第5話 遺跡で起こった奇跡
『もうすぐ着きますよ』
ドラゴンのテレパシーが澄んだ鐘のように頭蓋に響き、俺は身を乗り出して下を覗き込んだ。
月明かりに磨かれた古代遺跡が、夜の海に浮かぶ大陸みたいに広がっている。想像を軽く越える規模――石造りの建物群が精密な歯車のように並び、中央には神殿めいた巨構が天へと線を引いていた。
「うわあ……すごいな」
「ドラゴンが長年守ってきた成果ですね」
セレスティアが静かに呟く。
『我が守ってきましたから』
ドラゴンは誇らしく尾を揺らす。
『ですが、覚醒してからは役目の意味が分からなくなって……』
着陸。鱗の背から飛び降りると、冷えた石畳が靴底を通して確かな現実を伝えてくる。
「で、どうする?」
ガルドが短く問う。
セレスティアの話では、この奥に多数の役割持ちが眠っているという。俺の能力で彼らを覚醒させられるかもしれない。
「まずは眠っている役割持ちを起こしてみよう」
俺は腹を括った。
「仲間が多ければ、どんな局面でも心強い」
「それは危険だ」
セレスティアの眉間に影が落ちる。
「一度に大勢が覚醒すれば、制御不能になる可能性がある」
「でも、みんなで話し合って決めるって約束したよな」
俺は振り返る。
「エルフィン、どう思う?」
「私は……」
エルフィンの瞳が揺れ、やがて芯が通る。
「私たちのような存在が他にもいるなら、きっと混乱しています。助けたいです」
「リーナは?」
「タロウ様が決めたことなら」
リーナは柔らかく微笑む。
「私は付いていきます」
『我も賛成です』
ドラゴンが頷き、金のたてがみが月に煌めく。
『長く一人で遺跡を守ってきましたが、本当は寂しかったのです』
「よし、決まりだ」
重い扉はすでに開かれていた。内部は青い燐光で満ち、壁面の古代文字が淡く呼吸している。
「この光は?」
俺が問う。
『遺跡を維持する魔法です』
ドラゴンが歩調を合わせて説明する。
『眠る皆の生命を保つ循環でもあります』
長い廊下。左右に果てなく並ぶ部屋。その中央――
「これは……」
息が詰まる。
水晶のような透明カプセルが、祭壇のように静かに立っている。中には人の影。男、女、子供、老人――年齢も装いも様々な人々が、安らかな眠りを保っていた。
『彼らは皆、役割持ちです』
ドラゴンの声に憂いが混じる。
『世界が「秩序」を重視した時代、不要と判断された者たちがここに集められました』
「不要って……」
胸が痛む。言葉が喉で軋んだ。
「例えば『村に住む陽気な詩人』『旅回りの大道芸人』――戦闘や労働に直結しない役割です」
セレスティアの声は重い。
「世界が効率を求めた時、彼らは『無駄』として封印された」
「そんなの、間違ってる!」
思わず声が出た。
「詩人も、芸人も――誰かの明日を灯す存在だ!」
その瞬間だ。
胸中の熱に呼応するように、遺跡全体が脈動し始めた。
「これは……」
セレスティアの瞳が見開かれる。
俺の周囲で金色の光が渦を巻く。渦は音もなく広がり、列なるカプセルへと触れていく。
次いで――カプセル一基ずつに柔光が灯る。
「タロウ様……」
リーナの声が震える。
眠りの瞼が、次々と――開いた。
『すごい……』
ドラゴンの感嘆が響く。
『一度に全員が……!』
カプセルの封は一斉に解かれ、長い眠りから人々が立ち上がる。最初の一息は驚きで、次の一息は生の重みで満ちる。
「あ、あれ? ここは……」
「私は――そうだ、私はトーマス! 村の詩人だ!」
「私はエルザ。踊り子よ!」
「メロディアです……吟遊詩人を」
銀髪の少女が竪琴を抱きしめながら、おずおずと名乗った。
波が押し寄せるように、人、人、人。遺跡の廊下は色彩を取り戻し、ざわめきに温度が宿る。混乱の中にも、一人ひとりの顔に「生きている」という光がはっきり芽吹いていた。
「皆さん!」
俺は声を張る。
「落ち着いてください!」
空気が一拍、静まる。無数の視線が、針のようにこちらへ集まる。
「えーと……」
膝が笑いそうになる。こんな数の前に立つ自分を、想像したことがなかった。
そこへ、一人の老人が前へ出る。
「君が我々を覚醒させてくれたのかね?」
深い皺を刻んだ顔に、温い笑み。
「私は『賢者』ドクター・フィンチだ」
「フィンチ先生……まさか、あなたが」
セレスティアの表情に驚きが走る。
「セレスティア様も覚えていてくださったのですね」
フィンチは苦笑するように目を細めた。
「先生はなぜここに?」
セレスティアが問う。眉は困惑のまま。
「私は古代魔法と失われた知の研究者だ。だが、世界管理機構の役割持ち統治化政策で『政策に著しく実害あり』と断じられ、他の非戦闘系と共に封印された」
フィンチの声に、苦味が混じる。
セレスティアは深く頭を垂れた。
「申し訳ありません。世界管理機構に政策を一任したのは……私の判断ミスでした」
フィンチは複雑な沈黙ののち、長い溜息を吐く。
「そうか……」
それから皆へ向き直り、朗々と声を放った。
「皆さん、彼が我々の恩人だ。長い眠りから解き放ってくれた」
「ありがとうございます!」
「感謝します!」
幾重にも重なる感謝の声。俺は耳の後ろが熱くなり、手を振って応える。
「えっと、俺は田中太郎です。でも、俺一人の力じゃありません。みんなで一緒に――」
轟きが、言葉を切り裂いた。
遺跡の奥から、地鳴りが這ってくる。
「何だ?」
『あ……』
ドラゴンの念話が慌ただしく震える。
『これはまずいです』
「何がまずい?」
胸がざわつく。
『一度に覚醒したことで、遺跡の魔力バランスが崩れました。封印の部屋に異常が出ているかもしれません』
セレスティアの顔から血の気が引いた。
「真の創造主の封印に影響が?」
全体が揺れた。天井の継ぎ目が低く軋み、床の文様が淡く滲む。
「きゃあ!」
リーナがよろめく。俺は即座に肩を支えた。
そして、最深部から――声。
『……誰だ? 我を目覚めさせたのは?』
それは全員の心に直接落ちた。重厚にして威厳、そして底に沈む深い哀しみ。
「真の創造主が……」
セレスティアの声が震える。
「封印が緩んでいる」
『面白い……久方ぶりに、純粋な善意を感じる』
声は静かに、しかし確かに続く。
『封印の後継者よ、そしてそこにいる覚醒した者たちよ。我は君たちと話がしたい』
フィンチが俺を見る。その瞳に判断の炎。
「タロウ君、これは君が決めることだ」
無数のまなざし。覚醒した人々、リーナ、エルフィン、ガルド、セレスティア、そしてドラゴン――皆が、俺の口から出る次の言葉を待っている。
真の創造主は対話を望んでいる。
だが、封印が完全に解かれれば、世界は再び混沌へ転がるかもしれない。
逃げる? それは一時しのぎに過ぎない。
もう一つ――まずは封印の構造を知る。仕組みを解いて、安全策を整える。
「フィンチ先生」
俺は向き直る。
「この封印、どの程度わかりますか?」
「古代魔法の研究者として多少は。だが、詳しく調べる時間が要る」
フィンチは頷いた。
果たして――
真の創造主と対話するべきか?
危険を避けて退くべきか?
まず封印を調査すべきか?
どうする、田中太郎――
最奥から響く神々の声を聞きながら、俺は人生最大の決断へと、手を伸ばしていた――
続く……




