても兵士さんを食べる事は、人間としておかしいと思うんです」
「そうだね、その通りだ」
オワルは、リリリアに頭を上げて欲しいと伝えた。
「僕は確かに、あの時君に悪い奴以外は“食べない”と言った。殺さないじゃなくて、食べない、と。つまりあの兵士たちを食べるのも約束を違える事だ。気がつかなかった。申し訳ない」
「オワルさん……」
「僕はひょっとしたら、大分人間の心や考え方を失ってしまったのかもしれないけれど、どうか今後もそうやって君が思う“人間らしい”ことを教えて欲しい」
リリリアは、オワルの言葉にホッとした表情を見せた。
「わかりました。これからもよろしくお願いします」
オワルとリリリアは、顔を見合わせてはにかむ。
間近にそれを見せられていた魅狐は、面白くない。
「私はもとから妖怪だけれどね……それでも、貴女の言葉には納得できるわ。魂だけじゃなくて、器にも心を向けるのが人間の気持ちというものなのよね。そうと決まったらオワル、さっさと片付けるためにも、虫を食べていらっしゃい!」
オワルの襟をつまみ上げ、魅狐は虫の大群に向かってオワルを投げた。
「うわっ!?」
放物線を描いて黒く渦巻く虫の海の中へ、小さなオワルはあっという間に見えなくなった。
「フンッ。なによ、若い子だからって鼻の下伸ばしちゃって」
腕を組んでオワルを見送った魅狐に、リリリアは笑った。
「魅狐さん、オワルさんと仲がいいんですね」
「そうよ。伊達に何百年も一緒にいないわ」
「な、何百年、ですか……」
想像できる範囲を超えた桁が出て、リリリアの表情は驚きに変わった。
「ええ、あんなふうにボンヤリした男だけれど、彼は彼で色々あったのよ」
慈しむような優しい笑顔を見せた魅狐に、リリリアは二人が羨ましいと思った。
お読みいただきましてありがとうございます。
本編に出てくる悪魔等々についてはかなり独自解釈ですので、
何卒ご了承のほど、よろしくお願いします。
次回もよろしくお願いします。