君の願い事 前編
奏が神守となって、ちょうど4年の月日が経とうとしていた。
「おはようございます王女様……朝ですので、起きて下さい」
朝の光が、輝夜奈の部屋を照らす。咲緒が窓のカーテンを開けたからだ。
その眩しさに輝夜奈はゆっくり目を覚ます。
「まだ、眠いよ……」
半分寝呆けた頭で寝かしてくれと抗議する。朝の光に照らされた輝夜奈の姿は、どこか神々しさをまとっていた。それを見て、咲緒は輝夜奈が次の神となるのだと改めて思う。
「何を言っているんですか。今日から旅に出掛けるんでしょう、王女様が早く起こしてくれとおっしゃったのではないですか」
咲緒が呆れたような声を出すと、輝夜奈は、がばっと起き上がる。
「そうだった……! ありがとう! あっ、あとおはようございます」
ぺこりと頭を下げて挨拶をし、輝夜奈はベットから飛び起き、急いで身仕度を整える。荷物は昨日のうちに運びだしたので、あとは身仕度だけだ。
「あっ、奏は!?」
「朝早くから王女様の部屋の前で、警護なされていますよ」
それを聞き、ある程度身仕度を終えた輝夜奈は、ドアに駆け寄り、勢い良く飛び出す。
「おっはよーっ! 奏!」
「おはようございます、姫様」
輝夜奈の明るい笑顔が奏に向けられ、奏もそれに答えるように微笑む。これが、彼らの毎朝の日課だ。
「やっと旅に出られる日になったね。う〜楽しみだなぁ」
「姫様、あくまでそちらはおまけなんです。本当の目的を忘れないで下さいよ」
「わかってるよ、もう奏ったら大臣みたーい」
ぷぅと口を膨らませ、輝夜奈はそっぽを向いてしまう。奏は機嫌を損ねたかと思い、慌てて何かを言おうとする。
「私がどうかいたしまして?」
「きゃあっ!?」
しかしそれを遮るように、咲緒がひょっこり二人の間に現れ、怖い笑顔を浮かべる。
「なっ……何でもな……何でもありません!」
顔を真っ青にした輝夜奈が必死に否定する。それが余計に怪しいのだとも気付かずに。
何か言いたげだったが、咲緒はそうですか、といい自分の部屋に帰っていく。
それを見届けた輝夜奈がほっと息をつき、目が合った奏と笑い合う。
そんな穏やかな毎日が続いていた。
*****
「では、お父様、お母様、行って参ります」
城の門の前で、王と王妃に輝夜奈がしばしの別れを告げた。
「気をつけていくのですよ、旅の無事を祈っていますわ」
王妃は輝夜奈を抱き締める。でも、その顔に不安の色は全くない。
しばらくして輝夜奈を抱き締めていた手を緩め、王妃は奏を見る。
それに気付いた奏がその場に跪くと、王妃の優しい声が耳に届いた。
「奏、どうか輝夜奈を頼みます」
「はっ」
奏の短い返答の中に含まれた強い意志を感じ、満足そうに王妃が微笑む。
「私からも頼むぞ、奏。無事に輝夜奈を連れて帰ってきてほしい」
王もそれに続けて奏に告げ、それにも奏は短く、しかしはっきりと応える。
「王女様、馬車のご用意が出来ました」
執事が話の区切りを見分けて遠慮気味に伝え、輝夜奈はそれに従い馬車に乗り込む。
奏は指揮をとるため、馬に乗ろうとしていた時に、王と王妃が呼び止めた。
奏は慌てて二人のもとに向かう。
「忙しいのにすまんな。でも、どうしてもお前に礼が言いたいのだ」
「え……?」
突然の事で奏の中では整理がつかない。礼など言われるような事などしただろうか、と首を傾げる。そうすると今度は王妃が話し始めた。
「輝夜奈は次の神となるために生まれました。私と王は最初は何度も嘆いたものです、周りの者達があまりにもあの子を特別扱いし、必要以上に関わらないようにして、一人にするのですから」
脈略のない話に何が言いたいのか奏にはわからなかった。それで何故二人は奏に礼などを言うのだろう。
「私達もあの子をかばうことが出来ず、とても寂しい思いをさせてしまったの。そしていつのまにかあの子は、咲緒や私達以外に心を開かなくなっていた」
それを聞き、奏は驚く。初めて会った時、輝夜奈はそんな事を思わせないほど、屈託なく奏に笑いかけてきたのだから。
「そこで現われたのが、奏、お前だった。
初めて近い年の者に会えると知って、輝夜奈は本当に喜び、お前は輝夜奈の初めての友達になった。
輝夜奈は変わったよ、外の世界に興味を持ち始めている。
今回の旅だって以前のあの子ならば考えられないような事だ。
だからお前に礼を言いたいのだよ。……輝夜奈を、大切にしてくれてありがとう」
王と王妃は奏に感謝を、と告げる。
「お止め下さい。私は当然の事をしたつもりなのですから」
慌てて二人に下ろしている顔をあげさせる。
「こんな事で王族が頭を下げていては……!」
「今、ここにいるのは娘を心配するただの親だと思ってくれ」
そこには今までに見たことがないほど、慈愛に満ちた瞳を讃える二人がいた。
奏は、はっと息を潜め、彼らの次の言葉を待つ。
「そして、私達はあなたの無事も祈っています」
奏は思わず顔をあげる。そんな事を言われるとは思ってもみなかったのだ。
「どうか気を付けて」
奏の心に何か温かい気持ちが込み上げてくる。
「はいっ」
鮮やかに晴れた空の下、二人は旅立った。
*****
輝夜奈を乗せた馬車は必要最低限の人間を従え、まず最初の目的である国へと向かう。
余り供を連れていかないのは、城の警備を疎かにするわけにもいかないし、目立つといけないという配慮からである。
「そーうーっ!」
馬車の窓から身を乗り出すことはさすがに、はしたないのでしないが、輝夜奈は大きめの声で、奏を呼ぶ。
それを聞き付けた奏が、周りの者に一言告げながら、馬車横に付ける。
「何でしょう?」
奏が答えると、嬉しそうに目を輝かせながら輝夜奈が言った。
「あのね、この近くに願いの森っていうところがあるんですって!行ってみない?」
「…………」
奏は早速寄り道か、と顔をしかめる。
「姫様……旅の目的はですね」
「わかってるわよ、でもこういうのを見るのも、私の旅の目的なの」
お願い、と可愛らしくねだる輝夜奈をみて、奏は仕方ない、とため息をつき、全体の進行方向を、願いの森に向けさせる。
「わーいっ、奏大好きっ!」
「はいはい」
先程から奏が何度も言っている旅の目的とは、輝夜奈達の国と友好関係にある国への挨拶へ回る事だ。
こんな旅に出ることになったのは、数か月前に、輝夜奈が他国を見てみたいと言いだしたことに理由がある。
輝夜奈は両親である王と王妃に頼み、どうしても外に出てみたいと懇願した。
さすがに王女を簡単に行ってこい、と出す訳にもあかないので、王が公的な役目を輝夜奈に与えたのだ。
その結果、奏と輝夜奈は旅に出ることを許された。
(まさか王様も、姫様の中の本当の目的が観光だなんて、思ってなかったんだろうな)
「ねぇ、奏は願いの森に行ったことあるの?」
ひょこっと奏に見えるよう、輝夜奈は体勢を前に屈める。
「えぇ、何度か。仕事で調査しにいったので」
「へぇ〜、じゃぁ着いたらガイドを頼むね」
言いおわると、輝夜奈が鼻歌交じりに馬車の中の椅子に深く座りなおす。
(と、言ってもあの場所に案内する所なんてないんだけど)
奏の小さな呟きは、秋風にさらわれ誰の耳にも届かない。
まだ、旅は始まったばかり――……
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