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アイドルになれ、公爵令嬢

作者: 虹星まいる
掲載日:2026/05/11

 きっと、私はおかしくなっていたんだと思う。

 プロジェクト大炎上に伴う三十連勤。人の身に余るストレスがかかった私は大雨のさなか、会社からの帰路で小躍りしていた。明日も労働、明後日も労働、踊らなければやっていられない。右手に傘を差し、左手には道すがらコンビニで購入した缶チューハイ、肩にノートパソコンが入ったバッグを提げて、イヤホンから流れ込むアイドルの歌に合わせて千鳥足ステップを踏む。


「私に恋しちゃえ~♪」


 時刻は午前二時。周囲に人はいない。歌声は雨音にかき消される。

 酔いが回っていた。歩道橋を渡るために階段を上っていた私は、あろうことか曲のサビに合わせてターンを決め込んだ。


「私がイチバンかわいい――おわっ」


 ノートパソコンの重さに振り回されて軸がぶれた。喉から間抜けな声が漏れた直後、瞬く間に世界がひっくり返って――記憶はそこで途切れている。


 ◆


 今から二月(ふたつき)ほど前、屋敷の前庭に敷いた石畳でうっかり足を滑らせて頭を強打した。つま先が半月を描く冗談みたいな転け方をしたせいで生死をさまようことになったのだが、その際に前世の記憶を思い出すに至った。私は魔法が存在しない異世界でOLと呼ばれる労働階級の人間として生きていたらしい。


 ところで、今の私は公爵家の令嬢である。


 公爵家とは、王家に次ぐ権力と広大な領地を有する貴族であり、前世の言葉で言い表すなら『超巨大財閥』にあたる。その家の長女として、私は生きている。


 二つの記憶が混ざり合ってから、私は自身の境遇について客観的な視点を持つことができるようになった。そこで、とある事実に気づくことになる。


 ――貴族の生活って、全然おもんない。


 まず、お茶会・晩餐会・舞踏会と「会」の名の付くものに(あまね)く顔を出さなければならず、これが非っ常~にダルい。表面上は華美なパーティであるが、その実態は終わりのない腹芸披露大会である。

 どの家の事業が上手くいっていて、どの家の資金繰りが難航しているのか。誰が誰にどの順番で挨拶して、誰と懇意になろうとしているのか。我が家と対立する派閥に怪しい動きはないか。国内外の情勢を誰がどこまで把握していて、誰が舵を取ろうとしているのか。華々しい会場で行われるせせこましい腹の探り合いは胃が痛むばかりである。


 この情報戦に加えて、社交界における私自身の価値を示し続けなければならないのもストレスだった。容姿を磨き、ダンスの稽古を欠かさず、付け入れられないように勉学に励む。すべては家を維持・繁栄させるために必要な務めなのだが……最近は、この生活に耐えられなくなりつつあった。

 それは単に、貴族以外の生き方を知ってしまったからだろう。

 公爵令嬢として貴族社会を生き抜き、政略結婚の駒として嫁ぎ、子を産み、血を絶やさないこと。それが私、ルルイア=リーズに与えられた役割であり、そういう生き方しかできないと思っていたのだ。しかし、近頃は他に道があるのではないかと考えるようになってしまった。転職という道があると気づいた社畜のような心境だろうか。違うか。

 ともかく、貴族の生活は退屈で息苦しい。今日も王太子主催の夜会に参加しているわけだが、さっさと帰りたい以外の感情を失っている。化粧直しを口実に会場から離れて控室に避難してきた私は、専属侍女・コレットから髪の手入れを施されながらぐったりしていた。


「いつにも増してお疲れのようですね、ルルイア様」

「わかる?」


 鏡に映った超絶美少女(前世の私評)たる私の顔は、長時間貼り付けていた笑みのせいで強張っていた。金糸のごとき髪も心なしか艶を失っているように見える。


「ええ。本日の夜会は王太子殿下主催ということもあって次世代を担う貴族方の交流の場となっておりますから、セオドア様も次期公爵としての威信を示したく力が入っているのでしょう」

「……はぁ」


 私の婚約者であるセオドア=エインズワース。私より二つ年上の彼は、この王太子主催の夜会で自家のブランド力を示すための装飾品として私を侍らせている。

 以前は、この立ち居振る舞いを完璧にこなすことこそが淑女の務めだと認識していたが、視野が広がり価値観が変われば息が詰まるような苦行に様変わりである。


「お直し、終わりました」

「ありがとう、コレット……私はもう少しだけ休んでから戻るわ。あなたもどこかで休んでいらっしゃい」

「承知いたしました」


 一人にしてほしいという言外のメッセージを正しく汲み取ったコレットは、一礼すると足音もなく控室を立ち去った。私以外に誰もいないことを確認し、豪奢なソファーにどっかりと腰を沈め、締め付けのきついコルセットを少しだけ緩める。は~、と息を吐き出し、天井の絢爛な意匠をぼんやりと見上げた。


「戻りたくないわ……」


 貴族社会の女は鳥籠の中の鳥だ。私はもっと、自分の価値を自分で決めたい。このままじゃあ、前世で社畜として息を引き取った私も草葉の陰で泣いていることだろう。


「……このままバルコニーから脱走しようかしら」

「さすがに三階から飛び降りたら、お怪我だけでは済まないかと……」

「!?」


 独り言に言葉を返されるとは思っていなかった私は弾かれたように立ち上がり、声のした方へと視線を向ける。夜風に揺れる薄絹のカーテンの向こう側。月明かりに照らされたバルコニーで、バツが悪そうに一人の少女が佇んでいた。

 透き通るような白磁の肌に月光を受けて淡く輝く銀の髪、宝石を嵌め込んだような翡翠色の瞳。

 彼女の名前はアリア=エインズワース。未来の義妹であり、良き幼馴染である。婚約者であるセオドアが公爵家なので、言わずもがな彼女もまた公爵令嬢だった。


「ご、ごきげんようアリア……。いつからそこに?」

「最初からです、ルルイア様」


 どうやらすべてを聞かれていたらしい。苦い顔をしていると、アリアは小さく吹き出した。


「ルルイア様も、そのような顔をなさるのですね」

「変な顔してた?」

「ええ、変な顔をしておりました」


 私の側に歩み寄ってきたアリアは悪戯っぽく微笑む。


「からかわないでちょうだい。アリアも夜会を抜けてきたの?」

「はい。少し夜風を浴びたくて」


 アリアは私と違って(まつりごと)が得意ではない。あの空間は居心地がいいものではないだろう。

 私は再びソファーに腰を下ろし、隣をぽんぽんと叩く。察したアリアは私にピッタリくっつくように座った。それからしばらく、私たちは取り留めのない世間話に花を咲かせた。アリアは私にとって数少ない、腹を割って話せる人間なのだ。それは彼女も同じようで、趣味の話から少しばかりの愚痴、市井の噂話など話題の種は尽きない。

 ひとしきり他愛のない話で盛り上がった後、自然と『結婚』の話へと向かっていった。


「それにしても、今日のセオドア様も相変わらずだったわ。あんなお小言の多い旦那様を持つことになるなんて、今から胃が痛い」

「ふふっ、お兄様は昔からルルイア様に厳しいですからね。でも、それも期待の裏返しだと思いますよ」

「どうだか」


 セオドアの為人は流石に知っている。下級貴族や侍女に手を付ける下衆でありながら、自分より能力が高い女を毛嫌いする救いようのない奴だ。私への小言は当てつけに他ならない。

 私はアリアの肩にコテンと頭を乗せた。


「でも、まあ、あなたが義妹(いもうと)になるのは、すごく素敵なことだわ。それだけで、私にとっては十二分よ」

「もう、ルルイア様ったら……からかわないでください」


 半分本気、半分冗談な私の言葉に、アリアは頬を染めて唇を尖らせた。

 私は少しだけ姿勢を正し、今度はアリアの顔を覗き込んだ。


「アリアの方はどう? 王国の至宝とも呼ばれるあなたなら、引く手あまたなんじゃない?」


 冗談めかして問いかけたその瞬間────アリアの表情に(かげ)が差した。


「実は……来年の春、北の辺境伯様のもとへ嫁ぐことになりました」

「は……?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 北の辺境伯。確か、年齢は五十を優に超えている、武骨で粗野な男のはずだ。女性の扱いに関してもあまりいい話を聞かない。


「ちょっと待って、意味が分からないわ。どうしてアリアがそんなところに……? もっと相応しい相手ならいくらでも────」

「いいえ、ルルイア様。これが、最も『相応しい』のだそうです」


 アリアの声は凪いでいた。逆らうことをとうの昔に諦めたような、ひどく乾いた声色だった。


「王太子殿下の派閥を盤石にするためには、北方軍の支持が必要不可欠です。北の辺境伯様は、この国で最も強大な私兵団を抱えていらっしゃいます。あの方との繋がりを持つための楔が必要なのだそうです」

「……それが、アリアだって言うの?」

「はい。それに、辺境伯様はかねてより由緒正しき魔力の濃い血筋を求めていらっしゃいました。後継者の魔力が弱まれば、北方防衛の要である結界が維持できなくなりますから。公爵家の娘である私の血は、あの方にとって何よりも魅力的な条件なのです」

「アリア、あなたはそれでいいの? 会ったこともない人に身を捧げるなんて……っ!」

「仕方がありません。それが私の役目ですから」


 アリアの頬に涙が伝う。望まぬ結婚であることは明らかであった。


「冗談じゃないわ! そんなの────」


 私が言い終わる前に、控室の重厚な扉が開かれ、華やかに着飾った数人の令嬢たちがどやどやと控室に入ってきた。長時間の夜会に疲れ果てて避難してきたのだろう。アリアが弾かれたように私から離れる。


「あら、ルルイア様? いらしたのね」

「ええ、少しばかりお化粧を直しに」


 完璧な営業スマイルを貼り付け、令嬢たちと当たり障りのない会話を交わす。その隙にアリアは控室から姿を消してしまった。

 中身のない会話に相槌を打ちながら、私はドレスの裾をぎゅっと握りしめることしかできない。

 結局、その日の夜会でアリアと話す機会は二度と訪れなかった。


 ◆


 夜会から数日が経過した。

 リーズ公爵家が治める城下町は今日も活気に満ちている。

 石畳が敷き詰められた大通りには商店が軒を連ね、商人たちの声が飛び交っている。すれ違う領民たちは身なりも良く、我が公爵家の統治がいかに安定しているかが窺えた。私は護衛の騎士と専属侍女のコレットを少し後ろに控えさせ、目立たないように地味な色合いのドレス(といっても平民から見れば十分に高級品だが)を纏って街を歩いていた。


「ルルイア様、あまり人混みに近づきすぎませんよう」

「わかっているわ。でも、たまにはこうして活気に当てられないと、息が詰まってしまうもの」


 あの日からずっと、胸の奥にモヤモヤとしたものが沈んでいる。

 アリアの結婚。公爵家の利益を最大化し、派閥の基盤を強固にするためのものに他ならない。

 頭では理解できる。私が前世で働いていた会社でも、部署の統廃合や理不尽な人事異動など日常茶飯事だった。王侯貴族がトップダウン社会である以上、上が決定したことに下が逆らう術はない。

 だが、どうしても納得できないのだ。あんなにも愛らしく、誰よりも幸せになるべき少女が還暦間近の男の妻として北の果てへ送られる? しかも本人は「それが私の義務だから」と諦めきっている。

 とはいえ、私に何ができるだろうか。権力や財力があったとしても、アリアを鳥籠から逃がしてあげられる未来は見えなかった。


 うつむきがちに歩いていると、ふと歓声が聞こえてきた。何事かと顔を上げると、大通りに面する噴水広場に人だかりができている。

 野次馬根性が刺激された私はコレットの制止も聞かず、吸い寄せられるように群衆の輪へと近づいていく。人々の肩越しに覗き込んだその中心には、一人の女性がいた。


「────♪」


 二十代半ば程だろうか。燃えるような赤髪を一本に束ね、異国情緒あふれる身軽な衣装を纏っている。彼女は手にした弦楽器を軽快に掻き鳴らしながら、透明感のある声で歌い、しなやかなステップを踏んでいた。

 その歌声と踊りには、人の心を惹きつけて離さない不思議な『熱』があった。観衆は身分も年齢も性別も関係なく、入り混じり、彼女に向かって手拍子を打っている。

 私はすっかり目を奪われ、気が付けば人混みの最前列まで進み出ていた。

 やがてパフォーマンスが終わり、女性がふわりと優雅にお辞儀をすると、割れんばかりの拍手に手を振り返す。彼女はふと、呆然と立ち尽くしていた私と目を合わせ、愛らしいウインクを飛ばした。それはさながら――


「アイドル……!」

「アイドル?」


 私の言葉に反応した女性が人懐っこい笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。

 間近で見ると、彼女の所作の端々にただの旅芸人とは思えない洗練された気品が漂っていることに気がついた。背筋の伸ばし方、踵の揃え方、指先の柔らかな動かし方。それは、私が幼い頃から嫌というほど叩き込まれてきた『貴族』のそれと全く同じだった。


「あなた……ただの踊り子じゃないわね?」


 私の指摘に、女性は少しだけ目を丸くした後、ふわりと花が咲くような笑みを浮かべた。

 彼女は手にした楽器を抱え直し、私に向かって優雅なカーテシーをして見せた。踊り子のような衣装でありながら、その一連の動きに(よど)みはない。


「はじめまして、カルミアと申します。今はしがない旅の芸人をしておりますが――」

「――元貴族?」

「ええ」


 私が言葉を継ぐように尋ねると、カルミアは素直に首肯を返した。


「ルルイア=リーズ様とお見受けいたします。お噂はかねがね、東方の地にも伝わっておりますよ。触れることさえ叶わぬ美しさ、さながら湖面に揺蕩う満月のような――」

「少し、話を聞かせてほしいの」


 カルミアの歌うような口上を制した私は、彼女の手を取って真摯に見据える。貴族のしがらみから旅芸人として転身を遂げた彼女に、私は光明を見出そうとしていた。




 私はカルミアを屋敷へ招き入れ、人目を避けるようにして応接間へ通した。コレットが淹れた紅茶の香りが、室内にふわりと漂っている。向かいのソファーに腰を下ろしたカルミアは、控えめに微笑みながらティーカップを手にとった。背筋の伸び方、カップを傾ける静かな所作のすべてが、厳しいマナー教育を施された上位貴族の令嬢であることを如実に物語っている。


「どうやって、あなたは旅芸人へ転身したの?」


 前置きのない私の問いかけに、カルミアは隠し立てすることなく自身の生い立ちを語り始めた。

 彼女の口から語られた過去は、この貴族社会においては決して珍しくはない、しかし当事者にとっては残酷な『よくある悲劇』だった。

 東の小国で由緒ある伯爵家に生まれた彼女は、幼い頃から家を繁栄させるための道具として育てられたという。息の詰まるような生活に鬱屈としていたカルミアにとって、歌と音楽が人生の彩りだったという。

 決定打となったのは、年の離れた辺境の領主への輿入れ────つまり、政略結婚の命だった。

 奇しくも、アリアと全く同じ構図だ。


「それが貴族の女の務めなのだと、両親は言いました。ですが、私には、ただ跡継ぎを産むためだけに生きる人生など、どうしても耐えられなかったのです」


 カップを見つめるカルミアの瞳には、一切の翳りがなかった。

 だから彼女は、ある夜、すべてを捨てたのだという。

 地位も、財産も、身元を保証する家名も。ただ一つ、幼い頃から厳しい教育の一環として叩き込まれ、自分なりに昇華させてきた歌と音楽の技術だけを唯一の武器にして、国を飛び出したのだ。


「……でも、ご実家が黙っていないでしょう? 追手は来なかったの?」


 私が身を乗り出して尋ねると、カルミアはカップを置き、手元の弦楽器を愛おしそうに撫でた。


「ええ、もちろん来ましたとも。実家の兵たちが私を見つけ出し、力ずくで連れ戻そうとしました」

「捕まらなかったの?」

「彼らは私に、指一本触れることすらできませんでした」


 カルミアは悪戯っぽく、晴れやかに笑った。


「私を応援する『観客』たちが、それを許さなかったのです」


 観客が、許さなかった。

 その言葉の意味を咀嚼しようとする私に、カルミアはさらに言葉を重ねる。


「権力や財力がなくとも、私はこの歌と踊りで、目の前の方々の心を揺さぶることができる……そして、私を愛してくださる観客がいる限り、誰も私を縛ることはできないのです」


 カルミアの言葉は、確かな熱を帯びて応接間に響いた。


「群衆の熱狂というのは、時にどんな権力よりも強固な盾となります。民衆が私を支持し、味方についていれば、実家の兵といえども公衆の面前で無理矢理に私を引き立てることなどできません。そんな暴挙に出れば、暴動にすら発展しかねませんから。圧倒的な人気と支持さえあれば、私は世界中どこだって自由に生きていけるのです」


 ────群衆の熱狂という名の、盾。


 そうだ。その手があったか。

 権力を打ち破ることができるのは、それを上回る権力や武力だけではない。

 もし、アリアがただの可哀想な公爵令嬢ではなく、この国中を熱狂させる存在になったらどうなる?

 もし、誰もがアリアに夢中になり、圧倒的な人気と支持を手に入れたとしたら。

 国中が愛してやまない至宝を辺境の老将に無理やり売り飛ばそうとすれば、どうなるか。当然、彼女を愛する民衆の不満が爆発し、王都は未曾有の大炎上に包まれるだろう。

 アリアの結婚が合理的な政略であっても、そんな支持率大暴落のリスクを冒してまで、強引に事を押し進めることはできなくなるはずだ。


「誰もが彼女を手放したくないと思わせるだけの、理屈を超えた熱狂的な価値ね……」


 脳裏に、アリアの姿が浮かぶ。

 あの圧倒的なビジュアル。触れれば壊れてしまいそうな儚げな声。誰もが守ってあげたくなるような、天性のオーラ。あの国宝級の輝きを、退屈な夜会の端っこや、北の辺境の城なんかに閉じ込めておく必要なんてない。彼女をステージの真ん中に立たせれば、絶対に世界を獲れる。


 私の中に流れる前世の血が滾る。権力がなんだ。しがらみがなんだ。そんなもの、最高に面白いエンターテインメントで全部ひっくり返してやればいい。

 鳥籠の鍵に、手がかかった。


「……よし!」

「ルルイア様?」

「ありがとう、カルミア! あなたのおかげで解決策が見つかったわ!」


 私は勢いよくソファーから立ち上がり、テーブル越しにカルミアの両手をがっしりと握りしめた。唐突な私のハイテンションに、さしもの元令嬢も目を丸くして驚いている。


「よ、よく分かりませんが、ルルイア様のお力になれたのなら何よりです」

「カルミア、あなた、しばらくこの王都に滞在する予定はある?」

「え? は、はい。数週間は腰を据えて路銀を稼ごうかと……」

「なら、私の『専属講師』として雇わせてもらうわ。言い値で払うから、あなたのその歌と踊りの技術、全部私に教えてちょうだい!」

「……ええっ!?」


 アリアを閉じ込める鳥籠を壊すための、最高に狂っていて、最高に面白い革命。

 早く、早くアリアに会いたい。すべてを諦めようとしている彼女に最強の計画を叩きつけてやりたい。

 そして、言うのだ。


 ――アリア、あなたはアイドルになりなさい、と。


 ◆


 カルミアと綿密な打ち合わせを行い、『アリアプロデュース計画』を徹夜で仕上げた翌日の昼下がり。


「――というわけで、アリア。あなたは今日から『アイドル』になるのよ!!」


 ぜえ、ぜえと肩で息をしながらプレゼンを終える。

 アリアは、ぽかんと口を開けたまま私を見上げていた。

 無理もない。別の家に住む未来の義姉がアポなしで家に乗り込んできて、応接間のテーブルに計画書を広げ、「歌と踊りで民衆の星となり、結婚を白紙撤回させる」などと熱弁し始めたのだ。頭がおかしくなったと思われても仕方がない。

 もう一度、要点だけに絞って説明したほうがいいだろうか。


「……あ、アリア。あのね、つまり私が言いたいのは────」

「ふっ、ふふっ、あははははっ!」


 私がフォローを入れようとしたその時、アリアが突然、堰を切ったように笑い始めた。彼女がこんな風に、腹の底から楽しそうに声を上げて笑うのを、私は初めて見たかもしれない。


「ごめんなさい、ルルイア様……ふふっ、でも、あまりにも……ルルイア様が一生懸命で、おかしくて」

「も、もう! 私は大真面目よ!?」

「はい、分かっています。分かっていますとも」


 アリアは目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、私と正面から向き合った。彼女の翡翠の瞳から、あの日見た諦念は消え去っている。


「……お父様から辺境伯様への輿入れを告げられた時、私は自分の人生が終わったのだと思いました。貴族の娘として生まれた以上、家のための駒になるのは当然の義務なのだと。私がルルイア様に泣きついても困らせてしまうだけなのだと、自分に言い聞かせていました」


 アリアの白く細い手が、そっと私の両手を包み込む。

 彼女の指先は微かに震えていたけれど、その温もりは真っ直ぐに私のもとへと届いた。


「でも、ルルイア様は……こんな私のために、不可能だと思っていた運命をひっくり返す無茶苦茶な方法を考えてくださった。そのことが、たまらなく嬉しいのです」

「アリア……!」

「あいどる? のことは、まだよく分かりません。大勢の人の前で歌や踊りを披露するなんて、私にできるのか不安でいっぱいです。でも……ルルイア様が絶対にできると仰るのなら、私は信じます。ルルイア様が私のために作ってくださったこの新しい道を、一緒に歩いてみたい」


 潤んだ翡翠の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。

 その儚くも力強い意志の光に、私は鷹揚に頷いてみせた。


「最高よ、アリア! 心配しなくていいわ。資金調達も練習場所も、私が全部手配する! 最高の歌と踊りの専属講師も、もう私の屋敷に軟禁……もとい、お招きしてあるわ!」

「えっ、す、すでにお招きしているのですか!?」

「善は急げよ! 明日からさっそく、私があなたを『お茶会』という名目で毎日うちの屋敷に連れ出す手配をするわ。デビューに向けて特訓の始まりよ。絶対にあなたを、世界一のアイドルにしてみせるから!」

「はいっ……! よろしくお願いします、ルルイア様!」


 アリアの顔に、今日一番の、花が咲き誇るような満面の笑みが浮かんだ。

 その笑顔を見た瞬間、私は確信した。

 この笑顔を見せられたら、国中の……いや、世界中の人間が彼女の虜になる。


「ところで、ルルイア様はならないんですか? あいどる」

「え?」


 ◆


 翌日から、お茶会という名目のもと、リーズ家が抱える屋敷の一つ(防音完備)にて、カルミアを専属講師に迎えたハードなレッスンが幕を開けた。


「甘い! 動きの軸がブレてます! 貴族のダンスじゃありませんよ、もっと激しく、観客に魅せる動きを意識して!」

「は、はいっ……!」

「ルルイア様、息が上がってる! 笑顔! 腹から声出して!」

「ひぃぃ……っ!」


 私もアリアと一緒にレッスンを受けている。というより、アイドルデビューを控えている。


 ――鳥籠から逃げ出すなら、ルルイア様も一緒に。


 とは、アリアの言葉であるが、言われてみれば私も貴族社会から逃げ出したかったのだった。正直なところ、どれだけ信者が付こうとも私の立場的に身の上話が無くなる可能性は低いけれど、やらないよりかは良いだろう。自ら動いた者だけが、自分の運命を変えられる。

 私が息を切らして基礎練習に取り組むさなか、他方のアリアは難なくこなしていく。汗を流し、熱い吐息を漏らしながらステップを踏むアリアの姿は、完成されたお人形のような普段の彼女よりもずっと生命力に溢れ、最高に魅力的だった。

 技術面はカルミアに任せ、私は前世の知識を総動員して『振り付け』と『ファンサ』の概念を導入した。


「いい、アリア。サビの『大好きよ』のところで、こうやって両手でハートを作るの! そしてウインク!」

「こ、こう、ですか……? 大好きよ……っ(パチッ)」

「かわいい……っ!!」


 あまりの破壊力に私が胸を押さえて崩れ落ちると、アリアがなおもハートを飛ばしてくれる。最近は自らの可愛さを自覚したようで容赦がない。

 あざとさ、キャッチーさ、そしてギャップ萌え。前世のトップアイドルたちが培ってきた数々のテクニックを、私たちは異世界に合わせてチューニングしながら徹底的に体に叩き込んでいった。


 同時進行で、衣装の制作も進める。


「フリルとリボンを限界まで盛って! でも動きやすく! 丈は膝上、絶対領域は死守よ!」

「男性たちの前で脚を出して踊るなんて、はしたないのでは……」

「アイドルに妥協は許されないわ! 貴族の常識なんて捨てなさい!」


 顔を真っ赤にして恥じらうアリアをなだめすかしながら、採寸とフィッティングを繰り返す。私のお小遣いを注ぎ込み、王都で一番腕の立つ仕立て屋を抱き込んで特注の勝負服を作り上げた。

 その他、小物作りとメイクアップはコレットに一任している。彼女は私の言いつけに目を回していたが、近ごろはカルミアとも連携を取りながら上手くやっているようだ。

 かくして出来上がったのは、純白と翡翠色を基調とした可憐なアリアの衣装。太陽のような赤と金を基調とした華やかな私の衣装。二人が並んだ時のコントラストから、ターンした時のスカートの翻り方まで計算し尽くした完璧な仕上がりだ。


 そして最も重要な、初披露(デビュー)の場所と広報戦略。


「一ヶ月後に迫った王都最大のイベント『建国祭』の夜。大広場に設置される特設ステージをジャックするわよ」


 レッスン後の会議で、私はテーブルに王都の地図を広げてニヤリと笑った。

 建国祭の夜は平民も貴族も入り乱れて無礼講となる。そこで圧倒的なパフォーマンスを見せつければ、一晩で王都中のトレンドをかっさらうことができる。

 音響や照明などの舞台演出は、魔法石を使った魔道具を裏ルートで買い集め、カルミアのツテも借りて仕掛けを組み込んだ。社畜時代に培ったマネジメント能力を存分に活かせて、前世の私も泣いている。


「ルルイア様。私たち、本当に……ステージに立つんですね」


 時は進んで建国祭の数日前。最後の通し稽古を終えた地下室で、汗ばんだ手を握り合いながらアリアが微笑んだ。

 激しい運動の後でへたり込む私たち。肩が触れ合う。甘いパルファムと汗の混じった匂いが鼻を掠め、互いの鼓動が直に伝わってくるようだった。


「ええ。私たちの歌で、窮屈な鳥籠をぶち破るわよ」


 熱を帯びたアリアの指先を、ぎゅっと握り返す。

 二人の公爵令嬢が王都の夜を熱狂の渦に巻き込むデビューライブの幕が、今まさに上がろうとしていた。




 建国祭の夜。王都の中央に位置する大広場は、むせ返るような熱気と喧騒に包まれていた。屋台の立ち並ぶ通りには平民からお忍びの貴族までが入り乱れ、あちこちで祝杯があげられている。その広場の最奥に設置された特設ステージでは、すでに何組かの旅芸人や吟遊詩人がパフォーマンスを披露し、場を大いに温めていた。


 そのステージの裏側に張られた薄暗い待機テントの中で、私は絶賛、胃薬を欲していた。


(緊張で吐きそう……っ!)


 このプロジェクトの指揮を取って勢い任せでここまで来たが、今になって不安が押し寄せる。アイドル文化を知らない民衆が、私たちのパフォーマンスを受け入れてくれるだろうか?

 私とアリアは、顔と衣装を隠すためのすっぽりとした黒いローブを羽織り、出番を待っていた。祭の顔役を知っているというカルミアのコネをフル活用し、この最高の時間帯のステージ枠を買い取ったのだ。


「ルルイア様。手が……すごく冷たいです」


 不意に、ローブの下から伸びてきた指が私の震える手をぎゅっと包み込んだ。顔を上げると、フードの奥で翡翠色の瞳が私を真っ直ぐに見つめていた。アリアの手も微かに震えているし、よく見れば緊張で唇の血の気も引いている。それでも彼女は、私を安心させるように、ふわりと柔らかく微笑んだ。


「大丈夫ですよ、ルルイア様。私たちが一番、可愛いのですから」


 それは、私がいつも過酷なレッスンの合間に、アリアに言い聞かせていた魔法の言葉だった。

 まさか本番直前に、その言葉を返される日が来るとは。


「……っ、アリア」


 私はアリアをローブの上から柔らかく抱きしめた。甘い香りが鼻腔をくすぐり、こわばっていた肩の力がふっと抜けていく。そうだ。私一人じゃない。隣には、この世界で一番美しいヒロインがいるのだ。


「ええ、そうね。私たちが一番可愛いわ。絶対に、世界を獲れる」

「はいっ」


 顔を見合わせて頷き合ったその時、テントの入り口がバサッと捲られ、カルミアが顔を見せた。

 その合図と共に、私たちは立ち上がる。

 外から聞こえてくる群衆のざわめき。それは未知の化け物の唸りにも聞こえたが、今日からこの化け物は、私たちを守る最強の『盾』になる。


「行くわよ、アリア」

「はい、ルルイア様!」


 私たちは繋いだ手を一度だけ強く握り合い、そして、眩い光の先────ステージの上へと歩みを進めた。




 黒いローブを目深に被った二つの人影がステージの中央に立つと、広場を埋め尽くす群衆は「次はなんだ?」と訝しげなざわめきを漏らした。

 私は、袖に待機しているカルミアに小さく頷く。

 それを合図に、私が買い集めた『照明用魔道具』が一斉に起動し、ステージ上の私たちを真昼のように眩く照らし出した。


 バサァッ!


 同時に、私たちは身に纏っていた黒いローブを勢いよく脱ぎ捨てる。私たちの背後に展開される光魔法の巨大モニター。


「「────っ!!」」


 その瞬間、広場を埋め尽くす数千の群衆が、文字通り息を呑む音が聞こえた。

 無理もない。とびきり美しい貴族の令嬢が、見たこともないほど華やかで可愛らしいアイドル衣装を纏って、光の真ん中に立っているのだから。

 静まり返る広場。誰もが、魔法をかけられたように目を奪われている。

 完璧なツカミだ。

 私は大きく息を吸い込み、マイク代わりの拡声石に向かって、王都の夜空を震わせるように叫んだ。


「王都のみんな! 今日を最高のお祭りにしよう! 私たちの歌を聴いて!!」


 軽快でアップテンポな弦楽器の音色と、異国の打楽器が弾けるように鳴り響く。カルミアたち裏方楽団による、前世のアイドルソングをベースにしたキャッチーなオリジナル楽曲だ。この世界に存在しない曲調が吉と出るか、凶と出るか。

 私たちは示し合わせた通り、完璧に息の合ったステップを踏み出した。


『煌めく星空より、もっともっと眩しい夢を────♪』


 私がはつらつと歌い出し、アリアが透き通るような美しい高音でハモりを入れる。ターンを決めれば、計算し尽くされた短いスカートがふわりと花びらのように翻り、絶対領域が露わになる。

 その瞬間、硬直していた群衆から地鳴りのような歓声が上がった。

 凄い。これが、ステージの上からの景色。

 押し寄せる熱気と興奮の渦が、肌をビリビリと焼くように伝わってくる。

 もはや迷いも不安もなかった。激しいダンスの中でも笑顔を絶やさず、観客一人一人と目を合わせるように視線を配る。


(さあ、アリア! 練習の成果を見せてやりなさい!)


 曲は一気に最高潮のサビへと突入する。ステージの中央へ踊り出たアリアは、普段の伏し目がちな彼女からは想像もつかないほど堂々と、そして輝くような笑顔で、観客のど真ん中へ向かって両手で小さなハートの形を作った。


『────大好きよ♡』


 パチンッ、と。完璧なタイミングで放たれた破壊力抜群のウインク。


「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」」」


 直後、広場が爆発した。

 鼓膜が破れそうなほどの絶叫。熱狂。

 前列にいた男たちは酸欠になったのか頭を抱えて崩れ落ち、女性や子供たちまでもが目を輝かせてステージに向かって手を伸ばしている。

 それは、貴族社会の鳥籠を粉砕せんとする、強大な力の奔流だった。

 曲が終わり、最後のポーズを決める。私とアリアは背中合わせに寄り添い、互いの指をしっかりと絡め合いながら、天に向かって突き上げた。

 熱い、熱い喝采が降り注ぐ。

 拍手の音はいつまでも鳴り止まず、アンコールを求める声が王都の夜空にこだまし続けた。

 ステージの熱気の中で、アリアが私の肩に顔を寄せて、耳元で甘く熱い吐息を漏らす。


「ルルイア様……私、生きてるって、今、すごく感じます」

「そうね。夢物語なんかじゃ、ないみたい」


 絡め合った指先に、ぎゅっと強い力がこもる。

 こうして、公爵家の令嬢二人による極秘の革命は、大衆の熱狂という最強の盾を手に入れ、圧倒的な大成功のもとに幕を開けたのだった。


 ◆


 建国祭でのゲリラライブが大成功を収めた翌日。

 王都は、突如現れた美少女デュオ『ルルアリ』の話題で完全にパンクしていた。


「おい、昨日のステージ見たか!? リーズ家のルルイア様と、エインズワース家のアリア様だぞ!」

「あんな高貴な方々が、私たちに向かってウインクを……!?」


 正体を隠すなどという悠長なことはしない。私たちは「公爵令嬢二人がアイドルとして歌い踊る」という、この世界の常識を根底から覆す劇薬を投下したのだ。

 当然、この前代未聞の暴挙に家が黙っているはずがなく、私たちは翌朝に雷を落とされた。だが、私は事前に用意していた事業収益見込み報告書を叩きつけて黙らせた。

 体面よりも、桁違いの実利と民衆からの圧倒的支持。合理主義者の父やエインズワースの当主は、活動を公爵家主導の試験的な新規事業として容認せざるを得なかったのである。

 このアイドル活動の真の目的が『政略結婚を白紙に戻すため』であることなど、露ほども疑わずに。


 実家の黙認という最強のお墨付きを得た私は、前世の知識と今世の顔の広さをフル稼働させて事業を爆速で拡大させていった。もとより世界的に顔が知られていたカルミアを広報に据え、ファンクラブを本格稼働。入会特典として『特製限定ブロマイド』を配布し、魔力で発光する『魔法のペンライト』を職人たちに猛スピードで量産させた。中世ファンタジーの素朴な娯楽しか知らなかった王都の民衆は、前世世界の洗練された推し活システムに熱中した。ファンクラブの会員数は爆発的に増加し、莫大な収益を元手に王都の中央に専用劇場『ルルアリ・シアター』を建設。定期的にライブを披露する場所を手に入れた。

 かくしてアイドル事業は、私たちを神様とした宗教のような熱を帯びていく。

 地方公演(ツアー)のスケジューリングと、新曲の書き下ろしとレコーディング。グッズの企画に販売、プロモーション。忙殺の日々。莫大な富と新たな雇用、圧倒的な支持。

 止まらない勢いの前に、しかし、私は一つ重大なことを見落としていた。



 シアターでの公演を終えた、ある日の夜。

 観客が帰り、静まり返った劇場の関係者室で、私はソファーに横たわるアリアの姿を見つけた。


「……アリア?」


 声をかけても返事はない。ステージ衣装から普段着に着替えたところで力尽きたのだろう、タオルケット(ルルイア推しと刺繍がある)を握りしめて、スゥスゥと規則正しい寝息を立てていた。

 その目元には、うっすらと疲労の隈が浮かんでいる。


(……やってしまった)


 ズキリと、胸が痛んだ。アリアは元々、深窓の令嬢として大切に育てられてきた。いくらレッスンを積んだとはいえ、連日のステージに加えて新曲の振り入れ、衣装のフィッティングと、私が組んだ前世由来の社畜スケジュールに耐えきれるはずがない。

 彼女を幸せにするために始めたアイドル活動なのに、これでは元も子もない。


「ごめんね、アリア……。私、自分のペースに巻き込んで、無理させちゃったわね」


 私はそっと彼女のそばに膝をつき、汗で額に張り付いた銀糸の髪を優しく梳いた。

 触れると壊れてしまいそうな彼女の熱を感じたくて、その柔らかな肌を親指でそっと撫でた、その時だった。


「……る、るいあ様?」

「あ、ごめんなさい、起こしちゃった?」


 アリアがトロンとした翡翠色の瞳を薄く開け、私の手に自分の手を重ねてきた。


「……いいえ。ルルイア様の手、すごく温かくて、安心します」

「アリア、明日の公演は休みにしましょう。事業を大きくすることばかり考えて、アリアに無理をさせてしまっていたわ」

「……ダメ、です」


 アリアはふるふると首を振り、ソファーに横たわったまま、私の指先にぎゅっとすがるように力を込めた。


「私……ちっとも辛くなんかないんです。むしろ、今が生まれてから一番、生きてるって感じがするんです」

「アリア……」

「ルルイア様と一緒に歌って、踊って。ルルイア様が私を支えてくださる。どんなに体が疲れても、心はずっと満たされているんです」

「……あなたは本当に、強くて美しい女の子ね」


 私はソファーの端に腰を下ろし、アリアの頭を自分の膝へと乗せた。アリアは少し驚いたように身を強張らせたが、すぐに緊張を解き、猫のようにすりすりと私の太ももに顔を埋めた。


「でも、今日は私の言うことを聞いておきなさい。明日は絶対にオフ。お忍びで、王都の甘味処でも巡りましょう。これは業務命令よ」

「ふふっ……業務命令なら、仕方ありませんね」


 アリアは幸せそうに微笑み、私のドレスの布地をきゅっと握りしめた。彼女の柔らかな体温を膝に感じながら、私は決意を新たにする。この子を絶対、誰にも渡さない。どんな権力からも、どんな理不尽からも守り抜いて、絶対に幸せなトップアイドルにしてみせる、と。


 ◆


 そうして迎えた、久方ぶりの休日。


「ルルイア様……その、変ではありませんか?」

「…………っ!!」


 待ち合わせ場所である王都の大通りのはずれ。人目を避けた路地裏に現れたアリアの姿を見た瞬間、あまりの尊さに声を上げるところだった。今日の私たちは完全なお忍びだ(騎士の監視付きではある)。目立つドレスも、アイドルとしての華やかな衣装も封印。アリアが身に纏っているのは王都の裕福な平民の娘が着るような、落ち着いた亜麻色のワンピースに、飾りのないシンプルな麦わら帽子だった。

 しかし、隠しきれていない。素材の良さが。飾らない服装だからこそ、彼女の透き通るような白磁の肌や、華奢な首筋、そして麦わら帽子の下から零れる銀糸の髪の美しさが、暴力的なまでに際立っていた。


「……アリア。あなたは世界一可愛いわ。麻袋を被っていても、きっとあなたは可愛いのでしょうね」

「もう、ルルイア様ったら大袈裟なのですから……でも、ルルイア様のそのお姿も、とっても素敵です」


 アリアは翡翠の瞳を細め、嬉しそうに微笑んだ。私も今日は、動きやすいパンツスタイルに髪をアップにまとめた男装寄りの装いをしている。引率者として、いざという時にアリアを連れて走りやすいようにという実用性を重視した結果だ。


「さあ、行きましょうか。今日は私がエスコートするわ」

「はいっ」


 私が右手を差し出すと、アリアは少しだけ頬を染め、私の手をきゅっと包み込むように握った。そのまま腕を絡められ、肩と肩が触れ合う距離で大通りへと歩き出す。連日の激務から解放された王都の空気は、とても澄んでいて心地よかった。




 大通りは今日も活気に満ちている。

 私たちが最初に向かったのは、平民たちで賑わう屋台街だ。普段、公爵邸の専属シェフが作るコース料理か、最高級の茶菓子しか口にしないアリアにとって、道端で売られている『買い食い』の文化は未知の領域だろう。


「ルルイア様、あれは……?」

「あれは串焼きね。甘辛いタレが最高なのよ。一つ買ってみましょうか」


 私は銅貨を数枚支払い、湯気を立てる串焼きを二本受け取った。一本をアリアに手渡す。


「お行儀が悪いかもしれないけれど、今日は無礼講。口の周りが汚れても気にしないで、思いっきり齧り付いてみて」

「は、はい……」


 アリアは恐る恐る口を大きく開け、串に刺さった肉を齧った。もきゅもきゅと小動物のような咀嚼。やがて、彼女の翡翠色の瞳がパァッと見開かれた。


「美味しい……っ! お肉がすごく柔らかくて、この濃い味付けが、後を引きます……!」

「でしょう? 貴族の上品な料理もいいけど、こういう味もたまには必要なのよ」


 嬉しそうに串焼きを頬張るアリアの口端に、べっとりとタレがついてしまった。私は苦笑しながら懐からハンカチを取り出し、彼女の顔を覗き込んだ。


「じっとしてて」

「あ……ご、ごめんなさい」

「いいのよ。今日はアリアのそういう素の顔が見たかったんだから」


 そっと顎に手を添え、親指の腹越しにハンカチでタレを拭い取る。

 至近距離で目が合う。潤んだ瞳が、私を真っ直ぐに見つめ返していた。彼女の吐息が私の指先にかかる。周囲の喧騒が、不意に遠のいたような気がした。


「……ルルイア様」

「ん?」

「ルルイア様も、あーん」


 アリアは自分の食べかけの串焼きを、私の口元へと差し出してきた……紛れもない間接キス。こういうのは普通、甘味で起こるイベントなのでは? と益体もないことを考えて、私は内心の緊張を悟られないように「ありがとう」と短く応じ、彼女が差し出した串にパクっと齧り付いた。


「ん、美味しいわ。アリアが食べさせてくれたから、特別にね」

「もう、ルルイア様はすぐにそうやって、私をからかうのですから!」


 その後も私たちは、王都の街を存分に満喫した。大道芸人のパフォーマンスを見物し、露店で売られているガラス細工のアクセサリーを眺め、広場のベンチに並んで腰掛けて日向ぼっこをした。

 公爵令嬢としての重圧も、アイドルとしての振る舞いも必要ない。ただの等身大の少女として、アリアは今日一番の笑顔を何度も、何度も見せてくれた。

 そして口が寂しくなってくる午後三時。本日のメインイベントである、王都で一番人気の甘味処へと足を運んだ。ここは平民から下級貴族までが通う、お洒落で落ち着いたカフェだ。私たちは奥の半個室の席を確保し、店の一番人気である季節のフルーツをふんだんに使った特大パフェを二つ注文した。


「わあ……っ! 綺麗です……!」


 運ばれてきたパフェを見て、アリアは目をキラキラと輝かせた。グラスの中には、色鮮やかな苺、瑞々しい桃、濃厚なカスタードクリーム、そして冷たいアイスクリームが芸術的な層を成している。


「さあ、溶けないうちにいただきましょう」

「はいっ!」


 冷たいアイスと甘いフルーツを口に運ぶたび、アリアの顔がふにゃりと綻ぶ。その幸せそうな顔を見ているだけで、私も胸がいっぱいになる。


「……ルルイア様」


 パフェも半分ほど減った頃。アリアがスプーンを置き、ふと、真剣な眼差しで私を見つめてきた。


「今日は本当にありがとうございます。私、こんなに楽しい休日を過ごしたのは生まれて初めてです」

「大げさよ。でも、楽しんでくれたなら良かったわ。アリアは最近、本当に頑張っていたもの」

「ルルイア様のおかげです。ルルイア様がいなかったら……」


 アリアはグラスについた水滴を指先でなぞりながら、ぽつり、ぽつりと心情を吐露し始めた。


「私、ずっと世界は灰色だと思っていました。お父様の言う通りに生きるのが正しいことで、自分の意志なんて持っちゃいけないんだって。でも、ルルイア様が私に『アイドルになりなさい』って言ってくれたあの日から、世界が急に、色鮮やかに輝き始めたんです」


 アリアが顔を上げる。私を真っ直ぐに射抜く翡翠の瞳に宿るものは。


「ファンの皆さんの歓声も、ステージの眩しい光も、全部大好きです。でも……私が一番大好きなのは、ステージの上で振り向いた時、ルルイア様が私を見て笑ってくれている、あの瞬間なんです」

「アリア……」

「……私、もう絶対に、ルルイア様の隣から離れませんから」


 それは、ただの感謝の言葉を超えた────深くて甘い、告白のように聞こえた。

 テーブル越しにアリアが私の手をそっと握る。温かい。彼女の指先から伝わる体温が心臓の鼓動を急激に早めていく。


「……もう、手放してあげないわよ」


 私は照れ隠しのように笑い、彼女の手を強く握り返した。


「私があなたをアイドルにしたんだもの。最後まで、私が責任を持って世界一のアイドルにしてあげる。だから、安心して私の隣にいなさい」

「はいっ……! 一生、責任を取ってくださいね!」


 アリアは花が咲くような満面の笑みを浮かべ、私の手に自分の頬をすりすりと擦り寄せた。言葉の裏にある「一生」という重みに気づかないふりをしながら、私はただ、愛おしくてたまらないアリアとのひとときを過ごしたのだった。




 夕暮れ時。

 私たちはカフェを出て、王都を一望できる小高い丘の公園へとやってきた。茜色に染まる空と、眼下に広がる橙色の街並み。


「綺麗ですね……」

「ええ。本当にね」


 丘に吹く涼しい風が、アリアの銀髪をふわりと揺らす。

 私たちは柵に寄りかかり、肩を寄せ合いながら沈みゆく夕日を眺めていた。言葉はなくても、繋いだ手と手から伝わる温もりだけで、互いの心が深く結びついていることが分かる。

 もしも、この平穏で甘い時間がずっと続けばいいのに。自分の意志で道を切り開き、愛する運命の少女と共に世界を熱狂させ、休日はこうして二人で笑い合う。最高に刺激的で、満たされた毎日。


「帰りましょうか、ルルイア様。明日からまた、最高のステージを作らなくちゃいけませんから」

「ええ、そうね。新曲の振り入れ、ビシビシいくわよ」

「ふふっ、お手柔らかにお願いしますね」


 アリアの弾むような声に背中を押され、私たちは夕闇の迫る王都へと歩き出した。

 この絆があれば、どんな困難だって乗り越えられる。そう確信していた。


 ◆


 アリアとの絆を深め、休息を挟みながらも、私たちの事業は天井知らずの成長を続けていった。

 ルルアリ・シアター周辺は、もはや「ルルアリ特区」と呼べるほどの巨大な経済圏を形成していた。国内外から私たちのライブを一目見ようと押し寄せる人たちによって、王都の経済はかつてない黄金期を迎えたのだ。


「ルルイア様! 今日もシアターは超満員です。西の帝国からも、わざわざ馬車を乗り継いでやってきた貴族のお忍び客がいるそうですよ!」

「ふふっ、世界中が私たちの虜ね」


 毎日が熱狂の渦。莫大な富と、国を揺るがす圧倒的な支持。世界中に増え続ける熱狂的な「信者」たちは、もはやいかなる権力者であろうと手出しできない、最強にして最大の『盾』となりつつある。

 このまま国内外のファンを増やし続け、誰の所有物でもない『みんなのアイドル』になれば、アリアの政略結婚など完全に無に帰すことができる。実家のトップたちも、これだけの利益を生む私たちを無理やり結婚で引退させるなどという愚策は取れないはずだ。


 すべては順風満帆──だが、世界を巻き込むほどの熱狂は、時に私たちの想定すら超える巨大な『嵐』を呼ぶ。


「ルルイア様! アリア様! 緊急事態!!」


 ある日の午後。講師であり、良きビジネスパートナーとなったカルミアが血相を変えてシアターの控室に飛び込んできた。


「どうしたのカルミア。グッズの在庫なら予備が第二倉庫に──」

「違う! 西の帝国……そこの第一皇子から、正式な『外交要求』が届いたの!」


 カルミアはごくりと唾を飲み込み、震える声で告げた。

 曰く。


『ルルアリの二人を、直ちに帝国へ引き渡せ。さもなくば、国境の軍を動かす。リーズ家とエインズワース家の令嬢は、次期皇帝たる私の妻にこそ相応しい』


 圧倒的なアイドルビジネスで実家を黙らせ、貴族社会を出し抜いていた結果。

 私たちはあろうことか、国家間の戦争の『火種』になってしまったらしい。


「ちょ、ちょっと待ってカルミア。私たちが断れば、本当に西の帝国は我が国に攻め込んでくるって言うの!?」

「帝国の第一皇子は目的のためなら手段を選ばないことで有名な野心家だから……」


 頭を抱える私。大衆の熱狂を盾にする作戦は完璧だった。しかし、その熱狂が国境を越え、他国のトップすらも暴走させてしまうとは。


「……ルルイア様」


 不意に、隣にいたアリアが私の袖をきゅっと掴んだ。

 振り返ると、彼女は真っ青な顔をして、震える唇を噛み締めていた。


 ――大丈夫よ、アリア。


 怯えるアリアの姿を見た途端、私は妙に研ぎ澄まされた思考で覚悟を決めていた。

 私たちが『未婚の令嬢』である限り、今回のようなことは延々と繰り返されるのだろう。

 ならば、解決策は一つしかない。

 私の考えをアリアに伝える。アリアは驚愕し、狼狽し、借りてきた猫みたいに大人しくなってから、首肯を返した。


「……カルミア! 王都の大広場に特設ステージを組みなさい! 帝国の使者も、お父様たちも、全員最前列の席に招待して!」

「えっ、ライブをやるの!? こんな非常事態に!?」

「非常事態だからやるのよ! このふざけた要求を、私たちの手で完全に『白紙』に戻してやるわ!」


 ◆


 翌々日の夜。

 王都の大広場には、緊急の号外に導かれた数万の群衆がひしめき合っていた。夜を彩る魔法の照明が広場を照らし出す。最前列の特別席には私のお父様、アリアのお父様、私の婚約者であるセオドア、そして西の帝国から派遣された使者たちが陣取っている。

 舞台袖で、私はアリアの手を握った。温かくて、力強いその感触。

 帝国の使者たちは何かを確信したような傲慢な笑みを浮かべてこちらを見ている。


「行くわよ、アリア」

「はい、ルルイア様」


 幕が上がる。一瞬の静寂の後、王都を揺るがすような歓声が上がった。

 私たちは、ただ真っ直ぐに拡声の魔導具(マイク)の前へと歩み出る。深く息を吸い込み、数万のファンと、最前列の権力者たちを見据えて口を開いた。


「王都の皆さんに、大切なお知らせがあります。最近、私たちの周りが騒がしくなっているのは皆さんもご存知でしょう? 私たちは公爵家の娘。いつか誰かの妻となり、この舞台から消えてしまう。皆さんは、そう思っていませんか?」


 広場が、水を打ったように静まり返る。ファンの目には不安の色が浮かび、お父様たちは「何を言い出すのか」と訝しげな表情を浮かべている。


「最初は、こう宣言しようと思っていました。私たちは生涯誰とも結婚せず、ずっと『みんなのアイドル』として生きていくと」


 群衆から「おおっ」と期待の声が漏れる。しかし、私は首を横に振った。


「でも、気づいたのです。私たちが未婚という身である限り、同じようなことが続いてしまう。ファンの皆を、不安にさせてしまうと。此度の要求を撥ね退けても、また別の国、別の貴族が、次から次へと私たちに求婚してくるでしょう」


 帝国からの使者の顔がピクリと動く。


「だから、決めました。この不毛な申し出を終わらせるために。私が最も愛し、心から大切にしたいと願う人と、生涯を結ぶことを!」


 その瞬間、広場がどよめいた。最前列のお父様や帝国の使者たちは身を乗り出した。

 私はマイクを握り直し、隣に立つアリアの腰を強く引き寄せる。

 そして、彼女の翡翠色の瞳を真っ直ぐに見つめ、数万の観衆に向けて高らかに宣言した。


「私が生涯を捧げ、結婚を誓う相手は────ここにいる、アリア=エインズワースただ一人です!!」


 私はすかさずアリアへとマイクを向ける。アリアは頬を真っ赤に染めながらも、信じられないほど慈愛に満ちた、とびきりの笑顔で群衆に語りかけた。


「はいっ。私のすべては……ルルイア様だけのものです。私たち『ルルアリ』は今日、この場を借りて永遠の愛を誓います!」


 最前列のお父様たちが、同時に立ち上がって何かを叫んでいる。

 貴族社会の常識ではあり得ない。公爵家の令嬢同士が自ら結婚を宣言し、家への奉仕を完全に放棄するなど大事件だ。帝国の使者も、鳩が豆鉄砲を食ったように絶句している。

 私たちの結婚に反対する人たちがいる一方――広場は熱狂に包まれていた。


「ウオオオオオオオオオオオオ!!!」

「最高!! 二人は、最初から二人だけのものだったんだ!!」


 狂乱。熱狂。そして、すさまじいまでの祝福の嵐。

 世界で一番愛し合っている二人という構図が完成した今、ここに割って入ろうとする者は「純愛を引き裂く悪逆非道な輩」として世界中の信者から憎悪と敵意を一身に受けることになる。

 帝国の使者は、数万人の熱気に怯え、震える手で撤退の準備を始めた。第一皇子がどれほど権力を持っていようと、世界を敵に回しかねないこの状況では、手出し不可能だと悟ったのだろう。

 お父様たちも、もはや沈黙するしかなかった。いまさら反対を叫べば、王都の経済を支えるこの巨大な熱狂が、一瞬で暴動へと変わる。彼らの手札から「政略結婚の駒」という選択肢は、永遠に失われたのだ。


 ◆


 翌々日。

 結婚宣言の余波は凄まじかった。王家も、実家である両公爵家も、世界中の世論と経済効果を敵に回すリスクを恐れ、私たちに対する一切の干渉を完全に放棄した。アリアの北の辺境伯への輿入れも、私のセオドアとの婚約も、正式に「白紙撤回」という形で公に発表されたのだ。

 私たちは、ついに鳥籠から解き放たれた。


「終わった……終わったわ、アリア! これで私たちは自由よ!」


 ルルアリ・シアターのVIPルーム。

 すべての後始末を終え、ソファーに深く腰掛けた私は、大きく伸びをした。

 前世の三十連勤すら霞むような激動の数ヶ月だったけれど、これでもう誰の顔色を窺う必要もない。


「ルルイア様、本当にお疲れ様でした。冷たい果実水をお持ちしましたよ」


 アリアがグラスを二つ持って近づいてくる。

 コトリとテーブルにグラスを置くと、彼女は私の隣にすとんと座り、私の腕に自分の腕を絡めてきた。


「ええ、ありがとう……でも、まさかここまでトントン拍子で上手くいくとは思わなかったわね! 一生独身だと宣言しても絶対にちょっかいを出されるから、いっそ『私たちが結婚します』って宣言して枠を埋めちゃうのが一番手っ取り早い()()だったわけだけど、結果的に大成功よ!」


 私が笑いながら言った瞬間。

 ピタ、と。アリアの動きが止まった。


「……()()?」


 アリアは静かに私の腕から手を離し、立ち上がった。

 そして、ソファーに座る私の両脚の間にスッと膝を差し込み、上から覆い被さるようにして、両手を私の肩に乗せる。


「あ、アリア……?」


 至近距離。甘くて濃いパルファムの香りが、逃げ場のない空間に満ちる。

 彼女の翡翠色の瞳が照明に翳り、深くどろどろとした重たい熱を帯びて私を真っ直ぐに見下ろしていた。


「ルルイア様。大勢の皆さんの前であんなに素敵なプロポーズをしておいて、今さら設定だなんて、そんなの許されるはずがありません」

「え、でも、事前にアレはそういう演出でいこうって話を……」

「そうだったんですか? 『結婚しよう』と言われた時点で他のお言葉が耳に入っておりませんでした。聞き逃していたのかもしれません。ねえ、ルルイア様?」

「はい」

「私を鳥籠から出した責任、一生取ってくださいねと言いましたよね」


 有無を言わせぬ威圧感がある声に私は素直に返事する。アリアの白く滑らかな指先が、私の頬をそっと撫で、顎のラインをなぞり、首筋へと滑り降りていく。ゾクゾクとした言いようのない快感が背筋を駆け上がった。

 アリアの顔が、唇が触れ合うギリギリの距離まで近づく。

 吐息が絡み合う。私の衣服に彼女の手がかかる。その瞳の奥に渦巻く独占欲に、私はすっかり見惚れてしまっていた。


「私はルルイア様だけのものです。そして、ルルイア様も、私だけのものですよね?」

「あ、アリアさん? 顔が、あの、近い、です……っ」

「嘘から出た誠という言葉がありますよね。ああ、いえ、あながち嘘でもないのでしょうか? 嫌なら、拒絶すればいいだけですもの」


 その甘い囁きと直後に唇に落ちた感触。私は一切の抵抗をせず、すべてを受け入れていた。




 理不尽な政略結婚をぶっ壊すために始めたアイドル計画。

 私は見事に「政治の鳥籠」を破壊し、世界を熱狂させることに成功した。


 だが、どうやら私は、貴族社会という鳥籠から抜け出した直後、このとびきり重くて甘い、二度と逃げられない鳥籠に、自ら喜んで囚われてしまったらしい。


 でも、まあ、悪くない。

 これからの人生は、永遠に彼女を輝かせ、誰よりもそばで愛し続けるための、最高に幸福な時間になるのだから。


「一生、私だけのものでいてくださいね、ルルイア様♡」

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― 新着の感想 ―
最高すぎますわね…! ルルイア様…あんな盛大なプロポーズを公衆の面前でしておいて今更設定だなんて…ちょっとねぇそれは世間が許してはくれませんわよ! アリア様、ルルイア様が設定だなんて言えないくらいに愛…
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