悪魔
7話目です。
よろしくお願いします。
早足で城の中を進むリリリアは、廊下でばったりとディナイラーと出会った。
「おや、監査室に配属されたリリリア君だったね」
「こ、公爵閣下!」
何度も顔を合わせているが、相手の身分を知っている今となっては、軽々しく話しかけるなどできない。
跪いた方がいいのかな、と思っていると、ディナイラーは微笑みを浮かべた。
「そう緊張しなくていい。監査室なんてところで働く事になったんだ。いろいろ大変だろう。何かあれば相談にのるよ」
リリリアは、“なんて”という言葉に引っ掛かりを覚えた。
「いえ、オワルさんとも話をすることができましたし、これから仕事を頑張らせていただくつもりです」
できるだけのスマイルを浮かべるリリリアだったが、オワルという言葉を聞いたディナイラーは苦い顔をした。
「どうやら君は知らないようだから伝えておくけれど……あれは化け物だから、なるべく距離をとっておくに越したことはないよ」
「えっ……」
リリリアが絶句したのは、公爵ともあろう人物がオワルのことを堂々と悪し様に言ってのけたことに対してだったのだが、ディナイラーは化け物という言葉にショックを受けたと理解した。
「驚かせてしまったかな? 見た目はあんなぼんやりした若い男だけれど、人間を食い殺すような奴だからね。人間の理屈は通じないから、あまり近しくしない方がいい」
「いえ、それは違うと思います」
公爵の言葉に反論してしまった、と内心リリリアは焦って緊張がピークに達していたが、言葉を止めることができなかった。
「オワルさんは確かに普通の人間じゃありませんけれど、化け物でもありません。人間の心をよく知っている、優しい人ですよ」
一息に言ってしまうと、何か咎められる前にと急いでリリリアは頭を下げ、失礼しますと言って早歩きで進み始めた。
皇帝の元へと急がなくては、と焦るリリリアの目の前に、人間離れした速度で追いついたディナイラーが立ちはだかった。
「きゃっ……」
「残念だが」
ディナイラーの瞳は先程までとは打って変わって、どんよりと濁った色になっている。
「一度取り逃がした獲物を二度も見過ごすわけにはいかんのだ」
「な、何を言って……まさか!」
リリリアが何かに気づき、とっさに駆け出そうとしたが、遅かった。ディナイラーに腕を掴まれ、振りほどく間も無く腹を殴られて昏倒する。
「オワル……さん……」
ぐらりと倒れかけたリリリアを、両手でしっかり支えるディナイラー。その目には狂気の色が満ち満ちている。
「中々骨のあるお嬢さんだ。殺すのは惜しいな……」
周囲を見渡し、誰にも見られていない事を確認したディナイラーは、気を失ったリリリアの身体を肩に担いで、どこかへと歩き出した。
★☆★
先導する下男は、城の裏口を出て、人気の無い道を選んで進んでいく。
城から5分ほど離れたところで、侍女が不安げに口を開いた。
「あの……いくらお忍びとは言え、ここまで寂しい道を選ぶ必要はないのでは? それに、こちらの方はあまり治安が良くないと聞きましたが……」
その言葉に、下男はくるりと向き直り、感情の乏しい目で侍女を見た。
「ご安心ください。このあたりは私のよく知った道ですし、万一よからぬ輩がいたとしても、騎士が護衛についているのですから、何も問題はありません」
きっぱりと言い切られると、侍女もそれ以上は何も言えなかった。
「どのくらい歩けばオワル様に会えるのかしら? 楽しみね」
不安など微塵も見せず、無邪気に笑うリィフリリーに話しかけられて、アレッドンは周囲を警戒しながらも、ぎこちなく笑い返した。
「目的地については、私は何も聞かされておりませんので……」
「そうなのですか。貴方は、オワル様に会われた事はありますか? 彼はとても素敵な方ですから、貴方も一度お話をされると良いですわ」
「はぁ……」
まだ子供とはいえ、皇帝の娘が男の話題を嬉々として話すのは良いのだろうか、とアレッドンは答えに迷った。
視線を侍女に向けると、仕方がないというふうに首を振る。
「リィフリリー様。あまり男性を手放しに褒めるところを見せてはいけません。余計な事を考える者や、ありもしない噂を流す者など、どこにでもいるのですから」
それに、と侍女は眉を潜めた。
「リィフリリー様と共に何度かオワル様とお会いしましたが……貴族というわけでも無いようですし、どこか得体の知れない方ではありませんか? 皇帝陛下と昵懇の間柄であると聞きましたが、そのような方とあまり近しくされるのは……」
「オワル様の悪口は言わないで!」
頬をふくらませて不機嫌だと全身でアピールする姿を見て、侍女は苦笑いを浮かべた。
「申し訳ありません。ですが、レディとして慎みある行動をお願いいたします。皇帝陛下も、リィフリリー様をご心配されているのですから、あまり不安になるような事はお控えください」
「それは……わかりますけれど」
父の事を出すのはずるいです、とリィフリリーがまた不機嫌になる。
「到着いたしました。こちらです」
下男が立ち止まったのは、閑静な住宅地の一角にぽっかりと残った空き地だった。
雑草目立つそこには、小さな二頭立ての馬車が置かれ、馬は少し話して繋がれていた。
「この馬車で、また何処かへ向かうのですか?」
リィフリリーが質問を投げかけているうちに、侍女は馬車の中を覗き込んだ。
「これは……一体どういうことですか!」
馬車の中には鉄製の檻が据え付けられており、高貴な者が利用するに値するかどうか以前の問題だった。
「何か問題でも?」
「この檻は何だと聞いているのです!」
「そうですね……あんたには関係ない事だな」
急に口調が変わった下男は、何かの粉を振りまき、それを吸い込んだ侍女はあっさりと気を失って倒れた。
「えぇっ?」
「おい、これはどういうことだ?」
素早くリィフリリーの前に回ったアレッドンは、剣を抜いて下男を睨みつけた。
「単なる眠り薬だよ。俺が女の精を吸い取る時に使う特製だ。良く眠っているだろう?」
今頃、好みの男に抱かれるような、気持ちの良い夢を見ているだろうさ、と下男は笑う。
「なんだと? 一体何を言っている?」
「お前が知る必要は無い。これは公爵閣下からの指示あっての事だ。さあ、お姫様をこっちに連れてこい」
公爵の名を聞いて、アレッドンは迷った。
確かに公爵からの命令を聞いてここへやってきたが、目の前で起きている事はどう考えても正義の行いではない。まして、姪であるリィフリリーをどうするつもりなのか。
「……行き先はどこだ? 何が目的かを先に教えてもらおう」
「知る必要は無いと言っただろう」
アレッドンたちの間に、沈黙が横たわるが、お互いに視線を交わしたままで、隙を見せないように張り詰めた緊張感が漂う。
「……オワル様の所へ行くのではないのですか? どうしてこのような事をするのですか」
今にも泣き出しそうな顔をしながら、リィフリリーはアレッドンの後ろで小さな声で言う。
その姿を見たアレッドンは、長く息を吐いて剣を構え直した。
「……いくら公爵閣下の命令と言えど、皇女様を悲しませるような真似はできん。騎士として、断固拒否させてもらう」
「そうか。ならば仕方がない。脚本は書き直すことにしよう」
青かった下男の瞳は血のような赤に変わり、めきめきと音を立ててせり上がった背中から、コウモリのような翼が広がった。
「皇女に懸想した若い騎士が、侍女を斬り殺して逃げたというのはどうだ?」
ありがちだが、その分信憑性もあるだろう、と下男は笑う。
だらりと下げられた両手の指は、異常な程伸びて鋭く尖っている。
「きゃあああ!」
異様な姿を見てしまったリィフリリーは、悲鳴を上げて後ずさる。
「……貴様、人間ではなかったか。公爵閣下のところへ潜り込み、何を狙っている!」
「潜り込む? なぁにを言っているんだ。公爵様の命令だと言っただろう」
長い指を突き出し、下男だった化物は笑う。
「うおおっ!」
先に斬りかかったのはアレッドンだった。
レイピアを突き出し、一撃で喉を貫くのを狙ったが、指で弾かれてあっさりと防がれてしまった。
「男の精気はいらん。さっさと死んで、姫をこちらへ渡せ」
次々に繰り出される爪での攻撃を、細い剣を左右に振って辛うじて弾いていく。緊張と疲労で汗が吹き出してくるが、一歩も退くわけにはいかない。
「命は惜しくは無いが、リィフリリー様を守れなかったとあっては、騎士の名折れだ。死んでも譲るわけにはいかん!」
「良い事を言うわね。気に入ったわ」
どこからか女の声が聞こえたかと思うと、下男とアレッドンの間に火柱が上がった。
「ぬおっ!?」
辛うじて指先を炙られるだけで済んだアレッドンに対し、炎に腕を巻かれる形になった下男は、転げまわって火を消している。
「うぐ……どういう事だ!? この程度の火が、俺に効くはずがないのに!」
「私の狐火を、そのへんのボヤと一緒にしないで」
どこからか飛び降りて来たのは、少女の姿をした魅狐だった。
赤い袴が翻り、石の首飾りがシャラリと音を立てる。
「最初に見たときは、直情バカかと思ってたけど、中々良いところあるじゃない。少しだけ見直したわよ」
「お前は……」
見覚えのある少女に、アレッドンは戸惑っていたが、リィフリリーは笑顔を取り戻した。
「キツネさん!」
「また……狐でもあるけれど、ちゃんと魅狐って呼んでちょうだい」
そんなやり取りをしているうちに、両腕から煙を上げた下男が立ち上がった。
「女か……妙な魔導を使うようだが、これには耐えられまい!」
侍女に使った粉を撒き、さらには魅狐の目を直視した下男は、魔力のこもった視線を送る。
だが、魅狐は鬱陶しいとでも言わんばかりに手を振って粉と魔力を払い散らした。
「こんなもの、私に聞くわけ無いでしょう。……あなた、夢魔の一種かしら? インクブスとかいう、外国の悪魔だかその下っ端だかにそんなのがいたわね」
「俺の魅了も秘薬も効かないとは……貴様も、人間ではないのか……」
「あら、ご明察」
どこからか、白い紙垂のついた御幣(お祓い棒)を取り出した魅狐は、瞬きをする間に背が伸びて、狐の耳とふさふさとした二本の尾を生やした豊満な女性へと変化していた。
「妖狐にして神の御使いでもあるのよ。それにしても、あっちの悪魔がこっちに来てるとは思わなかったわ」
「何を言っているのかわからんが、俺はこの力を手に入れてから、誰にも負けた事が無いんだ。魅了が効かないなら、力づくで従わせるまでだ!」
飛びかかってくるインクブスを軽やかに躱しながら、魅狐は首をかしげた。
(力を手に入れた? ひょっとして、私たちのように“飛ばされた”わけじゃないのかしら)
疑問はあったが、ゆっくりと話を聞いている余裕はなさそうだ。
更に攻撃をしてくるインクブスに向かって思い切り踏み込んだ魅狐は、袴の裾を持って豪快に蹴り飛ばした。
距離が離れたと見るやいなや、御幣を振るう。
瞬く間にインクブスは燃え盛る火炎に囲まれ、身動きがとれなくなった。
「ぐ……ならば!」
コウモリに似た羽は飾りではなかったようで、大きく羽ばたいたインクブスは空へと舞い上がる。
「逃すわけ無いでしょ」
魅狐が指を振るうと、六つの火の玉が浮かび上がり、結界となってインクブスを空中へと固定した。
「なっ……」
驚愕の表情でもがくインクブスを見ながら、御幣を両手に掴んだ魅狐は朗々と祝詞をあげる。
「掛巻も恐き稲荷大神の大前に恐み恐みも白く……」
もがき苦しむインクブスだが、離れて見ているアレッドンには、何が起きているのか理解ができない。
「あんな魔導があるのか……?」
「あれは、魔導ではありません。イナリ教のシスターが唱える祝詞です……あのような、魔を払う程のものとは知りませんでしたが……」
魅狐の言葉が続くに連れて、インクブスは次第に身体が燃え始めた。
灼熱の炎に巻かれ、インクブスは顔を歪ませて苦しみにあえぐ。
「……夜の守日の守に守幸へ賜へと恐み恐みも白す」
祝詞が終わる頃には、インクブスは完全に灰となり、揺らめく狐火も静かに消えた。
「終わったのか……?」
呟いたアレッドンに、魅狐は振り向いて笑う。
「久しぶりに本気で祝詞をあげたから、途中でつっかえそうだったわ」
御幣をくるりと回したその時、城から地響きを立てて何かが爆発したような音が響いた。
「な、何が起きたのですか?!」
城の方を見ると、巨大な城の一部が崩れている。
「城が!」
「待ちなさい」
アレッドンが叫び、駆け出そうとするのを魅狐が制した。
「城の一大事だ、俺も行かなければ!」
「あれを見なさい」
魅狐が指差した先、城の一部が崩れて開いた穴から、巨大が蛇がゆっくりと顔を出した。
「なんだ、あれは……」
「さあ。蛇神か何かのようだけれど、あれはちょっと私の手にも負えないわね」
「お父様が!」
腰を抜かして叫ぶリィフリリーを、魅狐はそっと抱きしめた。
「落ち着いて。あそこにはオワルがいるから、きっと大丈夫」
「オワル様が……」
名前を聞いて落ち着いたのを確認し、魅狐はアレッドンの名前を呼び、倒れた侍女を指差した。
「彼女を担いで、リリィと一緒にイナリ教本部へ行って。魅狐が呼んでいると言えばいいから」
「し、しかし……」
「気持ちはわかるけれど、あなたはあれとの戦いには役に立たない。これは帝国監査室からの依頼です。すぐに行きなさい。そこで彼女たちも保護してもらえるから」
しばらく渋っていたアレッドンだが、巨大な蛇の姿を見て、歯噛みをしながらも了承した。
「悔しでしょうけれど、今は我慢しなさい。敵を倒す事よりも、守ることが大切な時もあると知りなさい」
アレッドンは頷くと、未だ眠る侍女を肩に担ぎ上げた。
「行きましょう、リィフリリー様」
「……わかりました。魅狐さん、お父様を、お願いします」
「任せて。私とオワルがいれば、あんな蛇なんて直ぐに片付くわ」
魅狐の笑顔を見て、リィフリリーは少し安心したのか、素直にアレッドンに付いて行く。
その姿が道の向こうに消えたのを確認した魅狐は、改めて遠くに見える蛇神の姿へと視線を移した。
「まったく、何が起きているのかしらね」
あっという間に狐の姿へと変化した魅狐は、城へと向かって風を切って走り出した。
お読みいただきましてありがとうございます。
オワルの出番まで入らなかった……。
次回もよろしくお願いいたします。