蛇神
8話目です。
よろしくお願いします。
目を覚ましたリリリアは、身体が動かない事に気づいた。自分の身体に視線を落とすと、椅子に縛り付けられている状態だった。
室内には特に荷物や家具は無く、自分が座っている椅子と、目の前のソファ程度しかない。そのソファに、ディナイラーが座っていた。
「目が覚めたかね?」
先ほどと同様、濁った目をしたままニヤニヤとリリリアを見ている。
「なぜこんなことを?」
今のところどこにも痛い所は無いが、これからは先も何もされない保証はない。緊張して後ろ手に縛られた手のひらに汗がにじむが、目に力を入れて冷静に尋ねる。
質問を聞いて笑い声を上げたディナイラーは、手に持ったグラスを傾け、琥珀色の酒を喉に流し込んだ。
「お前に、常に兄という存在が頭上にある人生というのが理解できるか……?」
「えっ?」
フンッと鼻から酒臭い息を吐く。
「まあ、どうでもいい事だ。今となってはな」
会話を打ち切り、ディナイラーは自分の横に置いていた手のひら程度の大きさをした金属製のケースを手に取り、ゆっくりと開いた。
ケースからディナイラーが指先につまみ上げたのは、オワルがダーバシュに渡した魔導具と同じ形状ではあったが、ふた回り程は小さい。
リリリアは、それが何かわからないが、良いものだと思えるほど楽観的にはなれなかった。
うっとりとした目で魔道具を見つめているディナイラーに、リリリアは息を飲んだ。
「これはね、人間が化物に勝つために得た、新たな力の種だよ。適性が無ければ体内に留まって終わりだが、選ばれた一部の者であれば素晴らしい力を手に入れる事ができる」
「そんな物が……」
「疑っているようだが、私は目の前でこの力の種が効果を発揮するのを見たんだよ。私に付き従っていた下男がいただろう? 彼に使ってみたんだが、実に頼もしい姿になってくれたよ」
取り出した魔導具を握り締めたディナイラーは、ケースを閉じてそっと元の場所へと戻した。
「最初は、何人か街のクズどもに使ってみたが、うまくいかなかった。まあ、手駒として集めた連中だから、最初から期待はしていなかったがね……。小娘一人始末する事もできんのだからな」
小娘という言葉を使ったとき、その視線はしっかりとリリリアを見ていた。
「まさか、あの人たちは……」
「君の想像通りさ。一旦誘拐して君で楽しもうなんて余計な事を考えずに、ナイフでも使ってさっさと殺せば良かったのに、オワルに見つかって処理されてしまった。だが、おかげでちょっとした実験をする機会を得たんだけどね」
鈍く光る魔道具を、リリリアの目の前に突きつけ、ゆっくりと右へ左へと見せつける。
「使い方は、身体のどこでもいいから、これを突き刺すだけだよ。一度体内へ潜り込んだ種は、適正ある相手であればそのまま体内で変質して同化し、その者に適した肉体へと生まれ変わらせるわけだ」
原理は分からないが、とディナイラーは続ける。
「下男は翼を得て、空を飛べるようになったよ。普段は隠しているがね。それに、女性限定だが目を見て魔力を送れば、意のままに操る事もできる。力も俊敏さも、見違える程になっていた」
それを聞いたリリリアは、ハッとしてディナイラーを見た。
「さっき、私の前に回り込む時……」
「素晴らしい速度だったろう? この城にいる騎士や兵士にはとても無理な動きだ。自画自賛になるが、芸術的と行っても良いと、私は思うがね」
自分自身にも、魔道具を使用したことを自慢げにひけらかすディナイラー。リリリアが完全に怯えているのに気づき、さらに気をよくして話し続けた。
「あれでも押さえたんだがね。私は下男などよりもずっと適性が高いらしくてね。君の想像もつかないような能力を得たのだよ。ところで、この魔道具の効果にはもう一つ面白い物があってね」
リリリアの頭を掴み、その白い首すじをそっと撫でる。
気持ちの悪い感触に、リリリアはつい目を強く閉じてしまった。これから先に起きる出来事を見ないで済むように。
「自分で突き刺す分には問題ないが、他人が意識して突き刺した時、刺された者は刺した者の命令に従うようになるのだよ。これを作った者に言わせれば、意図しない副作用らしいがね」
「や、やめて……」
「なに、大して痛くはない。それよりも、新たな力が湧いてくる感動は素晴らしいものだよ?」
ゆっくりと差し出された魔道具が、リリリアの首筋に触れる直前、鞭のように長く伸びてきた舌がぺろりと魔道具を掠め取っていった。
「うわっ!?」
「そこまでだね。見た目が完全に変態だったよ」
天井に張り付いていたオワルが、伸ばしていた舌をスルスルと引き寄せ、そのまま魔道具を飲み込んだ。
「この魔道具は回収させてもらう。それと、監察官としてお前の身柄を拘束するから、大人しくするように」
「オワルさん?!」
「こんなところで貴様が出てくるとは!」
飛び降りたオワルは、リリリアを縛る縄を指で簡単にちぎる。
「うそ、すごい……?」
「このくらいは朝飯前だよ。それより、悪かったね。囮に使ったみたいになってしまって……」
いつものへの字口をさらに曲げて、本当に申し訳ないという顔をするオワルに、状況を忘れてリリリアは思わず笑った。
「いいえ、先走ったのは私です。申し訳ありませんでした。それより、公爵様が……」
リリリアが視線を向けると、ディナイラーは魔道具が入ったケースを拾い上げ、部屋の奥まで離れていた。
「それも回収する。大人しく従うんだ」
それに答えず、ディナイラーはオワルを睨みつける。
「はぁ……はぁ……」
次第に息を荒げ始めたディナイラー。
その顔は顔面がせり出して歯が鋭く尖り、特に犬歯は牙のように伸びていく。
曇って見えた眼球は膜がかかったように濁り、瞳は縦長に絞られていた。
身体はメリメリと音を立てて膨張し、緑がかった色に変色した肌が、硬い質感を帯びてウロコのように割れ始めた。
「蛇……?」
「蛇などと軽々しく呼ぶんじゃない」
リリリアを睨みつけたディナイラーの顔は、目をギョロリと向いて、変わり果てた口を開いて先の割れた長い舌を見せた。
「蛇神だ。私は蛇神となったのだ。これで、誰も私を兄の下とは言えまい……」
唸るような声を上げたディナイラーは、首を振ってオワルを見据える。
「もはや、貴様ごときに怯える帝国では無い。兄を殺して俺が皇帝となり、何にも脅かされない真の為政者として君臨するのだ」
「何を言っているんだ」
呆れた、とばかりにオワルは火が付いたままの煙管を取り出し、煙を吹いた。
「僕が監察官をやっているのは、別に皇帝を脅かすためじゃない。初代皇帝との約束を知らされていないのか? 僕は皇帝に何かを命令することはないし、そんな権限も無い。むしろ、帝国のためになることならば、皇帝からの依頼を受けなくちゃならない」
「だが、貴様のように皇帝を害する力がある者が存在する以上、貴様の言葉は皇帝や貴族に重くのしかかるのは事実だ」
「だからと言って、道具に頼って、人間をやめてまで、その程度の力を得たというのか?」
オワルの表情は、いつの間にか怒りを湛えたものに変わった。
「人間でいることの何がいけないんだ。人は持てる力を精一杯使って、限られた時間を懸命に生きるから美しんだ。化け物になるなんて、馬鹿なことをしたな」
オワルは煙管をするりと飲み込むと、頭をかいた。
「オワルさん……」
不安げに見つめるリリリアに気づいて、オワルは笑う。
「少し、離れているといい。危ないよ」
「それでも、私は強くなる必要があったのだ!」
オワルの視線が外れたところで、ディナイラーは硬く握り締めた拳を、オワルの後頭部に向かって振り抜いた。
グシャ、と音を立て、首が折れた頭部はぶらりと垂れ下がる。
「いやぁ!」
「大丈夫、大丈夫」
悲鳴をあげるリリリアに向かって、逆さまになった首から、のん気に返したオワルは首はそのままで振り抜かれた腕を掴むと、そのまま握力で握り潰した。
「うぐぁ?」
右腕の前腕は潰れ、骨が飛び出した。
悶絶するディナイラーを尻目に首を元通りに戻したオワルは、更にディナイラーの腹を蹴り飛ばした。
壁を砕いて倒れ伏したディナイラーは、頭から血を流しながらも辛うじて立ち上がった。
「貴様……」
「僕は妖怪……化け物の端くれではあるけれど、そんなに力の強い方ではないよ。そんな奴にここまで簡単にやられるんだ。諦めろ」
「うぅ……」
「公爵。君がミヅディルから領地運営のために資金援助を受けているのは調べがついている。その魔導具もミヅディルからだろう。もう逃げ場は無い」
オワルが諭すように言うが、逆にディナイラーの怒りに火をつけた。
左手に握っていたケースを握り潰すと、中に残っていた三本の魔導具を掴む。
「馬鹿にするな! 私の悲願が、こんな簡単に潰されてたまるか!」
振り上げた左手を腹に突き立て、魔導具が一気に体内に吸い込まれた。
「ど、どうなるんでしょう……」
「さあてね。僕にわかるのは、彼が随分無茶をしたらしい事だけだね」
オワルの左腕にしがみついたリリリアに、軽い調子で返す。
「ぐぅおおおおおおおおお!」
雄叫びを上げたディナイラーの身体は、体中の肉を弾けさせながら巨大化していく。天井に頭が届いたと思った直後には、ぶち破って石の破片を散らしていく。
「ふしゅるるるる……」
体長10m程度だろうか、もはや怪獣と言って差し支えない大きさの巨大な蛇と化したディナイラーは、すでに人の言語を話すことも無かった。
自分の身体の下で見上げているオワルたちを見たディナイラーだったものは、目の前にある城の壁に尾を叩き付けた。
「危ない!」
2m四方はある巨大な石材が落下してくる事に気づいたオワルは、隣に居たリリリアを突き飛ばし、自らは完全に石の下敷きになった。
「オワルさん!」
石の下から広がる血を見て、ディナイラーは嬉しそうに舌を震わせた。
★☆★
皇都のイナリ教本部へたどり着いたアレッドンは、もどかしく思える状況説明を、リィフリリーの助けも借りつつ教団の者へ伝えると、緊急事態だという事を理解した職員たちによって本部の中へと案内された。
未だ気絶している侍女は、シスターに頼んで医務室へと連れて行ってもらうことになった。
一室へ通されたリィフリリーはソファへ座り、その横でアレッドンは立ったまま待たされている。
「ここがイナリ教本部ですか。始めて入りました」
「私もです、リィフリリー様」
ここで、アレッドンは何かに気づき、リィフリリーの前に出て、膝をついて頭を垂れた。
「どうしました?」
「緊急事態に流されておりましたが、私は騎士でありながらあの男に騙され、皇女殿下を害する企みに加担していたのです。このまま、貴方の護衛などとお近くにいるわけには行きません」
「何を言っているのかわかりません。貴方は立派に私を守ろうとしてくださいました。そして今も、私を含めてこの国を守るために奔走しているではありませんか。それは、騎士として誇りある行動ではありませんか?」
立ってください。今はできることをやりましょう、と笑うリィフリリーに、再度頭を下げてから、アレッドンはまた彼女の隣に立った。
「でも、そんなに心配は要りませんよ。狐さんが言っていたではありませんか。今のお城にはオワル様がおられるのですから」
「失礼ながら、オワルという人物を捕まえ……いえ、顔を見たことはあるのですが、強いようには、とても……」
「あら。お父様のお話では、万の軍勢でも彼を倒すことはできないというお話でしたけれど?」
「それはあまりにも突飛な話では……」
「残念だけれど、オワルという男については、それでも過小評価ですわ」
豪奢な巫女服を着て部屋に入ってくるなり、不機嫌そうにオワルを評価したのはルーナマリーだった。
「はじめまして、リィフリリー皇女殿下。イナリ教の巫女を務めさせていただいております、ルーナマリーと申します」
「はじめまして。突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「構いませんわ。それで、わたくしたちに何か緊急の御用だということですが、城に現れた巨大な蛇のことですね?」
リィフリリーの向かいに座ったルーナマリーの話では、すでに城の方向から逃げてくる民衆で道は混乱し始めているという。
本来であれば街に入った魔物を退治するのは騎士や兵士の役目なのえ、教団としては民衆の保護や救護の準備を始めているという事だった。
「民衆の保護だけとは……多少は兵士たちの手助けをしても良いのではないか?」
「あ?」
会話に口を挟んできたアレッドンを、ルーナマリーは圧力を込めた目で睨みつけた。
「ド三下がシャシャってんじゃねぇぞ。お? 手助けしたらしたで、手柄を横取りしただの余計な手出しだっただのと文句を垂れるだろうが」
ただでさえ迫力のある美女であるルーナマリーの迫力に、視線の先にいたアレッドンだけでなく、リィフリリーも背筋が寒くなる。
「で、ですが今回は、狐さん……魅狐さんがこちらへ伺って、魅狐が呼んでいると伝えるように、と言われましたので……」
「それを早く言いなさい!」
袴を翻して立ち上がったルーナマリーは、リィフリリーたちには事態の収拾がつくまではこの部屋にいるようにと言い、大声でシスターたちに指示を飛ばしながら出ていった。
「魅狐様からの要請です! 緊急出動いたします! 大祓の準備をして正門前に集まりなさい!」
部屋を出てからもよく聞こえる声を聞きながら、リィフリリーとアレッドンは目を見合わせていた。
「……なんというか、最初はおしとやかで綺麗な人かと思いましたが、嵐のような方ですね」
「私も良くは知らないのですが、イナリ教のシスターというのは、皆ああなのでしょうか?」
大いなる誤解を産みながら、多くのシスターたちが大蛇退治へと向かっていく。その手にはそれぞれにアレンジされた大幣を掴んでいる。
ルーナマリーはお気に入りの六尺棒型大幣を振り回し、先頭を走る。
魅狐のために働くのだ、と狂気にも似た笑顔を浮かべたその表情に、蛇から逃げている民衆も思わず道を開けたという話は、後後までの語り草となった。
お読みいただきましてありがとうございます。
拙作『殺戮者』と同時更新です。
良かったら、合わせてよろしくお願いします。
次回もよろしくお願いします。