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君の守る世界 無国編―10―

鈍い白銀の光沢を放ち、鋭利に研ぎ澄まされた短刀が、辺りを不穏な空気へと変えていた。


輝夜奈は目の前の光景に、ただただ戦慄いていた。

頭の中も混乱していて、なかなか状況を理解できなかった。

目の前の光景は現実なのか、はたまた質の悪い夢なのか。

それさえもまだわかっていなかった。

しかし事態は、輝夜奈が状況を理解するのを待っていてはくれないらしい。

緊迫した雰囲気の中、胸に鉛が流れ込んだかのような感覚が襲い、息苦しささえ感じ始める。

「小屋の奥に入れっ! ゆっくりなっ!」

荒々しい言葉に従い、エリサはゆっくりと奥へ後ずさる。

しかしその目は勇敢にも、相手を睨み付けたままだった。

それが気に入らないのか、輝夜奈からも見える位置に移動した、体格のよい中年の男は、その手に握られた短刀をエリサの首に近付けた。

研ぎ澄まされ鋭い刃を持つ短刀で、小麦色に焼けた肌は、いとも簡単に傷付いて鮮血が滴り落ちた。

よく見ると、その男は汚らしい身なりでいかにも悪そうな人相だった。

「……気に入らんな、その目。泥棒したような薄汚い女が俺をそんな目でみるじゃない!」

そう叫びながら、ごつく太い指でエリサの顔に触れようとする。

その手を咄嗟に払い除け、エリサはより鋭くなった目で射ぬくように睨み付けた。

「汚い手でさわらんといてーや! しかも人を勝手に泥棒扱いしやんといて! あんたにそない言われる覚え、うちには全くあらへん!」

男はその言葉によほど腹が立ったのか、みるみる顔が赤くなった。

「こんの女ぁ!! 言わせておけば……!! どの口でそんな事がいえるんだ!?」

怒りに身を任せ、エリサに切りかかろうとする。

それを巧みにかわしていたが、避ける度に、ガシャーンッと凄まじい音を立てて店内は荒らされていく。

「ちょっ……!! 人の店壊す気か!!?」

「うるせぇ! 家の店の客奪っておいて自分の店の心配か!? こんな店潰れちまえばいいんだ!! 今日という今日はお前に思い知らせるために来たんだからな!」

エリサが焦りだしたのを見て、男はニヤリと笑い、さらに店の中を滅茶苦茶にし始めた。

「やめてや! ここはバイシャさんから譲り受けた大事な店なんやから!!」

悲鳴に近い声でエリサが叫ぶと、男は醜い声で笑い、顔を歪めたような笑みを浮かべる。

「ぎゃははは! バイシャか……懐かしい響きだ。あいつがいないこの店なんてクズも同然じゃないか! さっさと閉めちまえば良かったんだ、この店の名が穢れる前に!」

一頻笑った後、また店の中を荒らし始める。

薬草棚に入っているものを床に撒き散らし、その上に棚を投げ倒す。

凄まじい音が辺りに響き渡った。

男はそれに飽き足らず、店に飾られている、ありとあらゆる展示物や商品を壊していく。

綺麗に整えられていた店内が、見るも無残な姿へとなり果てた。

「止めてっ! 壊さんといてーーー!!」

それでもエリサは泣きそうになりながら、まだ唯一残る店のものを庇った。

その姿に心底嬉しそうな嫌な笑みを浮かべ、男は庇っている体ごと、ものを壊そうと腕を振りかぶる。

その手の先には、全てを傷つけ、破壊した凶器が握られていた。

エリサは無意識の内に肩を竦めて、目を固く閉じる。

「――……!!!」

……しかし、すぐに来るはずの衝撃が来なかった。

代わりに聞き覚えのある声が耳に届く。

「……やめて!!」

男が切りかかろうとした寸前、輝夜奈が二人の間に飛び込んで庇っていた。

戦慄く体を誤魔化すように、両手を大きく広げて自分より大きな相手を睨み付ける。

他に人がいた事を知らなかった男は、驚いて手を止めた。

「輝夜奈!?」

刺される思い、身を硬くしていたエリサも、輝夜奈の声に顔を上げると、庇われている状況に驚いた。

「どうしてそんな大人気ない事をするんですか! 怒りにまかせて話も聞かず、一方的に力で攻めるなんてひどい!」

凶器を持つ男に恐怖を感じていないわけではない。

それどころか恐くて腰が引けそうで、足の震えは止まらないままだ。

けれど、あの気丈で明るいエリサが泣きそうになっている姿など、見ていられなかった。

エリサが必死に守るこの店は、彼女にとって本当に大切なのだ。

こんな男に壊されては堪らない。

ましてや、目の前で傷つけられるのを黙って見ているなんて出来なかった。

「嬢ちゃん、怪我したくなかったら黙ってな」

男は低い声で呟く。

濁って輝きを失った目であった。

「嫌っ! エリサを傷つけないでっ!!」

必死の形相で男を睨み付ける。

「……これはこの辺りの掟だ。掟破りの裏切り者は、それ相応の罰を受けなければならん」

冷静さを取り戻したのか、声音が少し落ち着いていた。

振り上げていた手もゆっくりと下ろす。

「エリサが何をしたって言うんですかっ!? ……さっきエリサ、言ってた! “身に覚えがない”って! なのにっ!!」

高ぶった感情のままに男を責める。

「嬢ちゃん、知らないだろうが、ここらは明日生きていられるかの瀬戸際、要するに、ぎりぎりで生活をしてる奴らがごろごろいる。掟でも作らないと、毎日が血で血を洗うような戦場になるんだ。そんな場所での掟破りは重罪になる。それに……身に覚えがないとかぬかしてやがるが、この女は今までに何度もその掟を破ってきたのさ。今日だって家の店の客を奪った。……そうだろう? エリサ」

男は隠しきれない怒気を含めてエリサを呼んだ。

それに答えるように、ピクリと肩を諫めて、赤い髪を揺らしながらゆらりと立ち上がる。

その目は驚愕した彼女の心を映し出していた。

「ばれていないとでも思っていたか? 今までお前がやってきた掟破りの行為は、全部周りにばれている。……何度注意をしても聞かなかった上、とうとう周りから庇ってやってた俺さえも裏切りやがった。もう許さん! 世の中を甘く見るな!」

悔しくて堪らないといった風に、一度落ち着いたはずの怒りの炎を再び燃え上がらせる。

「うちは……うちは……! ただ、バイシャさんの意志を継ぎたいだけや! あんたらみたいに商人同士で結束して、ありえへんような値段で客にものを売り付けたりなんかしたないわっ!!」

エリサも負けじと声を荒げて相手を睨み付ける。

どちらも譲れない何かがあった。

「バイシャの意志を継ぐ? はっ! 笑わせんなっ! あいつはこの辺りを統べてバランスを保っていた男だ。だからこそ、みんなあいつに従っていたんだよ。なのにお前みたいな小娘がバイシャの後に続こうなんて無理に決まってるだろう! 甘ったれんな!! あいつがいない今、俺達は互いのルールを守る事でしか争いは避けられない!! なのにお前はその規律を乱して俺達の努力を水の泡にした!!」

男は怒りを込めて腕を横に振り払う。

その衝撃で花瓶が弾け飛んだ。

陶器が割れる音が響き、中の水が床へと飛び散る。

水はゆっくりと木製の床に広がって染みていく。

輝夜奈が黙ってしまったエリサの事を窺う為に、ふと後ろを向くと彼女が苦しそうな表情を浮かべているのに気が付いた。

直後、本当に苦しそうに搾り出したような声が届く。

「わかってる! わかってるわ!! うちがしてるんはあんたらを困らす事なんやって!! けど!! けど……! うちは約束したんや、バイシャさんの意志を受け継ぐって、この店を絶対に守ってみせるって、死の間際にあの人に誓ったんや!!!」

輝夜奈には、エリサの決意の固さがひしひしと伝わってきた。

小刻みに震える肩は、痛々しい程に華奢な造りで今にも折れてしまいそうだ。

涙を必死に堪えて、彼女はなおも言葉を続ける。

「だからうちはこれだけは譲れへん! 約束を絶対に守り通したいねん!」

俯いていた顔を勢いよく上げた。

先程は苦しそうに歪んでいた表情も消え、強い意志のこもった目を湛えている。

その力を込めた瞳は、少し、奏と似ていた。

変わらない、揺るぎない、誰にも、何にも屈しない、強い意志を持つ、あの少年の瞳に。

「そうか……」

輝夜奈と同じように彼女の意志の強さを感じ取ったのか、男はため息混じりに視線を床へと落とす。

「なら」

ぼそりと低い声が耳に届いた瞬間、輝夜奈の視界が急に転換した。

「痛い目みてみるか?」

気付いた時には男の声が近くで聞こえるようになっていた。

首筋にひんやりとした感触を感じ、横目でそれを伺うと先程エリサの首に傷を付けた短刀があった。

「なっ!? 輝夜奈っ!!」

後ろにいたはずのエリサが目の前で青ざめているのを見て、自分が人質にされたのだとやっと理解する。

「何を……っ!?」

「言ってわからないんだろう? ならこうするしかない。……ほら、この嬢ちゃんが怪我してもいいのか? 嫌だったら俺たちに従うと誓えっ!」

男の本気が伝わってきて、輝夜奈は背筋に嫌な汗が流れてきた。

エリサの表情がみるみる曇っていく。

このような顔をさせているのは自分だと思うと居たたまれなくなり、男の手を振りほどこうと必死にもがく。

「はっ……なしてっ! 卑怯者! こんな手まで使うなんて最低!」

キッと睨み付けて手足をジタバタさせる。

「うるさい! 静かにしてろっ! だいたいよそ者のお前に、ここの何が分かるってんだ!? 何も知らないくせに生意気な口聞くんじゃねぇよっ!」

この男は既に、輝夜奈がこの辺りの者ではないことに気付いていたらしい。

「大人をなめるんじゃないっ!!」

怒気を顕にした声が頭上から降り注ぐ。

その声に無意識に体が萎縮する。

ビュンッと空気を切り裂くような音がした。

「輝夜奈ぁーーーっっ!!!」

耳を劈くような悲鳴が聞こえた。

ゆっくり、ゆっくりと……世界が動く。

エリサ以外の景色が持つ、鮮やかな彩りが、全て、色を無くしたかのように見えた。

目の前のエリサが段々と近くなって、しまいには視界が真っ暗になる。

同時に温かな温もりが自分を包んでいるのに気付き、エリサに庇われたのだと分かった。

「……エリ……サ…………?」

まさか、まさか、と心臓が早鐘を撞くように高鳴る。

最悪の事態が頭を横切った。

呼びかけても反応が返ってこない事が、さらに不安を煽る。

ガクガク、と音を立てながら体が震え始めた、その時。

「……そこまでだ」

真っ暗で見えなくなった視界の中、聞き覚えのある声が聞こえた。

その瞬間体の震えは止まる。

ふと視界に光が差し込み、輝夜奈の事を抱き締めていた腕の力が緩んだ。

ゆっくりと上を見上げると、茫然としているエリサを見つける。

「……ヤ……ズラさん……?」

声を上げたエリサの視線を辿ると、振り下ろされそうになっていた腕を掴んでいるヤズラがいた。

「なっなんだてめぇっ! 急に現れやがって、その手を放せっ!!」

男は、急に登場したヤズラの存在に慌てずにはいられない様子だった。

ヤズラは無言で男を輝夜奈たちから引き離す。

「このっ! くそっ! 放せぇっっ!」

短刀を持った方の腕は押さえ付けられているので、もう片方の腕で必死に抵抗していた。

その振り回された腕をサッと避けると、すばやく男の背後に回り込み、掴んでいた腕を捻りながら締め上げる。

「いててててぇっ!! このくそぉっ!!」

苦しむ男の顔を目の前に、余計にギリギリと締め上げ、ヤズラはゆっくりと言い放つ。

「うちの大切な御方に手を挙げるとは……いい度胸だ。骨の二本や三本は覚悟しておけよ?」

身分を明かしていない輝夜奈を気遣ってか、彼は“王女”とは呼ばなかった。

「ひぃっ!!」

ヤズラの殺気に、男は身震いをして叫びにならない悲鳴をあげる。

「ヤズラ中尉っっ!!」

そこへ慌てて輝夜奈が止めに入った。

しばらくヤズラは反応しなかったが、ちらりと輝夜奈を伺い、自分を責めるような視線を見てため息をついた。

「……はぁ。……命拾いしたな、この御方の心が広くて……感謝しろよっ!」

そう吐き捨て、命令に従い解放する。

その拍子に床に転がった男は、怯えた顔をして慌てて出ていった。

後にはもう、見る影もない程に崩壊した店が残された。

辺りを見回すと、何とも言えない悲しさが漂ってくる。

エリサの明るい笑顔が似合う、暖かな雰囲気を持った店は、もう無くなってしまったのだ。

それをありありと感じさせられる。

輝夜奈の背後で、ガタンッ、と何かが崩れたような音がした。

驚いて振り向くと、エリサが床に崩れ落ちていた。

「……っ」

その姿を認めた輝夜奈が駆け出し、エリサの体を抱き締める。

「ぅっ……ぇっ……店がぁ……」

小さな声で我慢したような嗚咽をもらし、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

言わなくともその先はわかっていた。

「うちだって、あの人らの気持ちが分からんわけちゃうし、うちが間違ってるのかもしれへん……!!」

「うん」

エリサにも分かるように大きく頷く。

「けど、ここはうちの大切な場所やねん、ここを守りたいねん……!!!」

「うん!」

彼女をもう一度ぎゅうっと抱き締め直した。

震える肩を少しでも支えてあげたくて。

ちらりと視線を彷徨わせると、少し離れた場所でヤズラがその様子を見守っている。

しばらくして、背中に回る腕の感触で、輝夜奈はエリサに視線を戻した。

「この世界で独りのうちには、この店がバイシャさんの形見なんや……!!」

先程からよく上がる、バイシャという名前。

何も知らないが、エリサにとって、とても大切な人物であった事が伺える。

しかし、彼女の支えだったその人は、もういないらしい。

それでも、その人との約束を糧に、彼女は生きている。

エリサは輝夜奈にすがりついて、もう涙を抑える事もなく、泣き叫んでいた。

その時、静かな空間に唯一響いていたのは、少女の悲痛な叫び声だけだった。

「ここは……! ここは……! うちのっ! 生きる“希望”なんやぁぁぁぁーーーっっ!!」





――だから、どうか……どうか……誰も、奪わないで……何も、壊さないで……私の、生きる場所……――




.

今回から、私が小説を書いているときに聞いている曲を紹介していきたいと思います。家にその曲があるという人など、よかったら聞いてみてください。それではまず、今回の話のBGMです!ナナムジカの『くるりくるり』

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