君の守る世界 無国編―13―
今回、話の流れ上どうしても切る事が出来なかった為、今までの倍の長さとなりました。9000文字を超えております。ご注意下さい。
その日は、何もかもが上手くいきそうな、そんな予感がしていた。
*****
フワリと寒々しい風がテントに入り込み、輝夜奈の頬を撫でた。
被っていた毛布をさらに抱え込むようにして丸くなり、寝返りをうつ。
朝の光がテントの入り口の隙間から差し込み、顔を照らす。
その眩しさに、完全に夢の世界から覚醒させられた。
「んん……朝?」
目を擦りながら、ゆっくりと身体を起こす。
そうすると次第に意識がはっきりとしてきた。
それと同時に自分のいる世界を思い出し始め、薄い紅色の瞳を湛えた少年が頭を過る。
彼に会いに行かなければと慌てて床を抜け出して、身仕度もそこそこに自分専用のテントを飛び出した。
外は昨日とうって変わったような青空が広がり、もうすぐ冬が訪れるとは思えない程に暖かい陽気だった。
走りたい衝動を抑え込み、落ち着いた足取りで目的地へと向かう。
昨日みっともなく走った事を、執事にこっぴどく叱られてしまったのだ。
さすがに堪えたので怒りをかわないよう慎重に行動する。
半分の期待と半分の不安を抱え、真っ直ぐに歩を進めていく。
少年の閉じられた瞼の下に眠る、薄い紅色を見なくなって、どれくらいの日が過ぎたのだろうか。
4年前に出会ってから、これほど口をきかずに過ごした事はなかった。
「話したいこと……沢山出来たな」
奏が隣にいない数日が、もう何ヶ月も続いているような気がしていた。
けれど、それももう終わる。
奏が眠るテントまでの道は何も変わる事はない。
数日前と同じまま。
今までと違うのは、奏がこの先で笑っているかもしれない事。
昨日、医師は明日になれば目が覚めるだろうと言っていた。
言葉通りならば、もう目を覚ましているかもしれない。
思わず浮き立ちそうになる足を抑え、テントに近づいていく。
緑の葉に彩られた木々に包まれた黄色いテント。
見張りは休憩時間なのか誰もいない。
奏はまだ目を覚ましていないようだ。
覚めていれば、誰かが伝えにくるはずだろう。
そう考えて思わず嘆息する。
冷たい大気が渦巻く森は光に溢れていて、肌で感じる世界と視覚で捉える世界のギャップに戸惑いを覚えた。
頭を振って気を引き締めると、テントの入り口から中へと入る。
周りを見渡してみるが、医師はいなかった。
「水でも取りに行ったのかな」
疑問に思いながらも、大した問題でもないだろうと自己完結して奏の傍へ寄っていく。
昨日と変わらない寝顔に、ため息が出た。
「早く……目を覚ましてよ」
軽く額を弾いてみるが反応はない。
じっと見ていると、数年前まで日焼けの跡があった奏の肌が、すっかり白くなっているのに気が付いた。
外で遊んでいる暇もないくらい忙しかったという事だろうか。
神守なのだから当たり前なのかもしれないが。
輝夜奈は何となく胸を締め付けられた。
段々と見ていられなくなって視線を外すと立ち上がり、看病のために汚れたのであろうテントの中を掃除し始める。
急に入り口が開かれてパッとテント内に光が差し込む。
戻ってきたらしい医師がそこから顔を出して、掃除をしている輝夜奈を見つけると慌てふためいた。
「王女様!? そのような事はなさらなくて結構ですよ! こんな所を執事様が見られたら大変です!」
無理矢理終わらせると、綺麗な椅子を置き、そこへ座るよう促す。
渋々それに従い、椅子に腰掛けると、医師は真剣な面持ちで話しだした。
「奏殿はまだ目覚めておりません。高熱の続く病気でしたのでかなり体力が削がれたのでしょう」
ギュッと手を握り締めて俯いていると、片膝をついた医師が柔らかく微笑んだ。
「でも、もう大丈夫ですから……どうかそんな苦しそうな表情をなさらないで下さい」
その言葉にゆっくりと頭を上げる。
「違うの」
「違う……?」
突然泣きそうな表情になった輝夜奈を見て、医師は焦っていた。
それに構う余裕さえない輝夜奈は話し続ける。
「……私は奏が傍にいてくれるのが当たり前で、守ってもらうのも、当たり前で……何も感謝してこなかったんです、私は何もしてあげていない。それどころか奏にも辛い事たくさんあったのに、気付いてもあげられなかった」
入り口から入り込む風が髪をさらっていく。
下を見据える目には力がなかった。
「今回だってこんな事になるまで……!! こんな頼りない私じゃ、奏が何も話してくれないはずですよね。けれど話して欲しかった! 私は何でも話してるのに」
脈略のない話。
自分の中でも整理し切れていない気持ち。
けれど言いたい事はしっかりと医師に伝わったようだった。
「気付いてやれなかったご自分も憎いけれど、何も話してくれない奏殿に腹が立つと……?」
的確にまとめられた言葉に、こくんと頷いて返す。
輝夜奈の様子に、医師がため息をついた。
「……王女様は、奏様に見返りを求めてご自分のお話をなさっているのですか?」
「そんなわけないじゃない!! 私はただ自分がそうしたくてしてるだけだよ!」
軽く睨む様に返した。
そうすると医師は満足そうに頷く。
「そうでしょう……? ならば奏様も同じなのではございませんか?」
(あ……)
衝撃を受けたせいか、喉が詰ってすぐには声が出なかった。
「見返りなんて最初から求めていない、自分がそうしたいからそうしているだけ……その言葉は奏様のお言葉でもあるように私は思います」
サワサワと風が靡いて、テントに木の葉が擦れる音がする。
「……お二人の関係は、見返りの求め合いの上で成り立っているわけではないでしょう? それはもちろん感謝を忘れてはいけませんが、そんな風に思いつめるのは失礼な行為に当たるのでは?」
握っていた手を胸に持ち上げて、何とか落ち着こうとしたが動揺が隠せなかった。
自分は何と浅はかな考えを抱いていたのだろう。
また大切な事を見失いかけていた。
奏を裏切ったも同然かもしれない。
「それにもし、本当に何かを返したいならば、これからいくらでも出来るではありませんか。焦る必要はありませんよ、そういう思いやる気持ちは大切な事ですからね」
優しく微笑んでくれる医師に感謝を表す為に笑顔を返す。
「そうだよね……ありがとう」
気持ちが楽になり、身体の力が抜けた。
自分の斜め前にあった鏡がふと目に入る。
金色と銀色に煌く瞳が何とも情けなさそうに映っていた。
白い肌であるために寝不足の証である隈がはっきりと分かった。
今更ながら自分の有様に自嘲の笑みが零れる。
「ちょっと寝た方がいいかな」
「そうなさってくださ…………!!」
目の前で笑っていた医師の顔が驚きの色に変わり、言葉を途中で詰らせた。
「どうしたの?」
不思議そうに尋ねるが、言葉にならないのか、しきりに口を動かして後ろを指差す。
その指の先を辿ろうとした、その時――……。
「…………姫様……?」
ドクンッ!
周りに聞こえてしまうのではないかと思うほど、心臓が大きく脈打った。
この声を聞き間違えるはずはない。
ずっと、ずっと、待ち望んでいたのだから。
ずっと、ずっと聞きたくて仕方がなかったものなのだから……。
そう思うと妙な緊張が身体に走っていく。
振り向くのが怖いとさえ感じる。
けれど、確かめないわけにはいかなかった。
自分自身の目で。
輝夜奈はゆっくりと後ろを振り向いた。
瞬間、薄い紅色が視界に入る。
もう一度心臓が大きく脈打つ。
漆黒で癖のない美しい髪、鼻筋の通った顔、印象的な薄い紅色の瞳。
息が詰って、何の言葉も出ない。
なんと言っていいのかもわからない。
薄暗いはずのテントの中で、その光景だけが浮かび上がっているように見えた。
身体が自然と震えだす。
今まで吹き付けてきていた風も、動物の声も、木々のざわめきもピタリと止んでいた。
……時が止まった。
息が上手くできない。
どうやって呼吸していたのかも分からない。
まるで、御伽噺の言葉を無くした人魚のように、言葉を知らない子供のように、少しも動く事ができずにかたまっていた。
「姫、様……?」
遠くで鳴り響く鐘のように耳へと届く声。
様子がおかしい事を心配しているのであろう、その表情。
ひどく、懐かしい……。
(あぁ……奏だ……)
ふわっと優しく暖かい風が心の中で舞いだした。
「……そ……う……」
やっと声を絞りだしてそう呟いた瞬間、何かが一気に流れ始めていくような感覚を覚える。
それは体中を廻る血流。
それは生きる為の呼吸。
それは地上を駆け抜ける風。
それは世界を華やかにする藾。
それは全てを紡ぎだす刻。
それは光を映す、想いを乗せた涙……。
――ずっと、待っていた――
「……奏!!」
椅子が壊れるのではないかと思うほど、勢い良く立ち上がると奏に飛び付いた。
「うわぁぁぁぁっ!! ひ、姫様っ!?」
奏は予想もしていなかった衝撃で寝床へと逆戻りとなった。
状況がさっぱりわからないのか、困惑した表情を浮かべている。
自分に抱きついたまま火が点いたように泣いている輝夜奈をどうしようと、体勢を戻しながら、近くにいた医師に助けを求めた。
「奏様は流行り病を患って、ここ数日間ずっと眠り続けていらっしゃったんですよ」
奏の視線に気付いた医師が説明をしてくれた。
「えっ!?」
その言葉で奏の顔から色が消えていく。
どうやらかなり人に迷惑をかけたのだと瞬時に気付いたらしい。
「心配したんだからね! 奏の馬鹿ぁっ! 何でこうなる前に言わなかったのよ!」
痛くないくらいの力で、どんどんと奏の胸を打ちながら訴える。
安心して緩んだ涙腺はしばらく元どおりになりそうもなかった。
ずっと泣くのを我慢していた事も拍車になっているかもしれない。
「……すみません」
情けなくなるような声でぽつりと言った。
「もうっ本当にそう思ってるの!?」
問い詰めるように下から睨むと、しゅんとした表情の奏を見つける。
それが母親に怒られた子供の様で、思わず吹き出した。
泣きながら怒ったり、泣きながら笑ったり、輝夜奈は我ながら器用かもしれないと思った。
「もう、いいや……奏が目を覚ましてくれただけで十分だよ…………“おはよう、奏”」
ふわりと微笑んだ。
「あ……“おはようございます、姫様”」
朝の挨拶。
それは二人の日課。
けれどこれは二人がいなくては出来ないもの。
それを身に染みて感じ、大切にかみしめるよう言葉にすると自然と明るい笑顔が浮かんでくる。
「おはよう! 奏!!」
*****
ぱたぱたと忙しない音がキャンプ地に響き渡る。
「みんなー! 奏が起きたの! 奏が起きたのーー!」
血色の良い明るい笑顔で、風に靡く薄茶の髪を気にする事無く走り、周りの者たちに叫ぶ。
その嬉しくて嬉しくて思わず飛び跳ねそうな勢いの輝夜奈を見て、周りからも拍手が起こり、皆次々とテントの方へと走っていく。
「王ー女様っ!! 昨日あれほどはしたないまねはと……」
「高畑っ! 奏が目を覚ましたのよっ!」
「……聞こえていましたよ」
悪気は全くないのであろう輝夜奈は、執事の言葉を遮って嬉しそうに報告してくる。
その様子に執事は怒る気力を完全に無くしていく。
はぁ、と息を付いている間に、また輝夜奈は走り出していた。
「あっ!! 王女様どこへ!!?」
慌てて手を伸ばした頃には輝夜奈の背中は小さくなっていた。
嬉しさのあまり、余り周りが見えていないようだ。
「王女様っっ!!」
慌てて追いかけようとする執事を止める者がいた。
「王女様が行こうとしていらっしゃる場所は大体検討が付きます。私に行かせてください」
奏と同じ漆黒の髪に、琥珀色の瞳の青年。
「……じゃぁ頼みましたよ、ヤズラ中尉」
「はっ!」
すんなりと承諾してくれた執事に、信頼されているのを感じて我知らずに微笑みながら、急いで輝夜奈の後を追った。
(きっとあの人はあの場所へ行こうとしているんだろう。)
奏が目覚めた事を報告する為に。
自分の嬉しさを伝えに行こうと。
あの赤い髪の少女の許へ。
幸せの象徴であるかのように燦々と輝く太陽が、どこまでも続いている青空を泳ぐ。
この青空の下ならば、輝夜奈の髪はその瞳と同じような、金色の光を放っているだろう。
*****
――この嬉しい気持ちを何と言葉にすれば良いのだろう――
ずっと走り続けていた為か、輝夜奈の息は上がっていた。
それに構うことなく一気に坂道を降りていく。
ドレスが落ち葉に引っかかったりするが、それさえも気に留めない。
走りにくくても走る。
会いたいのだ。
伝えたいのだ。
一緒に喜び合いたいのだ。
2人目の友達と。
(きっと何も言わなくてもわかるよね)
輝夜奈は自分が今どのような顔をしているか検討が付いていた。
これほどわかりやすい事はないかもしれない。
それでなくともエリサは聡い人だ。気付かないはずがない。
そうやって考えながら走っているうちに見慣れた小屋が目に入ってくる。
林を抜けて、小屋へと一直線に進んでいく。
この道を通る時、苦しくて苦しくて泣きたいような気持ちだった事もあった。
寂しくて悲しくて景色が色を失ったように見えた。
けれど今日で、この場所は最高の景色として心に残る事となるだろう。
「エリサーー!!!」
嬉しさを隠し切れないまま、扉を勢い良く開ける。
バァァァン!
盛大な音を立てて扉は開いた。
中は数日前の光景が嘘だったかのように生まれ変わっていた。
それを見届けた後、どっと疲れが押し寄せて、思わずその場に座り込む。
「〜〜もう〜〜どいつもこいつも店潰す気かっちゅーねん」
店の奥から呆れた様な声が聞こえてきた。
「折角直したん無駄にする気やろ」
声が真上から聞こえてくる事から、先程より近くにまでやってきた事がわかった。
声音もどこか優しくて、怒ってはいない事が伝わってくる。
「ご……ごめん」
息も切れ切れに話すと、くすくすとエリサが笑った。
「あんた運動不足やな、ちゃんと運動してな病気するで」
はぁと深呼吸して息を整えた。
「お店、綺麗になったね」
「やろ? まぁうちにかかればこんなもん……ってまぁそれはいいとして、あんたもその様子からして奏君目ぇ覚ましたんやな」
その言葉にまた嬉しい気持ちが込み上げる。
その想いを伝えたくて、俯いていた顔を勢い良く上げた。
「うん!! 目を覚ましたよ!!」
「!!?」
溢れんばかりの笑顔であろう自分の顔。
しかし、見上げた先のエリサの表情は固まっていた。
しばらく沈黙が続き、さすがに首を傾げた。
「……エリサ?」
その声で我に返ったようなエリサは、信じられないものを見るような目をした。
その瞳に映る感情は読み取れない。
「あんた……その目の色……」
ぼそっと呟かれた言葉はやけにはっきりと聞こえた。
言われて自分の顔に手をやり、今はカラーコンタクトをしていなかった事を思い出す。
(しまった!)
慌てても後の祭り。完全にばれてしまった。
金色と銀色の瞳は次期神の証。
他に持っている者などいない。
ましてや真似をしようとする物好きもいない。
どうしようと考えて何も言えないでいると、エリサがふらりと離れた。
背中をこちらに向けていて、表情が見えない。
「そうかその目…………あんた、威守族の王女やな。ってことは…………輝夜奈=チェルノーゼム=アーリスト、それがあんたの本名か」
普段とは違う強張ったような低い声。
確認というよりは、確信したことを声に出して自分の中で整理しているといった感じだった。
「エリサ……?」
その豹変振りに思わず確かめずにはいられなかった。
「!! ……気安く呼ぶなやぁぁぁっ!!!」
物凄い大音量の怒声と共に振り向いたエリサは、まさに鬼のような形相だった。
屈託なく笑っていた少女の姿はどこにもなく、それは憎悪の塊と表現しても有り余るほど。
その刺さるような視線で背筋に冷たいものが走る。
何か底知れぬ闇のような黒い暗い感情がぶつけられている。
今までに感じた事がない恐怖が輝夜奈を襲ってきた。
「……よくも、うちを騙したな」
低く呻く様な声が届く。
何かを言おうとするも、音にならなかった。
「よく平気な顔してうちの前で笑ってられたよな……あんたらのせいで苦しんでるって言うのにっっ!!!」
収まらない怒りの念が波動のように伝わってくる。
「え……!!?」
エリサの言葉に目を見開く。どういうことだか全く理解できなかった。
「はっっ!! 自覚さえなかったってか!? おめでたい頭やなあんた!! 何でうちがここにいると思う!? 何でこんな場所があると思うんや!!?」
“こんな場所”、貧しさの余りに国から逃げ出してきた人々が住む無国地帯。
輝夜奈の頭の中にエリサから教わった事柄が浮かぶ。
しかしそれが何故輝夜奈のせいなのか分からなかった。
「こんだけ言ってもわからんか! まぁうちの話を聞いた時点で気付いてないんやから無理か……じゃぁ教えたるわ、うちがこんな場所にいるんは“この世界が平和じゃないから”やっっ!!!」
体中の血がザワリと音を立て、全身に衝撃が走る。
(この世界が平和じゃない……!?)
エリサの言葉を理解するのに少し時間がかかってしまった。
「そんな話、一度も聞いた事はない! 皆、平和だって……!」
信じられなくて、信じたくなくて、気付いた時にはそう口走っていた。
「それ、あんたが誰かに聞いただけやろ、例えばその国の王や重役達に」
冷め切った表情、侮蔑の感情を込めた声で言い放った。
確かに言葉の通りであったので何も言い返せないでいると、エリサは馬鹿にしたような笑顔を浮かべた。
「国民に重税を課したり、きつい労働させたり、拷問したりしてる役人が本当の事言うわけないやん! そんな事もわからんのかっあんたら威守族はっ!!」
髪を振り乱して叫ぶエリサ。
輝夜奈はその声で全身が痺れていくように感じた。
「上辺だけの平和に誤魔化されて、その国の内情、そこに生きている人らの声も聞いてないっ! 耳塞いで、目ぇ瞑って、あいつらに苦しめられている人ら見捨てて、それで満足かっ!? 満足なんかっっ!!?」
激しい追い立てに曝され、泣きそうになる。
知らなかったではすまされない。
嫌な汗が流れて、大きく速い鼓動が体中を支配する。
憎悪に満ちた目で睨み付けられ、身動きがとれない。
言葉はすでに音になる術をなくしていた。
「……何がっ、何が世界の王やっ! 何が神様やっ! 結局何もしてくれへんくせにっ! 自分達に見える範囲にしか目むけへんくせにっ! どんだけ祈っても、助けてって叫んでも助けてくれへんかったやんかっ!」
叫ぶと同時に手を横に薙払う。
細い腕が小刻みに震えているのがわかった。
歯を食い縛り、溢れる怒りに耐えているように見えた。
「……うちの親はなぁ、あんたら威守族を信じていつも祈ってた……なのにっ! 税が払えんくて、逃げなあかんくなってしまった! 家族全員で夜逃げしてる途中、役人に見つかってしもて母さんも父さんもひどい拷問されて死んでいった! 泣き叫んであんたら威守族の名前を呼びながらなっっ!!」
悲鳴のような叫びが小屋に響き渡る。
そんな悲惨な事があったとは、以前のエリサからは到底想像する事も出来なかった。
けれど、今目の前にいるエリサの目には、その時の映像が見えているのか、悲しみと憎しみの色しか映っていない。
それが、彼女の話が本当である事の証明になっていた。
「……妹だって、この場所に着く前に、してもない罪擦り付けられて殺されそうになったうちを庇って死んでいった! その時うちは空に向かって必死に叫んだよ! 助けてって! 何でもするから助けてって! それでもあんたらは助けてくれんかったやんかっっ!!」
エリサの言葉に息が出来なくなる。
その時の彼女の悲鳴が聞こえてくるようだった。
知らず知らずのうちに涙が零れていく。
これは何の涙なのか、輝夜奈自身、解らなかった。
しかし、それがさらにエリサを煽る。
「何であんたが泣くんやっ!! 卑怯やと思わんのっ!? 無責任やろ!! こんな世界を創ったんはあんたらや!!」
エリサの言葉に何も返せず、ただ泣き崩れるしか出来なかった。
(……あぁ)
……なんて、なんて無力なのか。
次の神になるなどと言われているが、輝夜奈自身に特別な力があるわけでもなく、困っている人の声だって聞く事が出来ないし、助ける事も出来ない。
「ごめんなさ……何も出来ない。私は何も……ごめんなさい……」
涙ながらに必死に謝る言葉もエリサには届かない。
無力な言葉は心に届く前に地面へと堕ちていく。
「そんな軽い言葉で片付けやんといて……!!」
ヒュンッと風を切り裂く音が耳元でしたと思ったら、すぐ後ろで、壁にガラスがぶつかり砕けた音がした。
同時に頬に痛みが走る。
ポタリと生暖かい感触が手のひらに伝わった。
目を手に向けると、真紅の斑点が模様のようになっていた。
それがまるで、エリサの拒絶の想いを表しているかの様で、心が痛かった。
夢であってほしいと現実逃避する弱い心を、頬に出来た傷が戒める。
「そんな軽い言葉なんていらんねんっ!! 父さんを、母さんを、サリアをっっ! 返してやぁぁーーーーっっ!!」
悲しすぎる叫び。
涙腺は壊れたかのように、止める術を知らないかのように、ひたすら涙が流れていく。
どうして、どうして、どうして、これほどまでに無力なのだろう。
風を切り裂く音がもう一度響く。
今度は目蓋の上から額にかけて痛みが走った。
一緒に切られたのだろう前髪がはらりと目の前を舞い堕ちていく。
目の前のエリサの手に、血の付いたガラスの破片が握られている。
「……返して」
ポツリと呟いたその目にはすでに色は無く、虚ろな表情になり、静かに涙が流れていた。
「返して」
遠退いていた足を一歩前に踏み出す。
「返して」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す。
「返してや……!」
震える両手でガラスを持ち、輝夜奈を見下ろす。
静かに見上げていると、エリサの顔は次第に崩れていく。
苦しい、辛い、悲しい、恨めしい、憎い。
負の感情を全て集めたような姿に見えた。
その時、バンッと扉が開く音と共に背中に光が降り注いだ。
「……はぁっ!? 何やって……って、王女様っ!?」
振り向いた輝夜奈の有様を見て、ヤズラの目が驚愕で見開かれる。
すぐに輝夜奈を立ち上がらせ、自分の方へ引き寄せると腰から剣を引き抜く。
「ってっめぇ……何のつもりだぁ!!」
込み上げる怒りのままに叫んだヤズラの姿に、エリサは再び憎しみの目を向けてきた。
「……いいなぁ、あんたは……神になるからって、無条件で守られて」
彼女の目からも涙が流れ続けていた。
やはりその目に光は映っていない。
「何が……何が神様や……っ! 何もしてくれへんねんやったら、ただの飾りの人形と大して変わらんやんかっっ!!!」
エリサの言葉は、まるで研ぎ澄まされた刃で斬りつけられたかのような、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を輝夜奈に与えた。
大きな音を立てて心臓が飛び跳ねる。
(……ただの、飾りの人形……?)
エリサの言葉が何度も何度も頭の中を流れていく。
「……うちはこの世界が嫌いや」
その言葉が聞こえた瞬間、また世界の音が消えた。
また世界の色が消えた。
エリサしか見えなくなった……。
そのあとに彼女が紡ぎだす言葉は音になって届いてこなかったのに、それを発するために象られた口の動きが脳へ、一枚一枚の絵のように張りついた。
『この世界であんたが一番嫌いや』
.
.
如何でしたでしょうか?後半は暗い話へまっしぐらでしたが、このシーンが無国編の中で一番書きたいものでした。これにて無国編は終りです。次回からまた新たな国へと舞台は移ります。今回は作者の都合でかなり長くなってしまった事をここでお詫び申し上げます。次回からは極力読みやすい長さに揃えていくよう努力して行くつもりなのでこれからも応援よろしくお願いします。
BGM
奏が目覚めて、エリサの場所に行くまで……元ちとせ『春のかたみ』
エリサとの対峙の場面……ナナムジカ『くるりくるり』