君の笑顔と向かい合う心 前編
神守着任直後から、奏は休む間もない程忙しくなった。守るべき王女である、輝夜奈の元にも、あれ以来、一度も行く事が出来なかった。
(せっかく姫様を守るために神守になったのに、これじゃ全然意味がない)
残る仕事を片付けるために奏は城中を駆け回る。
広く天井の高い廊下を軽快に走る音が、城のあちこちで響いた。
小さな体で走り回っている様子は、城中の者にやる気を起こさせていた。
誰もが自分も何かをしなくてはと動きだし、城全体が活気づく。
「さすがはアイドル。効果が違いますね」
ある部屋の窓から、走り回っている奏を大臣が見ていた。
高い場所から見る奏は余計小さく見えて、ちょこまかと忙しなく動く姿に、笑顔が自然と浮かんでくる。
「アイドル?」
大臣の言葉に首を傾げて聞き返す者がいた。
薄茶色の髪、長さは肩を少し越えるくらいで、先がふんわりと内巻きになっている。それが色白の肌を際立たせていた。
「奏殿の事ですよ、王女様」
大臣にそう返され、王女と呼ばれた少女は一層首を傾げた。
「何で?あんなに無口でおとなしそうな子なのに」
「あら、実に可愛らしい顔で笑われますよ、あの方は。王女様の前だと緊張するみたいですけどね」
輝夜奈は色んな意味で驚いていた。まず一つは、
「何で私の前だと緊張するの?」
それに微笑みを返しながら、大臣は答える。
「私が奏殿をからかうために、色々言ったので」
「な……何言ったの?!」
顔を真っ青にして輝夜奈は大臣に詰め寄った。
「さぁ、何と言ったでしょう?」
その様子から、大臣に教えてくれるつもりがない事を、長年の付き合いがある輝夜奈は理解していた。なので、諦めて次の質問に移る。
「……咲緒は奏が笑う所を見たの?」
久しぶりに呼ばれた名前に、大臣は少し懐かしさを覚えていた。
「えぇ、何度も。それに今も笑っていらっしゃいますが、御覧になりますか?」
輝夜奈の体を窓に近付ける。すると今までおとなしかった輝夜奈が、咲緒の腕の中で暴れ始めた。
「いやーっ!!やめてよ、咲緒っ意地悪ーーっ!!私が高いのダメだって知ってるくせに!!」
「私が名前で呼ぶのはお止め下さいと、以前申し上げたのに、聞いて下さらないからお仕置きです。」
少し怒気を含んで咲緒が言うと、輝夜奈は肩をびくりと震わせた。それを確認し、咲緒は輝夜奈を解放する。彼女は見上げるような形で、咲緒に問うた。
「どうして、私はあなたの事名前で呼んではいけないの……?」
「あなたは王女、私は大臣という立場があります。それ以上でも以下でもありません。だから、馴れ合う訳にはいかないのです。」
物凄く傷ついた目をする輝夜奈に、咲緒は心が痛んだ。しかし、さらに言葉を続けていく。
「奏殿もお役目のため、王女様の傍に仕えるのですから……お友達などではありません」
厳しく言い付けると、咲緒は椅子に座りなおした。
「さぁ王女様、お勉強の続きをいたしましょう」
でも輝夜奈からの反応はない。不思議に思い、もう一度声をかける。
「王女様……?」
よく見ると小さな肩が小刻みに震えていた。
「……って……」
輝夜奈の口から漏れた、小さな声は届かない。
「今何と?」
「今すぐ、出ていってーーっっ!!」
振り返った輝夜奈の顔には涙はなかった。しかし、その表情は悲しみに溢れている。
それを見た咲緒は、おとなしく部屋を立ち去る事にした。
「分かりました。続きはまた明日にいたしましょう。……では失礼しました」
部屋を出た足で、咲緒はそのまま自分の部屋に向かう。そして、着いた瞬間、その場に崩れ
落ちた。
「感情のままに動いちゃだめよ。そんなの……王女の為にならないし、私の為にもならないんだから」
咲緒は自分の心に言い聞かす。
彼女の家は、由緒ある代々大臣をつとめる一家である。咲緒が王女に冷たくするのにも、ここに理由があった。
代々の大臣は次期神候補と、必要以上に馴れ合う事を自らの家の掟として禁止している。
もし、万が一でも掟を破ったものなら、一族追放と共に、厳しい処罰を与えられる、というくらい重い罪となってしまう。それは次期神候補が、現世に何か未練を残さない為だと、伝えられている。それともう一つは、大昔に彼ら一族の一人が起こした、大罪を自らで戒める為だった。
咲緒は小さい頃から、大臣となるため教育されてきた。そのために、掟は咲緒の中で絶対である。
どんなに良心が痛んでも、彼女にとって、それは許されない罪であり、侵してはならないものだった。
だから咲緒は決して輝夜奈と心を通わそうとはしないのだ。
*****
やっと仕事を終えた奏は急いで輝夜奈の部屋に向かっていた。しかし、城内の様子がおかしいことに気付く。城内にいる人々が皆、困った表情を浮かべていたのだ。
「どうしたんですか?」
背の低い奏に気付かなかった使用人は、不思議そうに周りを見回す。仕方なく奏は服の裾を引っ張った。
「おお、神守殿、すみません。今までこの城に、子供はあまりいませんでしたので、つい」
何やら申し訳なさそうに謝ってくる使用人の言葉を半分聞き流し、奏は自分の疑問への返答を待った。
「実は…王女様がお部屋から出て参らないのです。大臣様をお部屋から追い出されてしまってから。」
「えっ!どうしてですか?!」
奏が詰め寄るように近づくと、使用人は心底困ったように首を傾げた。
「それがよく解らないのです。多分いつもの我儘を言って、大臣様に怒られたのでしょう。……王女様も困ったものです。誰もお部屋に入れて下さらないのですから」
その言葉に、今度は奏の方が首を傾げる。それは直感みたいなものだったが、輝夜奈がそんな理由で閉じこもってしまった訳では無いような気がしていた。
「俺ちょっと見てきます。」
奏は使用人の制止の声も聞かず、輝夜奈の元へ走りだした。
「王女様っ!」
そして、凄い勢いで部屋の前まで来た奏は、ドアを叩き中にまで聞こえるよう、大きく叫んだ。
「……………」
返答はない。
「王女様、俺です、奏です。ここを開けて下さい!どうしたんですか!?」
一生懸命叫んだが、また返答はなかった。しかし……。
「……ぅぅっ……」
小さく嗚咽をもらす声が聞こえた。
(泣いている……!?)
その事に気付き、もう一度ドアを叩こうとした時だった。
「お待ちください。」
聞き覚えのある声が響いてきた。