【番外編】好きだったものにすら、逃げられない。タバコは好きじゃない
――3年前
ΩRMのオフィスラウンジには、古い建物特有のコンクリートのにおいがほのかに残っていた。
窓際、ジョージが椅子に腰かけ、無言でタバコをくゆらせている。
彼の煙草の吸い方は、どこか妙に機械的だった。火をつけ、吸って、吐く。ただそれだけを、ひたすら繰り返す。
「……おいおい。さっきから3本目だぞ、ジョージ」
チャットは、ソファの背に片肘をかけて口元を歪める。
「空気、臭ぇんだよ。副流煙で死んだら労災おりる?」
ジョージはチラ、とチャットを見る。だが、何も言わない。
目に感情はない。ただ、疲れきった機械のように視線を滑らせたあと、また煙を吐く。
「……おーけー。ジョージ先生、本日も無言劇の主演っすか。渋いねぇ」
皮肉っぽく言ってみせたが、返事はない。チャットは鼻を鳴らし、その場を離れた。
数分後、彼はキッチン脇でヴィンセントに声をかけた。
「なぁ、ヴィン。あのチビ、ずっと煙吹いてるけど、大丈夫か? 肺、焦げるぞ」
「……あいつがタバコの本数増やしてるときは、放っとけ」
「は?」
「辛いときだ。いちいち口出すな」
ヴィンセントは短く言ったあと、自分のマグカップにコーヒーを注ぎ足した。
もうひとつ、チャットのマグカップも用意し、そこにも注ぐ。
「軍を除隊する前、あいつは戦場から戻るたび、1人で安いバーボンをあおってた。
酒は……好きだったんだよ。
けど、いつしかそれが逃げ場になってた。
誰にも話さず、泥酔して床で寝て、
それでも翌朝には、誰より早く訓練場に立ってた。……無表情でな。
でも今は、それすらやらない。
――いや、《《できなくなった》》。内臓、やられててな。
好きだったものにすら、もう逃げられないんだよ、あいつは。
だからさほど好きでもないタバコをふかしている。放っておいてやれ」
チャットはそれを聞いて、一瞬、返す言葉を失った。
「うわ、重てぇな」という言葉が喉元まで出かかった。だが、それはあまりにも安っぽすぎて、言えなかった。
代わりに、黙ってその場を離れた。
差し出されたマグカップ片手に再び、ラウンジへ戻る。
ジョージは相変わらず、同じ姿勢でタバコを吸っている。
(……あの目、どこまでが演技で、どこまでが素なんだ?)
チャットは心の中でそう呟く。
自分とは全く違う男。
感情の起伏も、言葉も、何も読めない。
けれど、読めないからこそ――その扉をこじ開けたくなる。
(……ちょっとだけ、ゲームを始めてみっか)
コーヒーを一口飲んだ。いつもより苦く感じた。
それでもチャットは静かに微笑んだ。
彼の中に、新たな興味が芽生えた瞬間だった。
 




