君の守る世界 無国編―6―
輝夜奈は真剣な眼差しで話を聞いていた。
話が終わると、今は漆黒に染まっている双眸が閉じられる。
「そんな事が。」
ポツリと呟かれたが、声はしっかりとヤズラの耳に届いていた。
「すみません、こんな話を王女様に。」
輝夜奈の様子を見て、苦笑しつつ謝罪を述べる。
「ううん、いいの。」
フルフルと頭を横に振って、気にしていない事を示した。
「ただ、私の知らない所で色々起こっているって初めて知ったから。」
閉じていた双眸が再び開けられ、哀しげに揺れる瞳がヤズラを捉える。
「私、皆が奏の事を好きなんだと思っていた。神守なんだからそれが当たり前なんだって。……違うんだね。」
輝夜奈は王女として育てられて人の悪意や嫉みなどから守られてきた。
今まで直接彼女という人間に対して悪意を向けられた事はなかったはず、ならば自分がした話の内容はかなりの衝撃だったかもしれないとヤズラは思った。
「今まで色んな国の事を知るために沢山の本を読んできて異国の事も理解していたつもりだったけど、こんな近くに知らない事があったなんて……私、本当にまだ世界の事何も知っていないのかもしれない。」
独り言なのか返答を求めたものなのか、判断しにくい言葉だった。
答えられずに黙っているヤズラを気にする事もなく、座っていた岩から腰を上げて背筋を伸ばして立ち上がる。
その態度から先程の言葉は独り言だったのだとわかった。
目の前に広がる、山々の鮮やかな色彩に包まれた景色は美しい。
晴れやかに澄み切った空の青と地面にある落ち葉の茶に挟まれた中で赤い色がよく映える。
その色が、優しい微笑みを浮かべた奏に重なって見えた。
深呼吸をして一拍間を置いてからヤズラへ声をかける。
「さぁ、また薬草を探しに行きましょうか!こんなゆっくりしてちゃだめだよね、急がないと。」
少し休憩をして元気を取り戻したと思って貰えるように声を明るくするよう努めた。
「そうですね。」
そのおかげかヤズラはそれが空元気だとは気付かなかったようで、また二人は黙って歩き始める。
また薬草を探し始めたのはいいが輝夜奈の頭の中では先程の話が離れなくなっていた。
一刻も早く薬草を見つけないといけないのは分かっていたが。
(奏にそんな事があったなんて知らなかった。)
今までに奏に対し、敵意を向けている人を見た事がないわけではない。
実際執事が目の前で奏に厳しく当たっていたのを見た事もあった。
それは年若い神守である為に何かと心配していたからで、決して奏個人を嫌っていた訳ではなかったが、それでも奏は相当参っていた。
ならば本当に自身へと向けられた敵意は、一体、どれほど彼の心を傷つけたのだろうか。
話によると、ヤズラとの事件が起こったのは二人がまだ12歳の時。
その頃、輝夜奈は今より奏にべったりで暇さえあれば一緒にいた。
毎日のように一緒にいて、笑いあって、本当に楽しかった。
でもそれは輝夜奈が思っているだけであって、奏は本当に幸せだったんだろうか。
本当は何かをずっと耐えて、ずっと一人で辛い思いをしていたんじゃないだろうか。
輝夜奈は自分の無知の程を呪いたくなる。
奏を嫌うものなどいないと根拠もない事を信じて、目隠ししていたのも同然かもしれない。
今話を聞いていた限りでは確かに彼が皆に好かれているのは事実なのだろう。
けれど、他にもヤズラのような事があった者がいなかったという確証はないのだ。
(私は本当に守られていたんだね。)
奏と過ごした4年間を思い返すと、辛くて悲しい事が起こったような覚えは特にない。
(でもちょっと寂しいよ。)
何かあったなら教えてほしかった。
これは輝夜奈の我侭だけれど。
(辛かった事、隠さなくてもよかったのに。)
寂しさを感じている自分の勝手さに厭きれてしまう。
それが彼の優しさだと知っているのに。
何時の日だったか、風邪で寝込んでいた輝夜奈の傍らで真剣な顔をした奏が誰かに言っていた。
『俺が姫様を守ると決めたんだ。だから何も辛くなんかない。』
誰に言っていたのか、何でそんな事を言ったのかは輝夜奈には分からなかったけれど、熱で朦朧としていても分かった。
奏の決意の強さと優しさ。
まだ奏が公の場でも“俺”という人称を使っていた頃の話。
それをまだ少し残っていた意識の中ではっきりと聞いた時、泣きそうになるほど嬉しかった事を今でも覚えている。
初めて会った頃から変わらず守ってくれた。
それを当たり前に思っていたかもしれない。
(こんなんじゃ奏が私には何も言ってくれないはずだわ。もっと強くならなくちゃ、もっと色々勉強しなくちゃ。)
輝夜奈は自分に言い聞かせるように意気込む。
すると、
「王女様。」
後ろからヤズラが遠慮がちに声を掛けてきた。
「なぁに?」
不思議そうな表情を浮かべて振り向くと、困った顔をしているヤズラと目が合う。
「いえ、ずっと止まったままでいらっしゃったのでどうかしたのかと。」
どうやらずっと考え込んで動きが止まっていたようだ。
「ごめんね、大丈夫だから。」
ヤズラならこういえばきっとそれ以上追求してこないだろう、そう思いまた背を向けて薬草を探す。
案の定何も追求してくる事もなく、また無口な彼に戻って輝夜奈の護衛に努めている。
ふと、視線を地面から離して上へと向けると遠くの山が穏やかな光を受けて優しい雰囲気になっていた。
風がまた輝夜奈を包む。
こうしているとまるで自然にも守られているような気がした。
その風に導かれて、視線をさ迷わせていたら、自分のいる小高い丘の上から森を抜けた場所に小屋を見つける。
「こんな山の中で誰か住んでるのかな。」
じっと小屋を眺めていると、なぜかそこへ行かなくてはならないような気持ちになる。
それは多分直感だった。
無言のまま足を小屋へと向けて丘を下る。
木が余り生えていなかった場所から木々が生い茂る場所へと足を踏み入れると、視界が全て赤、黄、オレンジや茶に染まった。
カサカサと足元の落ち葉が音を立てて小屋へと導いていく。
ヤズラも輝夜奈の傍を離れまいと背を追いかけて早足になった。
しばらくすると先の方に小屋が見えて来る。
「こんな所に小屋が。」
驚いているヤズラを一瞥した後、小屋へと視線を戻した時、何かに気付いたようで脇目も振らずに小屋へと走りだした。
「えっ!? あのっ……王女様!??」
後ろ手慌てている声も耳に入らなかった。
高ぶる感情を抑えることもなく、ただ必死に小屋へと走る。
見えたのだ。
小屋の入り口の近くにある看板に“薬草を売っています”の文字が。
先程輝夜奈が感じた直感は正しかったようだ。
(これで奏の熱が下がるかもしれない! 楽にしてあげられる!)
嬉しくて嬉しくて、それ以外何も考えていなかったので走ったままの勢いで小屋の扉を開けると激しく何かがぶつかる音がした。
開けてから我に返った輝夜奈はやってしまったと青くなる。
「えらい騒々しいお客さんやな。人の店壊す気なん?」
その声につられて目を小屋の中に向けると、薬草を積んでいるのであろう沢山の棚の前で呆れたような表情をした赤毛の少女が立っていた。
「すっ、すみません!」
慌てて謝罪をすると、赤毛の少女がため息を一つついた。
健康的に日焼けした肌がよく見えるような派手な服に身を包んでいる彼女は、顔にどこか幼さを残しているものの輝夜奈より年上なのか、しっかりしている印象を受ける。
「まぁいいわ、なんとか壊れてないみたいやし。で、お客さんは何を買いに来たん?」
手招きするように手を広げる少女に従い店に入り、ヤズラも輝夜奈について外から中へと入る。
特徴的なイントネーションで話す人だなと思いつつ、話を進めようと欲しいものを告げる。
「えっと、この紙に書いてある……。」
「いっややわぁーーーー!!」
しかし、いざ伝えようと医者から貰った紙を取出しながら話していたら、それは赤毛の少女の黄色い声で遮られた。
「めっちゃいい男やん! お客さんのお連れさん!?」
気付くと輝夜奈の前にいたはずの少女はヤズラに詰め寄っていた。
「は!? 何なんだよあんた!」
詰め寄られたヤズラは顔を覗き込んで来る少女から一歩後退り、思わず素に戻って口が悪くなっていた。
「お兄さん、かなりうちの好みやわぁ名前なんて言うん!? あっ、ちなみにうちはエリサっていうねん。」
誰も聞いていないのに、ちゃっかり自己紹介している。
「や……ヤズラだけど。」
凄んだのに全く動じなかったエリサに圧倒され、たじたじになっている。
「ヤズラさんかぁ、なんかうちらお似合いとちゃう? ほら、ヤズラとエリサ、うん! やっぱりお似合いやわぁ、うちらの出会いは運命かもしれへんで! お客さんもそう思わへん!?」
急に話を振られ、輝夜奈も口をパクパクとしか動かせない。
「何なん、何でそんな金魚みたいにしてるんよ。…ん!? もしかしてお似合いすぎて何も言えへんとか!?」
客の話を遮った上、全ての事を何と自分に都合のいいように解釈する人なんだろうか。
(何だかこの間からこんな人にばかり会っているような気がする。)
まさかまたドッキリだったりして、と気が遠くなりそうだった。
……おかしい。最初はシリアスな雰囲気だったのに。キャラ一つでこうも変わるものなんですね(笑)エリサも最初はこんな明るいキャラにするつもりなかったんですが流れ上こうなってしまいました。予定より無国編は長くなりそうです。