君の守る世界 無国編―8―
ヤズラが、すがりつくエリサを必死の思いで引き離して小屋を出た時には、空がもうオレンジ色に染まり始めていた。
日が暮れる前にと二人は急ぎ足で帰る。
「ヤズラさーーん! また来てやぁ! 色々サービスするでぇ!」
どんどん小屋から離れていく二人に、後ろからエリサが大声で呼び掛けた。
「ヤズラ中尉ってもてるんだね。」
無視するヤズラに代わって、輝夜奈が手を振り返す。
「お褒めに預かり光栄ですが、これはさすがに嬉しくないです。」
かなり機嫌を損ねた様子のヤズラに思わず苦笑が漏れる。
6歳も年上のはずなのに、奏の方が大人びているような気がするなんて、口が裂けても言えないだろう。
そう思い、それ以上は口を紡ぐと二人の間に沈黙が続く。
ふと輝夜奈の顔に陰りが見え始めた。
「……ねぇ。」
突然思いついたかのように声を出した。
「エリサさんが言ってた事って本当なのかな?」
ヤズラは意図が理解出来ず、問い掛けるような視線で返す。
「この辺りには、貧しさで国から逃れてきた人ばかりがいるって。」
「……いえ、私は外交問題には携わっておりませんので。申し訳ございません。」
真面目に問われているのだと気付き、少し考えて答えを返した。
「……そう。」
弱々しい声が響いた後、それっきり二人は会話をする事もなくなり、キャンプ地へと急ぎ足で帰っていった。
*****
「ただいまぁ、遅くなってごめんね。奏の容体どう?」
奏が寝ているテントにまで帰ってきて、看病している者たちに声をかけた。
「目を一度も開ける事無く、ずっと熱にうなされていらっしゃるままです……。」
深刻な表情をする部隊の者たちを見て、容体は思わしくないのだと悟る。
二人は一言断りを入れ、買ってきた薬草を煎じて飲ませるために、テントに入っていく。
そのついでに、中で看病している者達と交代する。
中では朝と変わらない、苦しそうな顔で寝込んでいる奏がいた。
ゆっくりと近付き、額に乗せられたタオルに触れる。
今さっきまで外気に曝されていた輝夜奈の手は、かなり冷えていて、奏の額に触れると、温度差から手がジンジンと痛んだ。
(……早く元気になって。話したい事とか聞きたい事とか沢山あるの。このままなんて嫌だよ。)
すっ、と奏の手を握り、それを自分の額へと当てて、一生懸命に祈る。
その後ろ姿をヤズラだけでなく、テントの外から皆が見守っていた。
しばらくして、ヤズラが輝夜奈へ呼び掛けて薬草を煎じ、奏に飲ます。
「これできっと熱が下がりますよ。」
ヤズラが、不安げな表情のままの輝夜奈を安心させるように言った。
「そうだね。」
その心遣いに感謝しつつも、依然として晴れない気持ちを抱えていた。
「王女様。」
突然テントの外から執事の呼び声が届いた。
「お食事の準備が整いましたゆえ、呼びに参りました。冷めない内にお召し上がり下さい。」
どうやらもう夕食の時間らしい。
「でも……今は私が看病にあたる番だから。」
奏の傍を離れたくないのか渋っている彼女に、執事はため息を漏らす。
「心配なのは分かりますが、何も食べなければ貴方様が倒れてしまいますぞ。そうなっては奏殿の看病どころの話ではなくなります。」
駄々をこねる子供を優しく諭すような声だった。
「でも……。」
それでも渋る様子に、もう一度ため息が漏れる。
「お召し上がりになって下さらないと、他の者たちが食事にありつけません。王女様より先に食事を済ますなんて言語道断ですので。……周りの事もお考え下さい。」
言うか言わないかを、ぎりぎりまで躊躇ったような言葉は、輝夜奈の心にグサッと刺さる。
周りの事を考えていなかった自分の行動が、急に恥ずかしくなって頬が紅潮していく。
「わかった。食べるわ。」
奏の看病はヤズラに任せ、素早くテントを出た。
顔をあげる事が出来ず、うっすら涙が滲んでくる。
泣きたくて堪らない感情をずっと抑え込んで、不安な気持ちを隠していたが、それに気を取られて周りの事が考えられなかった情けなさに、涙腺が弛んだらしい。
(泣くな、泣くな、泣くなっ!)
自らを叱咤し、気を引き締め、深呼吸してから顔を上げる。
そんな輝夜奈の葛藤を見ていた執事は、悲しみや心細い気持ちを必死で隠す、その小さな背中に心を傷めた。
自分の発言は、今の彼女には少々きつい言葉だったかもしれない。
しかしあのまま看病にあたっていたら、輝夜奈は気を張りすぎて倒れそうだったので、どうしても休ませたかった。
朝から薬草を探しに行き、帰ってきたらすぐに看病にあたって、かなりハードに動いている。
これではいくらなんでも体力が保たない。
こんな風になるほど、輝夜奈にとって、奏の存在は大きな支えだったのだと、改めて認識せざるをえない。
執事は、そっとテントの入り口を開けて、中で横たわる奏を見る。
苦しそうな呼吸を繰り返す姿が何とも痛ましい。
「早く良くなって下さいよ。これ以上王女様にあんな表情をさせたままでは許しませんからな。」
呟いた言葉は冷たく突き刺さるようだったが、発したその声にはどこか優しさが滲んでいたのを、ヤズラは静かに聞いていた。
結局、その次の日は薬草の効果が表れず、丸一日高い熱は引かなかった。
皆の表情も悲壮なものになっていて、医者はまだ帰らないのかと頻繁に香椎国の方角を気にしていた。
そしてついに、日が暮れても、医者達が帰ってくる事はなかった。
しかし、その日の早朝に皆とって嬉しいニュースが舞い込んだ。
「えっ!! 奏が目を覚ました!?」
「はいっ! 薬草の効果か、熱がやっと下がりまして……あっ王女様っ!?」
わざわざ報告に来てくれていた隊員の話もそこそこに、輝夜奈は自分専用のテントを飛び出して、奏のいるテントへと走りだした。
木々に囲まれた森の中にいるというのに、どこからか強い風が輝夜奈を後押しするように吹き付ける。
まだ緑を残している木が取り囲む場所に、目的の場所はあった。
風に揺れた木々は優しく輝夜奈を誘う。
朝の光がうっすらと差し込み、森を照らしていた。
どこか景色が明るく輝いているように思えた。