君の笑顔と向かい合う心 後編
奏が振り向くと、そこには咲緒が何の感情もない顔で佇んでいる。そんな彼女の様子に、奏は違和感を感じた。
「こちらへお越し下さい」
手招きされ、奏はドアの方を一回見やってから、仕方なく咲緒の方へ歩いていく。
そして輝夜奈の部屋から大分離れた場所に行き着いた。
「どうして止めるんですか?」
奏は真っ先に問うた。
「王女様は……あなたを自分の友達だと思っていらっしゃる。
今まで大人ばかりが、あの方の神守であった為です。急に来た自分と同い年のあなたは、王女様が初めて出会われた子供。
しかし、あなたは神守で彼女は王女。決してそのような馴れ合いの関係にはなってはいけないのです。
それを王女様に分かってもらうために伝えただけですので、あなたが気にする必要はないですから」
そう言い切った咲緒には、いつもの朗らかな雰囲気が無くなって、冷たいイメージを受けた。あの温かかった目は、今、悲しい色を湛えている。
「どうかなさったんですか……大臣様」
あまりの豹変振りに、奏は思わず咲緒に言われた事よりも、彼女自身の事を心配してしまう。
「何がです?」
「何がって……どうしてそんなお顔をなさっているんですか」
咲緒は奏に言われ、自分が無表情になっていた事に気づき、慌てて笑顔を浮かべる。
「いえ、ちょっと疲れていただけです。大臣の仕事も楽ではないんですよ」
それでもまだ、ぎこちない笑顔。
「どうして……そんなに急に……。
言ったじゃないですか、俺に。“自然なままで”って、姫もそれを望んでいるのに、どうして止めるのですか?!何があったんです、大臣様!」
自分を見上げる紅色の瞳が、咲緒には悲しかった。
けれど、大臣の長い伝統を崩すことも、一族を裏切ることも、咲緒には大きすぎて出来る事ではない。一度深く関わってしまえば、後戻りができない事を咲緒はどこかで知っていたから。
「あなたは王女様をただ危険から守ってくださればよろしいのです。
王女様に“お友達”など不要。それをただ思い出しただけです」
咲緒は奏の視線にも、以前として冷たい態度をとるばかりだった。
それで目線を足元に落とした奏の表情は、咲緒から全く見えなくなる。
静まった廊下に、奏の声が響いた。
「なぜ……不要だと……?」
「昔から……暗黙の了解のもとにそう言われています。私の家などでは、次期神と深く関わる事は重い罪とされるのです」
奏はその言葉に、顔を上げる。
「本当に姫に友人は必要ないと、“あなた”は思われたんですか?」
「はい…? どういう意味でしょうか、私には意味がわかりかねます」
奏の言葉の真意を咲緒は理解できなかった。
「家だとか、昔だとかおっしゃるので、大臣様は本当はどうお考えなのかと思ったのです。……数日前、俺に姫の話をなされたとき、大臣様は今よりもっと楽しそうに話されていた。
まるで大切なモノを扱うみたいに」
「王女は大切な方ですから」
「義務や立場からくるような存在の見方ではなく、純粋に姫を愛していらっしゃる顔をなさっていたと言いたいんです、俺は。
今のあなたは自分に嘘をつかれているんでしょう?」
咲緒は物凄く驚いた。あまりの衝撃に絶句して、何も言葉を返せない。奏に言われるほど、 自分は顔に出ているのだと、自嘲してしまう。
しかし、それくらいの気持ちで覆ってしまうほど、彼女の一族の掟は、甘いものではない。
「……例え、辛くても……私には家を……裏切る事はできませんから……」
それを辛うじて、奏に伝えると、彼はそれで全てを悟ったようである。
(本当に……この子は10歳なのかしら……)
一言で大人の事情さえ受け入れて、なおかつそれ以上は追求して来ない。そして二人の間には、しばらくの沈黙が続く。先にその沈黙を破ったのは奏だった。
「……俺は大臣様の家の事をとやかくは言えません。それぞれ事情は色々あるのでしょうから」
その考えは、咲緒にとって有り難いものだった。この配慮が奏を大人だと感じる、一番の理由かもしれない。
「……なら私の話、わかって頂けますでしょう?」
咲緒は安心して、ふぅと息をついた。
「神守は王女様を守るためにいるんですから……。さて、それでは今から……」
「けど」
奏が咲緒の言葉を遮り、そらしていた目を、すっ、と咲緒へ向ける。
「俺には大臣様のような、姫様に対する制約はないのです。だから、俺は姫様が望むままの形でいたい。あの方を悲しませる事は、したくないんです」
咲緒は思わず奏の肩を掴み、言い聞かそうとした。
「そんな事をしてどうするんですか……。いつかあの方は神となる身、手の届かない方となるのですよ。関わってしまえば……傷つくかもしれないのに……!!」
奏の表情を伺おうと、咲緒が覗き込む。しかし、そこには穏やかな笑顔が広がっているだけだった。
「俺は神守、姫様を守るために在る者です。傷つく事を怖れていて、何かを守ることなど出来ません」
そう告げると、奏は一礼して輝夜奈の部屋へ向かい、歩きだした。
それを追うようにして、咲緒が呼び掛ける。
「どうして……!? 神守として、大臣のいうことに背くなど……!」
言葉が最後まで紡がれる前に、奏が進めていた足をピタッと止めた。
「“守る”という事が、危険から救い出すだけの意味だとは、俺は思っていません。
……大臣様が、これからの俺の動きをみて、姫様に友人が不要という考えが、
どうしても変わらなかったら、どうかその時は俺を止めてください。
けれどまだ何もしていないうちに、だめだと言わないで欲しいです」
奏の小さなはずの背中が、咲緒には大きく見えていた。そこは力強いエネルギーに溢れていた。
「姫様は、今、泣いていらっしゃいます。だから俺は行くんです」
*****
奏が輝夜奈の部屋への前に着いた時も、中から全く物音は聞こえなかった。
「姫様……失礼します」
部屋のドアノブに手をかけると、鈍い音を立て、ゆっくりとドアが開く。
(鍵はかかってなかったのか……)
「……入らないでって、何度も言ったわよ」
もうすでに何人かが出入りしたのか、不機嫌そうな少し高めの声が響く。
(俺は今初めて、そう言われたんだけどね)
なんて心のなかで苦笑いをする。しかし、それを顔に出すことはしなかった。
奏は一息つくと、輝夜奈に本題を話すために、核心をつく質問をした。
「大臣様に何を言われたのですか?」
ピクリと肩を震わせ、輝夜奈の動きが止まる。
奏に背を向け、表情は見えないが、動揺しているのが見てとれた。
奏はゆっくりと輝夜奈に近寄る。
「……知らない」
そんな中返された説得力のない返答に、くすくすと奏の笑い声が漏れる。
「なんで笑うの!?」
「すっすみません、ちょっと……」
ばっ、と振り向いた輝夜奈の目元には、泣き腫らした跡があった。
そんな状態の彼女は、奏が近付いてきている事に気付き、その場を離れようと、部屋を逃げ回る。
「ちょっと……許可なく近付いて来ないで」
両手で顔を隠し、奏から離れる。まだ10歳と言えども女の子、泣き顔は見られたくないようだ。
仕方なくその場で立ち止まる。
それを見た輝夜奈は、じっと奏を凝視した。閉じていた口を開く。
「……ここに来たのも、役目だからなんでしょう…?なら、もぅいいから、ほっといて!!」
輝夜奈は叫ぶと、居たたまれなくなったのか、ベランダに飛び出す。しかし、そのベランダは、何故か手摺りが半分以上壊れていて、今にも崩れそうな雰囲気だった。
「ちょっ……! 姫、あぶな……!!」
奏は慌てて輝夜奈に駆け寄る。
「来ないでっ!」
輝夜奈は目を塞ぎ、肩を抱いて、その場にうずくまった。その様子から、全く状況に気付いていないことが分かる。
「いや、来ないでとか言う問題じゃなくて!」
そのベランダは、奏が乗ったら落ちてしまいそうな程で、奏はうかつに飛び出せなかった。
しかも手が届かない場所に輝夜奈はうずくまっていたので、奏からは為す術がない。
どうしようかと奏が、必死に考えている横で、事の大きさに気付いていない当人は、大粒の涙を流していた。
それに驚いた奏が、また慌てる。
「姫様っ!?」
「……ほっといてって……言っているじゃない。……どうせ、王女は一人でいなくちゃいけないものなんでしょ? あなたも、友達にはなってくれないんでしょ? なら、もうどこかに行ってしまってよ!」
そう言うと、そのまま泣き崩れてしまう。そして奏はそこで初めて、輝夜奈の心の傷の深さに気付いた。
泣きじゃくる姿が、胸にずしんとした鈍い痛みを植え付ける。
「……俺が……傍にいます……」
ぽそりと奏は、つぶやいた。
「え……?」
その言葉に、輝夜奈は顔を上げる。
彼女と目を合わすと、奏は意を決し、伝える。
「俺が姫様のお友達になって、あなたを守りますから……どうか泣かないで下さい」
「……本当に……?」
疑いの目を奏に向ける。しかし、奏の目を見て本気であることを感じ取った途端に、輝夜奈の表情が明るくなった。
「本当なんだ、嬉しい……ありがとう!」
輝夜奈の笑顔が、ぱっとそこに咲いた。さすがは10歳、感情の切り替えが素早い。
奏はそれに安心し、とにかく早く輝夜奈をベランダから連れ戻そうと、彼女に伝えた。
「とにかく姫様、今は早くこちらにお戻り下さい、危険です」
そう言われた輝夜奈はきょとんとした顔をして、ふと周りを見渡し、自分のおかれている状況にやっと気が付く。
「ひっ……!」
固まる輝夜奈に手を差し出す奏。
「さぁ早くこちらへ」
しかし、一向に動こうとしない輝夜奈を訝しげに思い、奏が尋ねた。
「姫……?」
首をがちがちな動きで、奏の方へ動かした輝夜奈の顔は、真っ青だった。
「私……高いトコ嫌いなの……このベランダは使わないから、取り壊すから、もう半分壊れてるんだけど。……どうしよう?」
輝夜奈の返答に、今度は奏が真っ青になる。
「と……とりあえず、動かないで」
奏は柱に掴まり、体重をベランダにはほとんどかけないような、ギリギリのところまで持っていき、手を伸ばす。
「掴まって下さい」
それを合図に、輝夜奈は奏に抱きつくような体勢で突っ込む。その勢いで、二人は思い切り後ろに倒れこんだ。
奏は慌てて起き上がると、素早く輝夜奈の体も抱き起こす。
「姫様っお怪我は!?」
「ないよ、ありがとう」
二人でほっ、と息を付いた。そして奏は、視線を合わすと心底呆れたという顔をして輝夜奈に言った。
「そもそも、何故高いのが嫌いなのに、ベランダにでたんですか」
「だって……逃げるのに必死で!それに、あそこしか逃げられる場所が無かったんだもの」
恥ずかしそうに話す輝夜奈に、奏は自然と笑顔が浮かんでいた。
「あっ!」
すると突然輝夜奈が声をあげる。
「な……何ですか?」
「奏が……笑ったぁ……」
やったー! と声をあげ、喜ぶ輝夜奈の前で、奏は一人状況を飲み込めていなかった。