君の守る世界 無国編―4―
更新がかなり遅れましたm(__)m
事件が起こったのは、奏が神守に着任してから2年の月日が経った、ある不安定な天気の日だった…。
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「ヤズラ中尉、悪いんだがこれを運んではくれないか?」
ヤズラが声のした方向に顔だけを向けると、上位の者が書類の束を持って佇んでいた。
「わかりました…。」
その男から書類を受け取る。
「これを神守殿の仕事部屋まで運んでくれたまえ。急いでな。」
「……はっ!」
一瞬、“神守”という言葉に眉をひそめるが、すぐにそれを誤魔化し短く答えると男に背を向け、目的地へと向かい始めた。
「…ったく。俺が若造で、しかも部下だからって、こき使うのかよ。…だいたいただでさえ、あのガキには会いたくないってのに部屋になんか行ったら十中八九あいつに会うじゃねぇかっ!」
周りに聞こえないように文句を言いつつも、早く頼まれた仕事を終えてしまおうと、荷物を落とさないくらいの速さで歩く。
元来、彼は真面目な性格であるので頼まれた仕事は、きっちりこなそうとする性質なのだ。
例えそれが嫌な仕事であったとしても。
しばらく廊下を歩いていると、笑い声がしたような気がして歩く足は止めずに、廊下の横に隣接した城の中央にあたる中庭の方を見た。
「…!!」
その視線の先には、奏が輝夜奈を連れて楽しそうに笑っている姿があった。
(噂をすれば何とやら……だな。)
今の内に部屋へ書類を運んでしまえば、奏と言葉を交わさなくてもいいかもしれない。
そう考え付くものの何故だか彼の事が気になり、首を中庭に向けながら廊下を進む。
そんなヤズラに気付くはずもない二人は、時々雲の合間から顔を覗かせる太陽の光を浴びながら、楽しい時間を過ごしていた。
「奏、この花はなんて名前なの?」
地面にひっそりと咲く雑草を指差しているようだ。
ヤズラからは輝夜奈がどういう顔をしているか、見えていないが。
「それはサナ草です。」
奏が同じように、その草を覗き込みながら答えた。
「すごい!やっぱり奏は物知りだね!」
そういいながら振り向いた輝夜奈の顔がヤズラにも見えた。
遠くからでも分かる程、可愛らしい笑顔。
ドクンッと胸が高鳴ると同時に、その笑顔が奏だけに向けられたものだと気付くと心の内に激しい嫉妬を覚える。
「おぉー!神守殿お探ししましたよ!」
暗い感情に飲み込まれていた時、突然響いた大きな声にはっとして俯いていた顔を上げると、さっきヤズラに仕事を頼んだ男が奏たちの所に駆け寄っていた。
その男は輝夜奈がいるのに気が付くと、距離を置いて跪く。
「そろそろ隊の方にお戻り下さい。神守殿がいなくては仕事が進みません。」
奏がそんな大げさな、という表情をした。
しかし男には大げさに言っているつもりはなかった。仕事が進まないのは本当だ。
「またなの……さっきもそういって休憩を早めに終えたのに。何で昔からこうなのかな。」
呟く声がやけに悲しそうに響いているように思えた。
その目はまだ奏といたいと言っている。
「なるべく早く仕事を終えてきます。終わったらその足で姫様の元へ参りますので、そんな顔をしないで下さい。」
対するように明るく優しい声で言葉は返された。
「本当に……?」
彼女はまだ疑うような目をしていた。
「今まで約束を違えた事がありますか?」
自信に満ちあふれた少年の言葉に、やっと輝夜奈も元どおりの笑顔を見せる。
どう見ても彼らの間には、信頼という名の絆があるようにしか映らない。
ヤズラは急いで、いつのまにか立ち止まっていた足を動かしその場から離れた。
苦しくて、苦しくて、たまらない。
皆に愛される奏。
彼は神守という名誉も、王女の信頼も、部下の信頼も勝ち取った。
なぜ、それを誰よりも欲しがっていたヤズラには手に入らなくて、まだ子供である彼があんなに簡単に手に入れてるのだろう。
そう何かに問い掛けずにはいられない。
(悔しい……! 悔しい…!! どうして、あいつだけっ……どうしてっっ!!?)
部下達から必要とされている上に王女からも必要とされている。
こんなに羨ましい事は他にはないような気がした。
もう一度振り返り、中庭を見る。
雲の合間から差した光は中庭の緑を鮮やかに映し出して、草はまばゆい光を反射した。
高い建物に囲まれているというのに中庭へと届く、その光は力強さを感じさせた。
そんな光のせいか結構な広さがあるにも関わらず、中庭には緑が生えていない場所はない。
その中に佇む少年の姿は、2年前に神守となった日のままで、この空間は彼そのものを表しているようだった。
ヤズラも、あの時と同じように天井で光を遮られた、暗い廊下に立っている。
太い柱が何本も並ぶ、この廊下が奏とヤズラの境界線のような気がした。
2年前と変わらぬ距離差。
いつか、この差は縮まっていくのだと考えて何とか自分を保ってきた。
しかし、2年経っても一向に狭まる事はない。
ヤズラの中に渦巻いていた嫉妬は、いつしか完全に憎しみに変わっていた。
それが恐ろしくもあったが、いっそ完全にその憎しみに捕われて我を忘れてしまいたい気持ちになる。
憎しみに捕われないように必死にあがくよりも、諦めた方が何倍も楽だろう。
けれど、諦めてしまうと何かが終わってしまうような気がしてならない。
ヤズラの中には矛盾した思いが溢れていた。
「……俺も相当諦めが悪い。そんなに……いい子でいたいのかよっ!?」
理想と現実の差に、耐えきれない程の何かが胸にせり上がってくる。
理想は高く、汚れのない、明るい笑顔の自分は、誰からも愛される。
けれど、現実は悲しく、醜くて、無表情の自分は、誰にも気に掛けてもらえない。
「どうすればいい……? どうすればいんだよっ……!」
拳を痛いくらい握り締め、周りを気にせず走っていたら、気付いた時には奏の仕事部屋の前まで来ていた。
ここに着くまで長い道を走ったはずなのに、全く息は上がっていない。
深呼吸しながら荒々しい気持ちをある程度落ち着け、抱えている荷物を庇い、扉を開ける。
ギギィ……と、木製の扉特有の擦れるような音が響いた。
途端に部屋の中へと吹き込む風で腕に抱えていた書類が宙を舞い、バラバラといくつかが部屋の中に散らばる。
「……あーぁ。」
ポツリと呟いた声が虚しさを連れてきた。
扉から離れて部屋に入ると、鈍い音を立てて扉が閉まる。
(そういやノックするのを忘れた。中には誰もいないっていう事がわかってたからいいけど誰かに見られていたら大目玉だな。)
たわいもない事を考えつつ散らばった書類を集め始めた。
自室ではなく仕事部屋と呼ばれるその部屋は、それほど大きくはないが、神守専用なだけに膨大な量の本や書類が、部屋の壁に敷き詰められた本棚に並べられている。
部屋の中央に置かれた机にも書類が沢山置かれてはいたが何故かきちんと整理整頓されている印象を受けた。
散らばった書類を全部集めてから机の上に置くと高級そうな椅子が目につく。
一瞬にしてまた嫉妬心が芽生えるが、それに囚われたくなくて机の後ろにあった、床から天井にかけてまである大きな2つの窓を閉めようと把手に手を掛けると、
ポツ………ポツ……ポツ…ザアァァァァァッ……
雨が降りだした。
「これはしばらく止まないな……。」
雨を見つめながら開いていた窓を2つともゆっくりと閉める。
空は完全に雨雲に覆われて、暗く寂しい情景が広がる。
高い階にある部屋の窓からは、雨でいつもより色濃くなった森が延々と続いて、城から馬に乗って20分くらいという離れた場所にある湖まで届いているのが見えた。
まだ日も落ちていないのに既に暗くなった辺りは、いつもなら光を反射させているはずの湖の色まで悲しく見せる。
(まるで……俺みたいだ……。)
バァァァァァンッ!
ヤズラが物思いに耽っていると、突然扉が凄い音を立てて開いた。
「うわぁぁっ!?」
その音に心臓が止まりそうなほど驚きながら、扉に目を向けると肩で息をしている奏が目に入った。
「……あ、あれ? ヤズラ中尉、何故ここに?」
きょとんとしながら見上げてくる。
「ここに書類を運ぶよう、頼まれたので……。」
内心で舌打ちしながら奏から目を背けた。
(今一番会いたくなかったのに……。だいたい何でここに来るんだ? 隊に戻れと言われてたはずじゃないのかよ……。)
動揺を隠しきれないヤズラを変に勘ぐる事もなく、奏が笑顔を見せる。
「それはご苦労さまでした。あと、窓も閉めて頂いたみたいですみません。慌てて閉めに来たのですが書類が濡れなくて助かりました。」
ほっとした様子で胸を撫で下ろしている。
しかし礼を言われた方はそんな事を見る余裕もなく、必死で溢れてくる醜い気持ちを押さえていた。
脳裏にさっき中庭で見た光景が過る。
そして自分を暗示したような雨が作り出した暗い情景も。
頭を振って考えを打ち消そうとした。
しかし、その様子に察しのよい奏がすぐに気が付く。
「どうかしたんですか? 何か相談でも……?」
慣れた雰囲気で聞いてくる態度から、彼は部下から相談されることも多いのだとわかった。
それは彼がどれほど周りから頼られ、必要とされているかを示している。
……ヤズラの中で何かがプツンと切れた。
「……うるせぇな。」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「え?」
「そういう所、お節介なんだよっっ! それに何だか知らねぇが、てめぇが俺に懐いてるのも迷惑なんだっ! 何でも出来るからって、どうせ本当は俺をさげずんで影で笑ってるんだろっ!?」
いつもはおとなしい物静かなヤズラの余りの変わり様に、奏は目を見開く。
「や……ヤズラ中尉?」
伸ばしかけた手も荒々しく振り払われた。
「俺はっ!」
ヤズラはギリッと歯を食い縛り、目に怒りを宿らせる。
「俺は――……!」
言い掛けると、悲しみのような苦しみのような、胸を締め付ける感覚が押し寄せてきた。
それで言うのを一瞬躊躇ったが、その時目の前に輝夜奈の笑顔が見えた。
奏だけに見せる、最高の笑顔。
その事実がヤズラに拍車をかける。
「俺はお前なんかっ!」
一度溢れだした水は、誰にも……止められない。
「大っ嫌いなんだよっっっ!!」
そう叫んだ言葉だけが部屋に響き渡り、ついに言ってしまったとヤズラの目の前は真っ暗になった。
もはや、彼には憎しみの対象である奏さえも見えていなかった。
時が止まったかのような空間で、激しく降り続く雨の音だけが二人を包み込んでいた――……。