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全てが始まる


 トタットタッと、テンポのよい足音を刻みながら、日が沈んだ小道を進む、人の気配があった。

 その気配の主は、暗い小道に怯える様子もなく、どんどん進んでいく。

 そして曲がり角を右に進み、一軒の家の明かりを見つけると、嬉しそうに走りだした。

 明かりが届く範囲まで走ってきた主の顔にも光が当たり、その風貌がはっきりする。

 その主は、日に焼けているが華奢な体で、薄い紅色の瞳が印象的な、目鼻立ちがよい少年、今日10歳の誕生日を迎えた奏だった。


「ただいまぁ母さん、父さん!」


 勢い良く玄関に飛び込んで帰ってきた奏を、温かく両親は迎える。


「おかえり、奏。」

「おかえりなさい、ご飯の準備出来てるわよ。手を洗ってきなさい。」


 母の言葉を受け、奏は外にある井戸に向かう。

 それを見送った二人は、静かに話し始めた。


「最近、やけに楽しそうなのよね。前まであーんなに、剣の修業を嫌がっていたのに。」

「まぁ何事も楽しい方がいいじゃないか。」


 そんな会話がなされているとは、つゆ知らず、奏は鼻歌交じりで手を洗う。

 顔は笑っているというより、にやけている。


「早く明日にならないかなぁ。」


 奏にとって自分の誕生日よりも楽しい事が明日にあった。それは剣の修業に行く事だ。


*****


 一年前の事、奏がいつものように、稽古場へ行った時、師匠が急に奏だけを裏山へ行かせた。


「この間この山に人食い熊が出たそうだ。お前ちょっと行って倒してこい。」

「はいっ?!」


 師匠は子供にお使いを頼むような、さらりとした口調で、まだ8歳であった奏に大変な事を言い付けた。

 もちろん、奏もちょっと待って下さいと抗議したいのは山々だったが、師は絶対なので、何も言わず行くしかなかった。

 泣きそうになりながら、必死に人食い熊と戦った。

 自分より3倍は大きい熊を見た時、奏は8歳で一瞬死ぬ覚悟をしてしまった。


「何考えてるんだよ、師匠はっ!」


(でも…こんなにでかいんだから、素早く動けないんじゃ…。)


 そう考え、熊の周りを俊敏な動きで走り抜ける。

 しかし、そんな奏の浅い考えを嘲笑うかのように、熊は奏を目がけ、真っすぐに突っ込んできた。


「わああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 まだ成長途中の小さな体は、そんな熊の攻撃で、かるく数十メートル程飛ばされる。

 運よく木の上に落ち、奇跡的に軽傷で済んだが、熊が容赦するはずもなく、すぐにまた奏を襲いに来た。

 しかも今度は奏に、食らい付こうとしているらしい。

 思わずぎゅっと目をつむり、両親に助けを求める。

 そんな時、脳裏に母親の言葉が浮かんできた。


(奏…あなたは姫様を守るために生まれてきたのよ。だから、強くなりなさい…。)


 幼い頃から何度も聞かされた言葉。

 母の言うことはいつも正しかったから、奏も母の言うことは素直に聞ける。しかし、何故だかこの言葉にだけは納得行かなかった。

 だから剣の修業も嫌いだった。母が奏を、ただ戦士にしたいだけではないのかと思っていたからだ。

 けれど何故だか、その時、ふっと心に浮かんだ思いは……


(こんな所で死んでたまるか…俺は、俺は…姫を守らなくちゃいけないんだっっ!!)    


 気付いた時には、奏の目の前に、熊が倒れていた。

 周りに人がいない事から、奏自身がやったのだと気付く。

 しばらくの間、茫然と熊を見つめていると、茂みから拍手が聞こえた。驚いてそちらを振り向くと、そこには師匠が立っている。


 「よくやった!奏。すばらしい剣裁きだったよ。」


 話によると、師匠はずっと俺の後をつけていたらしい。

 俺があまりに嫌そうに修業をするので、やめさせるために、こんな無茶な事をしたのだそうだ。


「それなら別に、やめろと一言言えばよかったんじゃ…?」

「人が折角一生懸命教えているのに、生意気な態度ばかりとるお前に、少し灸を据えてやろうと思ってな。何、本当に危なくなったらすぐ助けるつもりだったさ。」


 師匠の言葉に奏は今までの態度を振り返る。


「道場に、ありえないくらいの最年少で、母親に連れられてきたお前を、最初は気の毒に思っていたからな、大目に見てきたつもりだった。しかしだな、もぅお前は8歳だ、それにもぅすぐ9歳になる。さすがにもぅ大目に見てやる事は出来ない。お前の同年代の生徒に、示しがつかんからな。言っている意味は分かるな?」


 奏は力なく頷いた。


(俺は破門って事か…。)


 やっと本気で強くなりたいと思えたのに、と奏は思った。


(母さんに言われたからじゃなくて、自分の意志で姫を守ろうと…。やっと答えを見つけたんだ。)


 ぎゅっと拳を握り締め、覚悟を決めた奏は、師匠に頭を下げた。


「師匠、今までのご無礼を心から反省しています!どうか、どうか、もう一度俺にチャンスを下さい。俺、本気で強くなりたいんです!」


 そんな態度に驚いた師匠はじっと奏の目を見る。


「お前、変わったな…目が生き生きしている。」


 長い沈黙が続いた。


「……よし、いいだろう。あと一回だけ、お前にチャンスを与えよう。」

しばらく何かを考えていた様子の師匠は、数分たってやっと口を開いた。

「本当ですか?!ありがとうございます!」


 嬉しくなった奏は、思いっきり笑顔になった。

 そして、その日から心を改めた奏は、必死で修業する事となる。


「…あれから、一年になるのか。」


 奏はしみじみと思い出す。

 今、昔とは比べものにならないほど、奏の顔は生き生きしていた。

 それは、ここ最近になって、より一層増した。

 何故なら奏は欲しくて欲しくてたまらなかったものを、手に入れたからだった。

 その事はまだ、両親に話してはいない。今日、伝えるつもりなのだ。


*****


 それは2日前、師匠に呼ばれ、いつもの修業が終わった後に師匠の部屋に行った時。

 何事かと思い、不安な顔をしていると師匠が笑顔でこう言った。


「おめでとう、奏。お前の努力には負けたよ。本当によく頑張った。」


 そうして、一枚の紙を奏の前に出した。


「受け取りなさい。それはお前のものだ。」


 出された紙を見ると、そこには王族を護る部隊の試験応募権利書と書かれてあった。


「これって…まさかっ?!」


 奏が信じられないという目で師匠を見ると、こくりとうなずき、


「本当は17歳にならなければ受ける事は出来ないが、私が君を推薦するなら別の話だからな。」


 と、力強く言った。

 それでもまだ、信じられない様子の奏を微笑ましく思いながら、師匠は、なお続けた。


「確かに、お前は一年前まで最悪な生徒だった。しかし、お前はあの時の約束通り頑張った。誰もが驚く程努力し、強くなった。…この道場で、今一番強いのは…お前だよ。」


 その言葉で息を飲み込むのに失敗し、咳き込みそうになる。

 それに大ウケした師匠はしばし笑い続け、落ち着いた頃、目に浮かんだ涙を拭い、また続けた。


「奏……行ってくれるな…?」

「はいっ!」


 輝くような笑顔を見せる弟子に、師匠は何となく嬉しくなった。


*****


 冷たい水で稽古道具を洗う。

 頭の中には、2日前の師匠の言葉がずっと流れていた。

 それを思うだけで稽古が楽しくなり、早く明日が来ないかと、つい考えてしまう。


「ついに…ここまで来たんだ…。」


 奏の決意が秘められた言葉は、すぅっと闇夜に溶けていく。

                                          





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