第3話 世界の管理者現る
「待ってくれ」
俺は手を上げ、皆の動きを制した。
胸の奥に突拍子もない考えが閃いた。
「これは……ただ逃げるべき問題じゃないのかもしれない」
「タロウ様?」
リーナが眉をひそめ、困惑を隠せないまなざしを俺に向ける。
「考えてみて下さい。街に戻ったとしても、根本は何も変わらない。人々は混乱し、ギルドの上層部は俺を危険視する。ですが――」
俺は振り返り、背後に控えるドラゴンを見た。
巨大な瞳に映るのは、まだ解ききれぬ戸惑い。
「本質は、なぜ役割持ちが突然覚醒し始めたか、そこにあるはずです」
「確かに……」
エルフィンがそっと頷く。
「私たち自身も、どうして急に自分で考え、選べるようになったのか……理由は分かりません」
そのときだった。
――空間が、歪んだ。
「え……?」
目の前に、突如として巨大な魔法陣が浮かび上がる。
青白い光が森一帯を染め、風のない木々がざわめき揺れた。
「何だ、これは……!」
ガルドが剣に手を伸ばした瞬間――その腕が止まった。
いや、彼だけではない。俺たち全員が、まるで見えない糸で縛られたように、動けなくなっていた。
魔法陣の中心が光を割き、人影が一歩、また一歩と現れる。
それは――人の言葉で「美しい」などと軽々しく呼ぶことがためらわれる存在だった。
性別を超えた中性的な容貌。
夜空を閉じ込めたように深い青の瞳。
月光を編んだかのような銀髪が、腰まで流れ落ちる。
純白のローブをまとい、その背には光で形づくられた翼がゆるやかに揺らめいていた。
「ほう……」
その存在は俺たちを一瞥し、唇の端に愉快そうな色を宿す。
「これは予想以上に面白い現象だ」
声は男でも女でもなく、澄んだ鈴音のようでありながら、どこか冷たい深みを含んでいた。
「あなたは……」
リーナの声が震える。
「私は世界管理者、セレスティア。
この世界の秩序を維持するために在る者だ」
世界管理者――。そんな存在が、本当に?
セレスティアと名乗ったその者は、視線を俺へと射抜く。
「そして君が、この異常の発生源」
俺は喉を鳴らし、かろうじて声を絞り出した。
体は縛られて動かぬのに、口だけは不思議と自由だった。
「待て、誤解だ! 俺は何も――」
「誤解?」
セレスティアは鈴のような笑いを零した。だが、その響きにはぞくりとする冷たさが混じる。
「処罰しに来たと思ったか? 違う。むしろ私は君に感謝している」
「……感謝?」
セレスティアは一歩近づき、光の翼をひらりと揺らした。
「この世界は長きにわたり停滞していた。
役割持ちは命じられた行動を繰り返すだけ。
冒険者は同じ依頼を延々とこなし、街の人々は変わらぬ日常を繰り返す。
変化はなく、進化は閉ざされていた」
俺は混乱し、眉を寄せる。
「しかし――君が現れたことで流れが変わった。
役割持ちたちが自我を宿し、世界に『変化』が芽吹いた」
「でも、街は混乱しています!」
エルフィンが恐る恐る声を上げる。
「それは通過点にすぎない」
セレスティアは手をかざし、指先で虚空を払った。
拘束が解け、体が自由を取り戻す。
「変化には混沌が伴う。
だが、その先にこそ真の豊かさがある」
俺は息を吐き、まっすぐに問いかけた。
「あんた……目的は何なんだ?」
「目的?」
青い瞳がきらりと光を帯びる。
「私の目的は、この世界をより面白くすることだよ、田中太郎君」
「……本名を、なぜ」
「すべて知っている。
君は元の世界から来た高校生。
だが同時に、この世界では『役割持ち』として組み込まれている」
二重存在――その言葉が脳裏を焼く。
「本来なら、役割持ちは決められた行動以外できない。
だが君は記憶と意識を持ったまま、この世界に組み込まれた」
セレスティアが虚空に幾何学模様を描くと、青光が編み上がり、複雑な紋が浮かぶ。
「結果、君の周囲にいる役割持ちにも『逸脱』が広がった。
プログラム――いや、この世界では『運命』と呼ぼう――を破り始めている」
俺は言葉を失った。
自分が「バグ」だという現実に。
「だが、それは素晴らしい」
セレスティアは楽しげに手を打つ。
「停滞に風穴を開け、進化の芽をもたらしたのだから!」
ドラゴンが小さく鳴いた。
セレスティアはその姿を見やり、柔らかく微笑む。
「ほら、君も変わった。
以前は『遺跡を護る凶暴な竜』だったのに、今は『迷子の大型犬』のようだ」
「遺跡を……護っていた?」
俺はドラゴンを見上げる。
「そう。
本来なら近づく者を焼き払う役割を担っていた。
だが君の影響で、枷から解放された」
青の瞳が再び俺に向けられる。
「さて――君たちは街に戻るつもりのようだが、それは賢明ではない」
「どうしてですか?」
リーナが問う。
「ギルド上層には『伝統派』がいる。
彼らは停滞こそ秩序と信じ、君を絶対に認めない。
最悪――」
セレスティアの微笑が淡く翳る。
「君を『異物』として消去する」
「消去……殺すってことか」
「そうだ。
彼らにとって秩序はすべてに優先する」
血の気が引く。
リーナの警告は正しかったのか。
「安心しろ」
セレスティアは緩やかに微笑み直す。
「私には別の提案がある」
「……提案?」
「隠れ里を紹介しよう。
そこには既に覚醒した役割持ちが集っている。
君と同じような存在もいる」
「俺と同じ……?」
「元の世界から来た者。
あるいは理由もなく高度な自我を得た者。
いずれも世界の『変化』を象徴する存在だ」
胸の奥にざわめきが広がる。
俺以外にも――転移者が?
「隠れ里でなら、自由に生きられる。
同時に、自分の力を理解し、制御する術を学べるだろう」
「学ぶ……?」
「今のままでは影響が制御できない。
やがて世界全体を揺さぶり、混乱を生む」
確かに街では既に異変が起きている。
「でも……街の人は?」
エルフィンの声が揺れる。
「心配無用。私が記憶を調整する。『珍しい魔法現象が一時的に起きた』――その程度に置き換えられる」
「記憶を……操作?」
「私は世界管理者だからね」
セレスティアは静かに指を三本立てる。
「君たちの選択肢は三つ」
一本目の指を立てる。
「一つ、隠れ里へ行き、同志と共に新たな生活を始める」
二本目の指。
「二つ、街に戻り、伝統派と正面から対峙する」
そして三本目。
その表情は一転して、鋭く、真剣なものへ。
「三つ――私と共に『世界改革』を進める。
君の力で全ての役割持ちを覚醒させ、この世界を根本から変えるのだ」
「世界改革……」
「決められた運命を超え、真に自由な世界を築く。
君なら、その旗手になれる」
選択肢の重みが胸に圧し掛かる。
隠れ里――安全だが、街を見捨てることになる。
街に戻る――危険だが、正義と責任に正面から挑める。
世界改革――壮大すぎる。結果を誰も読めない。
「時間はない」
セレスティアの声が森を震わせる。
「討伐隊が動いている。数時間後には、ここも戦場になる」
ドラゴンが鼻先を押し当ててくる。
「どの道を選んでも、私は共にある」――そんな響きが伝わった。
リーナ、エルフィン、ガルド。
その瞳が俺に突き刺さる。
運命の舵を、俺が握っている。
果たして――
安全な隠れ里で生き延びるか。
危険を承知で街に戻り、正面から抗うか。
それとも、セレスティアと共に世界を根底から塗り替えるか。
どうする、田中太郎――
続く……




