3層目⑦:月めぐる夜
公園に来た時に比べ、めぐるの足取りは幾分か軽くなっていた。
ふと見上げると、月はいつの間にか中天を過ぎていた。
「思ったよりお散歩してたんだなぁ。早く戻らなくちゃ。」
相変わらず風のない停滞した空気の中を、家に向かって少しだけ早足で歩みを進める。
下を向いていた視線は、昼間と同様に前を見据えていた。
ややあって、めぐるは家にたどり着くと、植木鉢の下から鍵を取り出した。
玄関の鍵が音を立てないよう、そっと回す。
鍵を植木鉢の下に戻す。
ゆっくりと扉を開け、身を滑り込ませる。
「ただいま。」と小さくつぶやきながら後ろ手に鍵をかけると、そのまま靴を脱ぎ、忍び足で廊下を進む。
足音を立てないように気を付けつつ、静かにリビングへ向かう。
夜の静けさの中、床のきしむ音や、わずかな足音が響く――はずだった。
けれど、物音はなに一つしなかった。
「あ。」
廊下の中ほどで、めぐるは立ち止まると、小さく笑って呟く。
「私にはそういうの、ないんだった。」
口元に小さな笑みを浮かべたまま、めぐるはヒカルが眠る部屋に向けて視線を移す。
「でも、こういう『人間らしさ』、私は愛おしいんだよね。」
扉を数秒ほど見つめた後、めぐるは無音のままリビングに入っていく。
夕食の時と同じように、テーブルにつくと、考えるように頬杖を突いた。
「明日、なんて謝ろうかな。」
めぐるの声は、独りのリビングの中で響くことなく、ただただ静かに消えていった。
その頃のヒカルはというと、規則正しい寝息を立てながら、夢を見ていた。
古めかしく、所々サビの浮いた外装をした機械に囲まれた場所。
夢の中のヒカルは、見覚えのあるソコで、「銀髪で濃い藍色のロングコートの人物」と対峙していた。
その人物の向こうには壁があり、エレベーターが3基並んでいる。
最下層でめぐるが現れ、ヒカルの前でその力を初めて使用した場所。
その人物は、ただヒカルを待つようにソコに立っていた。
何か話しかけられていることはわかるが、何を話しているかまでは理解できない。
何度か会話のやり取りを経て、めぐると同じように壁に向かい歩き始める。
そして右手に光を集め、エレベーターの扉に触れると、扉は崩れ、ややあって新たな扉が現れる。
マッチの火を消すように右手を振り、その光を散らすと、そっとエレベーターの呼出しボタンに触れる。
呼出しに応じるように、エレベーターが動く音が聞こえた気がした。
――気が付くと、生命に満ちた温室の中を歩いていた。
その景色は、ヒカルにジワジワと汗が滲む暑さと、のどの渇きを思い出させた。
木々に囲まれながら、似たような景色の中をヒカルは歩き続けた。
その場にしゃがみ込むと、影がのぞき込んでくる。
「キミの歩みは、ここで終わるのかい。」
この言葉だけは、やけにハッキリと聞こえた。
また何を話しているか分からないが、何か会話を交わす。
ヒカルに背を向け、両手に光を集めると、手が触れた木々が急成長し、差し込む日差しを遮る。
手に集まった光が消えるとともに木々の成長が止まる。
こちらを振り返り、何かを告げると、独りで先へと歩き去っていった。
背中が木々に隠れて見えなくなったころ、視界が暗転する。
整然と並ぶ小さな石碑。
木々が穏やかに揺れている。聞こえないはずの木々のざわめきが聞こえる。
見覚えがないはずなのに、自分がそこにいることが妙に現実味を帯びている。
見回すと、めぐると銀髪の人物が並んで立っている。
ヒカルの方から何かを言おうとしたところで、やけに現実味を帯びた――いや、夢ではなく現実の方から、ドアをノックする音がした。
「ヒカル、そろそろ起きた方がいいよ。」
めぐるの声も聞こえる。呼び戻されるように意識が覚醒していく。




