第11話 王都の分かれ道
夜空の下、王都の灯りが一つ、また一つと戻っていく。
路地の影では人々が抱き合い、歌声が瓦屋根を渡って流れていった。
俺はドラゴンの背に身を預け、その光景を見下ろしていた。
「太郎様、これからどうされますか?」
メロディアの声が夜風に混じって届く。
王都防衛か。補給線奇襲か。
どちらを選んでも、誰かの運命が変わる。
胃の奥が重く、冷たい。
案内役が淡々と告げる。
『敵本隊、王都まで残り80キロ。到達予定時刻は明日15時』
「……俺たちで補給線を叩けるのか?」
フーガが折り畳みの地図を開き、夜目にも読める赤の印を指した。
「後方部隊は三千。円陣の中心に感情波無効化機が6基。護衛は分厚いけど、裏を返せば機動力がない」
「それでも三千だぞ。俺たちは何人で行くんだ?」
「50人。選りすぐりの覚醒者だけ」
50対三千。数字だけ見れば絶望だ。
それでも、俺たちには覚醒の火種がある。
「太郎が近づけば、敵の中から味方が生まれる」
ガルドが低く、確信のこもった声で言う。
「問題は、無効化機の範囲内に入る前に、どこまで揺らせるかだ」
♦
遺跡の作戦室に戻ると、カイザーが戦況図の前で腕を組んでいた。
「決めたか?」
「……補給線を叩く」
言葉にする瞬間、肺が痛むほど深く息を吸い込んだ。
「王都で迎え撃てば、市民を確実に巻き込む。でも補給線なら、俺たちだけで済む」
——嘘かもしれない。
本当は、あの灯りの下で歌う人たちを、もう一度戦場に引きずり出すのが怖いだけかもしれない。
それでも、今は前を向くしかない。
カイザーは即答で頷いた。
「賢明だ。補給を潰せば、本隊の士気は崩れる。感情波無効化機を全部破壊できれば、対覚醒者の牙も抜ける」
セレスティアが揺るぎない声音で告げた。
「時間を稼げば各地の覚醒者が王都に集まれる。長期戦は私たちが有利。そして補給が途絶えれば、本隊の進軍は二日は遅れるはず」
リーナが不安を隠しきれずに俺を見つめる。
「でも、太郎様が最前線に……」
「大丈夫だ」
努めて明るく笑ってみせる。
「一人じゃない。みんながいる」
♦
翌朝。遺跡の広場に50人の覚醒者が並んだ。
元第三戦団の兵士、魔法使い、吟遊詩人、商人、農民。
昨日まで“ただの人”だった面々が、今は自分の足で立ち、同じ方向を見ている。
メロディアが一歩前に出る。
「出陣の歌を。『風を切る翼』」
澄んだ声が空を洗い、胸骨の内側を震わせた。
即興の詞が風に乗り、列のあちこちからハミングが重なる。
俺も小さく口ずさむ。音程は怪しいが、心だけは真っ直ぐに。
「出発だ」
カイザーの号令で、隊列は王都南方の森へと動き出した。
♦
昼過ぎ。
森の奥で、俺たちは敵の補給部隊に遭遇した。
馬車群が同心円状に組まれ、その中心に無機質な塔が6本。
青白い光——感情波無効化機——が、森の静寂を抉るように明滅している。
無表情の兵士たちが円陣を固め、呼吸のリズムまで同じだ。
「距離二百。太郎の覚醒範囲は4キロだが、干渉で大幅に減衰してる」
ガルドが木陰から囁く。
胸の奥の“熱”に手を伸ばす。いつもなら触れれば燃え上がる火が、今日は濡れた布の下でくすぶっている。
青い光は、俺の波を押し潰していた。
「どう動く?」
「正面突破だ」
カイザーが剣の柄に手を置く。
「太郎を楔の先頭に置き、一気に中心へ。無効化機を潰す」
「待ってくれ」
思わず手を上げた。
違う。正面からぶつかったら間違いなく折れる。
どこかに、ひびを入れる角度があるはずだ。
案内役が脳裏で囁く。
『王都の逆位相チューニングの応用が可能。覚醒波の周波数を固定し、無効化機の追従外帯域を狙ってください』
「……放送塔でやった手だな」
『はい。ただしリスクあり。周波数固定に失敗した場合、覚醒波が反転し、適合者自身にフィードバックする可能性がある』
メロディアが振り返る。
「太郎様?」
皆の視線が刺さる。
信じてくれている目だ。
俺は——まだ手探りだ。それでも、前に出るのは俺だ。
「……無効化機を“騙す”。周波数で盲点を突く。メロディア、音を貸してくれ」
♦
作戦は単純で、難易度は高い。
メロディアが基準音を生み、俺が覚醒波をそこへ“調律”する。
無効化機が追い切れない帯域で、外周から心を揺らす。
「準備は?」
メロディアが微笑む。
「『共鳴破壊のワルツ』、始めます」
低いラの音。
胸の熱を、その一点へゆっくりと集め、重ね、細く尖らせる。
——ぶれる。
覚醒波が散り、森の湿気に吸われる。
「もう一度」
二度目。三度目。
指の腹でガラス杯の縁を撫でるように、音と心の震えを合わせていく。
やがて、音と自分が一つになった瞬間——
「今だ!」
調律された覚醒波が、波紋となって円陣に触れた。
♦
最初に反応したのは外周の若い兵だった。
「あれ……俺は……?」
剣が草に落ち、彼は頭を押さえる。
「どうして、こんな場所で……」
続いて弓兵が膝をつき、槍兵が肩を震わせる。
「帰りたい……」「家族の顔が——」
無効化機の青が苛立つように明滅し、だが調律はその隙間を縫い続けた。
「効いてる!」
ガルドが息を呑む。
「外周、50は目覚めた!」
そのとき、円陣の中心から怒号。
「攻撃を受けている!出力最大!」
青が刃のように鋭くなった。
刹那針で刺すような激痛が頭蓋の内側を走り、視界が揺れる。
「ぐっ——!」
波が乱れ、逆流が喉元まで迫る。
案内役の声が鋭く響く。
『未知の干渉。通常の抑制に加え、逆位相追尾が起動——適合者に反射の危険』
「太郎様!」
メロディアの指が俺の手を掴む。温かい。
「まだ……いける」
覚醒した敵兵が、仲間の盾を押し下げて叫ぶ。
「やめろ!俺たちは——!」
声は砕け、再び青に呑まれそうになる。
「カイザー、今だ。これ以上は持たない、突っ込んでくれ!」
「了解!全軍、突撃!」
50の影が風となって駆ける。
混線する陣の隙を裂くように、楔が中心へ伸びた。
だが、最後の輪は硬い。あと一歩が遠い。
♦
戦場は渦そのものだった。
覚醒した兵と未覚醒の兵がもみ合い、剣戟の火花が青光を濁す。
無効化機の台座に取りすがる近衛の盾が、壁のように立ち塞がる。
「太郎、もう一回いけるか?」
ガルドが血の付いた剣先で盾列を指す。
「やる」
頭痛は波のようにぶり返す。それでも。
メロディアが俺の手を両手で包む。
「今度は2人で。私が貴方の波を抱き留める」
「暴走したら、君まで——」
「信じています」
恐れではなく、覚悟の色の瞳。
深く吸い、ゆっくり吐く。
自分の輪郭を、一度、捨てる。
音の中へ、心ごと沈む。
「『共鳴解放のフィナーレ』——!」
メロディアの声が高みに跳ね、俺の覚醒波と合わさって巨大な奔流に変わる。
青が悲鳴を上げ、無効化機の表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
一基が爆ぜ、光の破片が昼の森に星雨を降らせた。
「いまだ、押し通れ!」
カイザーの咆哮。
ガルドが割れ目へ剣を突き立て、近衛の盾が弾け飛ぶ。
2基目、3基目——連鎖的に青が墜ちる。
——そこで、限界が来た。
視界が真白に抜け、音が遠のいた。
皮膚の内側が焼けるように痺れ、足元がほどける。
案内役の声が遠い雷のように響く。
『権限昇格の兆候を検知。第三段階へのアクセス——』
途切れる。
最後に届いたのは、メロディアの切羽詰まった叫びだった。
「太郎様!」
♦
柔らかな陽だまりの温度で、意識が引き戻された。
木々の葉が風に揺れ、影が頬を往復する。
「目を覚ましたか」
カイザーの声が落ちてくる。
体を起こすと、仲間たちの顔が輪になっていた。
泥と汗にまみれているのに、笑っている。
「戦いは?」
「勝った」
ガルドが白い歯を見せる。
「無効化機、6基すべて破壊。補給部隊は壊滅、生き残りの大半が覚醒して合流した」
胸の奥で何かがほどけた。
息が少し、甘い。
メロディアが隣に膝をつく。
「太郎様、最後の波……圧巻でした。三百以上、一度に目覚めました」
三百。
俺一人の力じゃない。
歌と、刃と、覚悟が重なって生まれた数だ。
案内役が淡々と報告する。
『敵本隊の進軍速度が低下。補給途絶により、王都到達は2日遅延見込み』
時間を、稼げた。
その間に、各地の灯りが王都へ集まるはずだ。
「でも、まだ終わりじゃない」
立ち上がる膝に、森の土が温かい。
世界管理機構の本隊は健在。
そして——俺の中には、あの白い断絶が残っている。
覚醒能力の暴走。
このまま踏み込めば、戻れなくなる瞬間が来るかもしれない。
敵は次に、どこを狙う?
王都へ雪崩れ込むための別の策は?
創造主の封印も、待ったなしだ。
このまま畳みかけるべきなのか?
王都の防衛線を強化するべきなのか?
封印の調査を優先するべきなのか?
「——ひとまず王都に戻ろう」
夕日が森を琥珀色に染める。
勝利の余熱と、次の戦いの予感を胸に、俺たちは歩き出した。
どうする、田中太郎——。
——続く。