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帝国監察官の正体

連載中の小説の合間に書いていきますので、不定期更新です。

気長に読んでいただければ幸いです。

 レンガ造りの建物の2階で、二人の男が何かを話し合っているのを、ひさしから突き出した手が見ている。というのも、その手のひらにギョロリと見開かれた目玉がついているのだ。

 開いた木戸の端から覗いている“手の目”は、室内の男たちをじっくり観察する。

 一人はかなり身なりが良く、腰にやたらと装飾が施されたレイピアを提げている。おそらく貴族なのだろう中年の男だ。

 もう一人も同年代の男で、こちらは清潔ながら質素な服を着ている。この国の商人が好んで着る、ポケットがたくさん付いたエプロンをしていた。

 そこまでを確認すると、目玉がついた手はスルスルと引っ込んでいく。腕は庇から屋根の上まで、まるで太いホースのように伸びていたのだ。

 腕が縮んでいくのと同時に、手のひらにあった目玉は手首から腕の中をもぞもぞと進み、首を登って本来の位置である左の眼窩に収まった。

 指先で軽くつまんで目玉の角度を調整しているのは、乱れてボサボサの長髪にへの字に曲げた口元が特徴の若い男だ。雪が降りそうなほど寒い夕暮れの屋根の上だというのに、薄いコートに薄いシャツという格好だ。

 左右の腕の長さを調整していると、隣から鈴の音のような可愛らしい声が聞こえる。

「どんな様子?」

「まあ、間違いないだろうね。早速いただいてくるよ」

「そう。いってらっしゃい」

 屋根からひらりと飛び降りた男を、ひらひらと手を振って見送ったのは、年の頃12歳くらいに見える少女だ。

 男が野暮ったい地味な格好のせいもあり、二人並ぶと親子のようにすら見える。

 少女の姿は赤い袴の巫女装束にジャラジャラとした石の首飾りという格好なので、中世欧州の雰囲気な周辺からはかなり浮いている。

「今日は、お腹いっぱい食べられそうで良かったわねぇ」

 見た目の年齢にそぐわない、艶のある台詞をつぶやいて、唇を舐めた。

 ふと屋根に横になって空を見上げる。陽が傾き始めた空は、次第に紅みを帯びてきている。

「こうして見上げる空は、昔とおんなじなんだけれどねぇ……」

 目を閉じて、“この世界”に来たときの事を思い出していた。

「あれから二百年くらいかねぇ」

 月日が経つのは早いものだと、地球で見たものより少し大きく見える、遠い太陽を横目に見た。


★☆★


 屋根の端から飛び降りた男は、空を舞う灰のように、重さなど無いかの如く開いた木戸からひらりと室内へと入り込んだ。

「うわっ!?」

「だ、誰だ!」

 突然の闖入者に一瞬は慌てた男たちも、そのくたびれた服装を見て、すぐに小馬鹿にした笑いを浮かべた。

「ちっ、どこかの宿無しが入り込んできやがったか」

 商人かと思われる男が、悪態をつく。

「ちょいとお待ちくださいね、旦那。すぐに叩き出してやりますんで」

「ああ、さっさと終わらせてくれたまえ」

 黙ってぼんやりと立ったままの相手に、立てかけていた手頃な棒を掴んだ商人がノシノシと近づいた。

「ほら、痛い目見たくなかったら、とっと……と……」

 肩をいからせて怖がらせるつもりが、一歩、二歩と近づくごとに、何故か目の前の相手がどんどん大きくなって見える。

 目の前まで来た時には、もうすっかり見上げるような大きさになり、170センチを軽く超える商人を、うつろな瞳がギロリと見下ろしている。

「ひ、ひぇえ……」

 すっかり戦意を喪失した商人の目の前で、への字口が開き、めくれ上がる。

 頭部が二つに割る程開き、下顎は腹までズルっと垂れ下がった。

 その内側に見えるのは、真っ赤に脈づいた肉で作られた喉。

 もはや、上半身全てが口という状態だ。

 離れて見ていた貴族も、状況が飲み込めずに呆然と化け物の姿を見ている。

「うわああああ!」

 商人が叫び声を上げた瞬間に、化け物両腕が鞭のように伸び、商人の両腕に巻き付いた。

「や、嫌だっ! やめてくれ!」

 涙を流して懇願する声が聞こえているのかいないのか、恐ろしい力で引き寄せられる商人の目の前に、化け物の巨大な口が迫る。

「いやだあああああ!」

 絶叫を残し、商人は身体に巻き付いた腕ごと捕食された。

 グッチャグッチャとくぐもった音を立てて、失った両腕の先から血を流した化け物は棒立ちのまま食事を続け、ゴクリと飲み込み終わった頃には、いつの間にか腕も元通りになり、先ほどと同じとぼけた顔の青年の姿に戻っていた。

「な……な……」

 目の前の光景が、夢ではないかと貴族の男は疑った。

 今の状況だけ見れば、ただ商売相手が消えただけだ。血も見えないし、部屋も荒れていない。

 そして、目の前に立つのは無気力な目をした気弱そうな青年がいるだけ。

「お、お前は……」

 貴族の誰何に、まずはゲップで答える。

「グッフ……。僕は帝国監察官のオワルです。あなたはヴェッデル子爵ですね」

 先ほどの姿からは想像もつかない爽やかな青年らしい声で、オワルと名乗った男は確認する。

「か、監察官……」

 帝国監察官という肩書きに、ヴェッデルは聞き覚えがあった。

 貴族としての教育を受け始めた頃に、今は亡き父が話してくれた事がある。

“この国には、監察官と呼ばれる者がいる。彼らは王を含めた為政者たちに目を光らせ、全ての不正に鉄槌を下す。それは鍛え上げた騎士や魔導師など歯牙にもかけぬ、監察官の御技によってどこまで逃げても必ず執行される。これは戒めだ。忘れることなく、後世へ伝えるように”

 その話を聞いた時には、すでに成人した息子相手に御伽噺を語る父にうんざりとしたものだが。

「実在したとは……いや、監察官がこんな化け物であるはずがないっ! 風よ!」

 腰のレイピアを抜くや否や、オワルに向けた切っ先から緑色の魔力を帯びた風の塊が飛来する。

「魔導が……」

 言いかけたところで、オワルの首から上が千切れ飛んだ。

 背後の壁にビシャッと広がる赤い血と肉片を見て、ヴェッデルはレイピアを納めた。

「化け物め……モンスターの一種だろうが、こんな王都の街中にまで出るとはな……ウッ?」

 いつの間にか、ヴェッデルの足首には伸びてきたオワルの両腕が絡みついている。

「な、何が……。クソッ!」

 再び抜いたレイピアで必死に腕を斬りつけるが、腕の肉は斬った端から肉が盛り上がってきてすぐに傷がふさがっていく。

 それでも諦めずに、魔法を使って腕をちぎろうとするが、片方をちぎってももう片方に対応している間に、復活した腕に絡み取られる。

「無駄ですよ。ヴェッデル子爵」

 汗をびっしょりとかいて必死に剣を振るヴェッデルに、緊張感のない声が聞こえる。

 慌てて周辺を見回すが、部屋にあるのは倒れた死体とそこから伸びる腕、そして壁に広がる頭部だった肉片だけ。

 しかし、どこからか声は聞こえる。

「あなたが自分の立場を利用して、他領を商品が通過する際の通商税を支払っていないことは調べがついています」

「何を言っている! 貴族である私の持ち物に通称税はかからない!」

「では、このリストはなんでしょう?」

 腕の一本が、ヴェッデルの目の前に一枚の紙をちらつかせた。

 そこに記載されているのは、先ほどの承認から預かるはずだった商品のリストだった。

 少し濡れているのは、オワルの体内に商人の体ごと一度取り込まれたからだろうか。

「う……」

 次の言葉は、ヴェッデルのすぐ横から聞こえてきた。

「ねぇ、自分が何をしたのかわかっているでしょう? だから……」

 震える首を必死に動かし、声がする方へと視線を向ける。

「あなたはここでお仕舞いです」

 ミンチのようにグズグズに崩れたオワルの顔が、瞳だけをギラギラと光らせ、ヴェッデルの目の前で逆さまになって揺れていた。

 ヴェッデルの悲鳴が上がった時には、首がないオワルの身体が起き上がり、ゆっくりと近づいてくる。

 腕に足を絡め取られたまま、逃げることもできないヴェッデルは、声を涸らして叫びながら、ゆっくりとオワルの身体に包み込まれていった。


★☆★


 フューミー帝国は500年の歴史がある大国で、大陸を制覇するまでの300年という、長い戦争を経験した国家だ。

 戦争の終盤、併合や吸収を繰り返した結果、大陸には二大国が残り、最終的な覇権を争って血で血を洗う死闘を繰り返していた。

 帝国は訓練された志願兵中心の軍隊であり、魔導師も多くいる精鋭だったが、敵国は国民皆兵制を採り、常軌を逸した人海戦術で帝国を苦しめていた。

 それが200年ほど前に、ある人物が敵国に侵入し為政者を片端から殺害。国家としての機能を果たせなくなったところで、帝国が大挙して侵入し征服した。

 戦勝の立役者の名は、皇家の秘密とされ公表されず、今でも市井では様々なうわさがささやかれ、勝手に英雄がいたことにして戯曲や演劇が作られたりしている。

 そんな帝国の現在の皇帝はオズワルド・アサン・フューミー5世という。

 すでにこの世界では老境と言っていい50歳を過ぎているが、長男と次男を相次いで事故と病気で失い、まだ18の三男に国政を任せるのは不安だと、引退を先延ばしにしていた。

 皇帝は居城である皇都の城、謁見の間にて、若いころはさぞ鍛えていただろう、まだがっしりした印象のある体を玉座に収めている。

「……では、ヴェッデルは……」

 まだ健康的で張りがある声ではあるものの、落胆に満ちたつぶやきには力がない。

「ええ、処分しましたよ」

 皇帝の前だというのに跪くこともなくなっているのは、相変わらずヨレた服を着たオワルだった。口をへの字に曲げて、無感動にヴェッデルを食ったことを話す。

 その懐から、体長20センチほどの小さなキツネが顔を出すと、愛らしい声で喋りだす。

「魔導も剣もなかなかだったけれど、ちょっと心が弱かったわねぇ」

 顔もよかったけれど、と笑うキツネの首を摘み上げ、オワルはペッと横に落とした。

魅狐みこ、毛がくすぐったい」

 放り出されたキツネは、くるりと器用に着地すると、あっという間に12歳くらいの可愛らしい女の子に変化した。赤い袴の巫女装束姿だ。

「レディーを放り捨てないでよ」

 あと女性に向かって毛とか言うな、と口をとがらせて怒る魅狐に、オワルははいはいと適当な返事をする。

「いつも仲がよろしくてうらやましいことです」

 皇帝は、いつもは使う必要すらない丁寧で穏やかな話し方だった。

「くされ縁というやつですよ。それより、今回は何か特別な依頼があるということですが?」

「ええ、この国を支えていただいているオワル様へ依頼するようなことではない事だというのは承知のうえですが……」

 皇帝にはまだ降嫁していない娘が一人だけいる。リィフリリーという15歳になる娘だ。

「そのリリィの嫁ぎ先に候補がありまして……。王都から離れてはおりますが、建国の頃からの歴史があるミヅディル辺境伯家です」

 大陸西部に位置する王都の北西、荒地が多いものの広大な領地を有し、往時には敵国との国境を守る家の一つとして、厳しい家訓を守って戦い続けた由緒ある家系である。

 家柄としては王家の末娘が嫁ぐのに不足は無いが、ここ数代のミヅディル家当主の評判はあまり聞こえて来ず、他家とのつながりが希薄になっているのが気になる、と皇帝はこぼした。

「帝国監察官に対し、私情を含む調査を依頼するのは気が引けますが……」

「ふぅん。あのやんちゃのアサ坊が、娘の心配とはね」

 魅狐のからかうような言葉に、皇帝は苦笑した。

「私が生まれた頃からご存じの魅狐様にはかないませんな」

 そんな会話を聞きながら、しばらく考えていたオワルは、ぼんやりした目を皇帝へ向けた。

「まあ、引き受けましょう。あっちの方は久しく見てないし」

「おおっ、ありがとうございます!」

 立ち上がり、オワルの手を取って感謝の言葉を述べた皇帝は、すぐに玉座の横に用意していた袋を手渡した。

「これは当座の路銀です。不足があれば言ってください」

「どうも」

 ずっしりと重い袋を受け取ったオワルは、一抱えはある大きさの袋を、口が裂けるほどに顎を開いて飲み込んだ。

「じゃあ、また報告に来ますよ」

「どうぞよろしくお願いいたします」

 この国の誰も見たことが無いだろう、皇帝が頭を下げる姿に見送られ、オワルと魅狐は謁見の間を出ていく。

 どういう技なのかわからないが、謁見の間の扉が開いたことに、見張りの兵は気付かなかった。

 彼らが出て行ったあと、皇帝は玉座へ戻り、座り込んだ。

 いつの間にか背中にびっしょりと汗をかいていて、不快な感触に眉を潜める。

「いくつになっても、彼らと対面するのは緊張するのう」

 物心ついた頃から、彼らは城に出入りしていた。

 父である先代の皇帝は頻繁に彼らと連絡を取り、情報を収集していたのだろう。その正体を現皇帝である彼が知らされたのは、彼が18歳の頃だった。

 何年たっても歳を取らず、皇帝である父に対しても丁寧ではあるものの気軽に接していたことに、高位の魔導師かと思っていたが、まさか人ではないとは思わなかった。

「……いや、オワル様は人間だと言われていたか……」

 以前に話してもらった事を思い出していた。

 魅狐は元は管狐クダギツネというキツネの妖怪で、神の御使いでもあるのだという。そしてオワルは、その狐に憑りつかれた人間で、そのまま妖怪化してしまったのだと言われた。

 語られた単語はほとんど初耳で、どの書物にも載っていなかったが、なんとなく人間とはかけ離れた“なにか”なのだろうと本能的に感じたことは、今でも鮮明に思い出せる。

「最近は昔の事ばかり思い出す。歳をとったな」

 苦笑しつつ、そろそろ後継ぎにオワルの事を話すべき時期だろう、と皇帝は思った。

「ショックを受けねば良いがな」

 自分も最初にオワルの能力と不死性を目の当たりにしたときは、腰を抜かすほど驚いたものだと思い出した。

「何はともあれ、まずはリリィの事からだな。さて、どうなるか……」

 そうは言いながらも、皇帝はオワルの調査能力を毛ほども心配していなかった。何しろ、長い在位の間に何度も助けられ、遡ればこの国そのものの恩人でもあるのだから。

 “隠された英雄”というのが、代々の皇帝が密かに受け継いできた、オワルの二つ名だった。

お読みいただきましてありがとうございます。

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