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君の守る世界 菫国編―1―



――自分は無力なのだと思い知らされた――



*****


凍えそうな冬の風が、開かれた窓から流れ込んだ。

暖かな空間だった部屋は一気に冷え込む。

年季のありそうな煉瓦で造られた褐色の暖炉は、それに負けじと炎を激しく燃え上がらせた。

灰色の石造りの壁や天井に、炎の橙赤色の光が当たり、柔らかな色合いを醸し出している。

それほど広くはないが、部屋の隅には一人寝るのに十分なほどのベットが置かれ、床にはせめてものもてなしなのか、使い古されたような擦れた色のマットが敷かれ、部屋を彩っていた。

そしてその部屋の主は、開け放たれた窓の側に立ち、窓枠にそっと手を添えるとゆっくり顔を外に出した。

冷たい風が直ぐに吹き付け、薄茶色の髪を靡かせて熱を奪う。

白く刺すような色合いの月明かりが、その主の顔を照らした。

金色に輝く瞳は深みのある風合いを醸し出し、銀色に輝く瞳はより白に近い風合いへと変わる。

もともと白いのであろうその肌は、月明かりの下、更に白さを増し、まるで絹織物を思わせた。

しかしよく見ると、その肌には痛々しい傷跡があった。

左目のすぐ上から額にかけての切り傷。

それが少女の美しさに(ひび)を入れる。

均整のとれた美を崩す。

憂いを帯びた表情がそれを際立たせていた。

「姫様……せっかく温めたお身体が冷えてしまいます。窓をお閉め下さい」

月明かりに照らされる少女の背中に、奏は少し躊躇ってから声をかけた。

声がかかると、少女の背中が微かに揺れて、ゆっくりと窓は閉められた。

「わかったわ、もう寝るね……」

そう言って振り向いた表情は穏やかで、不自然なほどに静かだった。

それに気付いたが、何か触れてはいけないような気がして黙って出ていく事にした。

「わかりました。ではおやすみなさいませ」

きびすを返して扉へと向かう。

把手に手を掛けた時、後ろから声がかかった。

「っ……奏!」

ゆっくりと振り向くと、思い詰めたような顔した少女、輝夜奈がこちらに手を伸ばしていた。

「何でしょう?」

極力落ち着いた優しい声音で答える。

「あのね…………っ……ううん、何でもない。おやすみなさい」

何かを言い掛けるが、それを躊躇った後、笑顔を浮かべ誤魔化した。

しかしそれも敢えて指摘せずに部屋を出る。

廊下は暗く、所々に置かれている蝋燭の明かりを頼りに進んでいく。

(何度目なんだろう)

輝夜奈が何を言いたそうに奏を呼び止めては、なんでもないと痛々しい笑顔を浮かべるのは。

――約1ヵ月前、奏が倒れたあの日、どこかに出掛けていたらしい輝夜奈が、ヤズラに抱えられて、傷だらけで帰ってきた時には、キャンプ地は大騒ぎだった。

何があったのだと問い詰められたヤズラも、自分が駆け付けた際にはすでにこの有様で何も分からないのだと答えた。

今思えば、この時ヤズラは輝夜奈から口止めされていたのかもしれない。

執事が尋ねても、輝夜奈は何があったのか答えたがらなかった。

それ以来、明るく振る舞う輝夜奈の姿の裏で、ひどく落ち込んでいる姿が目立つようになったが、相変わらず誰にも何も話さない。

唯一奏には話そうかどうか迷っているらしいが。

一体彼女に何が起こったというのだろう。

今更ながら、あの時倒れていた自分が憎くて堪らなかった。

(何があったっていうんだ……?)

悔しさと焦りが身体に渦巻いて、心が重くなる。

輝夜奈が話してくれない限り奏には何もすることが出来ないのだ。

それがまた悔しくて堪らない。

輝夜奈の額に出来た傷を見る度に胸は締め付けられる。

幸い頬に出来た傷は消えたが、よほど深く傷ついたのか額の傷は一生消えないものになってしまった。

そんな風に考え事をしながら廊下を歩いていると、いつのまにか階段の前にまで来ていた。

トントンと小気味良い音を立てながら降りていくと、狭い通路と沢山の数の部屋を行った先に玄関がある。

それに向かってひたすら歩いていく。

各々の部屋で疲れを取っているであろう部下達に気付かれないように、音は立てないようにした。

かなりの年数が経っている宿屋であるらしく、気を抜いて歩くと床が軋む音が広範囲に広がってしまうのだ。

もう少し良い場所を選びたかったが、この宿屋がある村に辿り着いたのは日がすっかりくれてからだった上、大人数を泊められるのがこの宿屋しかなかった。

それにしても、次に向かう菫国は本当に遠いらしい。

思ったより無国地帯は広く、今日やっと菫国の領地にまで辿り着いた。

奏たちの旅は、威守族の物理的領地を含めた、大海と呼ばれる、名前の通りの大きな湖を囲む国々を回るものだ。

要するに城からスタートして、その大海の周りをぐるりと一周する旅。

それほど大変ではないと思っていたが、ここまで時間がかかってしまうとは。

これでもしその他の国々を回っていたら何年かかった事だろうか。

「考えたって埒あかないけど」

はぁとため息一つを残して外に出た。

村全体が冷たい色に染まる。

すっかり葉が落ちてしまった木々。

悲しい灰色を纏う家々。

村人が少ないのか、その家の数も少ない。

その場所で夜の闇が造りだす情景は、暗い心を更に掻き乱す。

宿屋の入り口から前の道に下りた。

舗装がされていないそこは大きな石も沢山転がっている。

この場所に来るまでにも沢山の村や街に立ち寄っては、こうやって夜を過ごして来た。

その時に見ていた空が綺麗だと思えていたのが、大昔のような気がする。

それほど長い間、輝夜奈はこの状態であったという事だ。

ずっと楽しみにしていたはずのこの旅。

触れた事のない文化や、人々の生活。

あの日からそれを目の前にしても、どこか上の空になり、考え込む事が多くなった。

すぐに元気になると思っていた人々の思いは虚しく、約1ヶ月経っても輝夜奈に元気が戻ることはなかった。

それどころか日に日に笑顔が曇っていく。

「そろそろ限界だな……」

あの明るかった王女がずっと塞ぎ込んでいるとあっては、部隊の士気にも少なからず影響が出る。

いつまでも誤魔化されている訳にはいかない。

だからと言って輝夜奈に詰め寄る事は出来ないだろう。

ならば奏に残された道は一つだった。

「奏様?」

下を向いて考え込んでいた奏の横から、突然声が掛かった。

顔をそちらに向けてみると、自分と同じ漆黒の髪を持つ青年、ヤズラがいた。

彼は宿屋の横にある、道を照らす役割を果たしている篝火(かがりび)の側に立っている。

照らされた顔はどこか疲れているように見えた。

無理もない、彼は元々人目が気になる性格。

王女の一件で信用はがた落ちとなり、部隊の者からは同情の目が飛び掛る。

その上、奏と同じ謹慎処分を受けなければならなくなったのだ。

王女の顔に傷をつける事態を防げなかったという事は、本来ならば国家部隊脱退と共に厳しい処罰を受けなければならない問題だったが、今回は輝夜奈が勝手な行動をした事が大きな原因であり、それを執事もよく判っていた為、罰は軽くなった。

そして何より輝夜奈が重い処罰を与える事を許さなかったのだ。

おかげで彼はこれからも部隊の中で働けるようになったが、真面目な性格が災いとなり、どこか負い目を感じているようだ。

……それともう一つ。

彼の心を悩ましているのであろう事がある。

「……あの、奏様……」

黙って彼の顔を見つめる。

篝火に照らされた顔が困惑の色に染まった。

このままではいけないと思っているのだろう。

いつまでも奏を誤魔化している訳にはいかないのだと。

しかし、輝夜奈との約束が彼を縛る。

輝夜奈もなかなか酷な事をするものだ。

きっと今は自分の辛さで一杯一杯なのだろう。

輝夜奈が事実を話さなければ、ヤズラが苦しい立場に立たされるなどと夢にも思っていないはずだ。

その不器用さは微笑ましいものでもあるが、時によっては何よりも残酷なものとなる。



――さぁ、(しがらみ)を解こうか……彼を縛る戒めを解こうか――



乾いた土を踏みしめて、ヤズラに近づいていくと次第に奏の顔にも篝火の灯りが届く。

耳が痛くなるほどの冷たい大気が二人を襲ってきた。

月明かりはなおも冷たい白を帯びて、空の一番上から見下ろし、星たちは弱い弱い煌きを放っている。

「……姫様には何も言わないつもりです。……何があったか教えてくれますか?」

ヤズラが息を呑んだのが分かった。

篝火が風で煽られ、一際大きな炎となり、ゴオォォッという音を立てた。

二人の同じ色を放つ髪が、同じように靡いていく。

灯りを受けて色が深くなった琥珀色の瞳が揺らいだ。

「わかりました。…………聞いて下さりありがとうございます」

どこか、ホッとしたような表情を浮かべて、ヤズラはゆっくりと重い口を開いた。


*****


「何故そのエリサが、王女様にそのように言ったのかは分かりません。けれど、王女様が傷ついたのは彼女の言葉であることは間違いありません」

話し終わったヤズラは、どこか明るい顔になっていた。

自分ひとりが事実を知っている事が、余程辛かったのだろうか。

「……それにしても、“こんな世界が嫌い”に“あなたが世界で一番嫌い”か……姫様があぁなるのも頷けますね」

ヤズラから話を聞いた奏には、衝撃と共に腹立たしさが生まれていた。

この世界を創っているのは、先代の威守族の人間であり、輝夜奈ではない。

「神を憎む者にとっては……威守族は全て同じなのかもしれないな」

ボソッと呟いて自分の中で感情を整理する。

「どうすればいいのか、私にはさっぱり分からず……もっと早くに奏様にはお伝えしなければならないとは思っていましたが」

申し訳なさそうな表情を浮かべ、頭を下げるヤズラを奏は慌てて止めた。

「こればかりは仕方ありませんよ。きっと今の姫様の心を、本当に晴れさせる事が出来るのは、そのエリサさんだけなんでしょうから。それにヤズラ中尉は姫様に口止めされていたんでしょう?」

「……はい」

見透かされているのにため息を付きながら、ヤズラは認めた。

それを横目で見ながら、奏も別のため息を付く。

どうすれば輝夜奈に元気を取り戻させる事が出来るのか。

全く検討も付かなかった。

菫国編、これよりスタートします。波乱の予感が漂うこの旅、さて、どうなっていくのか…………今回のBGMは平原綾香カバー『なごり雪』でお届けいたします。

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