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【BL?番外編】究極の合理性バカZERO:冷蔵庫→トースターへ


 ――9年前

 ジョージ・ウガジン。当時19歳


 基地の夜は、退屈だった。


 ヴィンセントとジョージは、食堂の隅でコーヒーをすすっていた。

 昼間の訓練で疲れた隊員たちは、各々の時間を過ごしている。

 トランプをする者、筋トレを続ける者、ただぼんやりと座っている者。


 ジョージは、分厚い本をめくりながらコーヒーを飲んでいた。

 タイトルは『利己的な遺伝子』。著者はリチャード・ドーキンス。

 無駄のない文章を黙々と読み進める横顔は、まるで機械のように無感情だった。


「お前、また難しそうなの読んでんな。」

 ヴィンセントが横目で覗き込む。


「退屈だから。」


 ジョージは淡々と答え、ページをめくる。

 基地では娯楽が少ない。ジョージにとっては読書も「情報の収集」であり、娯楽というより訓練の延長だった。


 ヴィンセントは苦笑しながら、コーヒーをすする。

 すると、ふとした拍子に思い出したように言った。


「そういや、お前、最近何してんの?」


「特に何も」


 ジョージは無表情のまま、淡々と答えた。

 ヴィンセントは目を細める。


「お前、そろそろ女でも作れよ」


「……必要か?」


「いや、そりゃ好きにすりゃいいけどよ。

 軍隊入ってもう一年以上だろ?

 それなりに遊びたくならねえのか?」


「んー……」


 ジョージはコーヒーを飲みながら、考えた。


「いや、もうやったし。」


「……は?」


「だから、もう経験したし。先週」


 ヴィンセントの顔が「はあ?」という表情のまま固まった。


「おいおい、それをサラッと言うなよ。

 お前、そういうの興味なさそうだったのに、急にどうした?」


「別に。誘われたから。

 そろそろそういう事、経験しておくかと思って」


 ジョージは、まるで銃の分解方法を学んだくらいの感覚で言った。

 特に特別な思い入れもなく、ただ「経験」としてやってみただけだ。

 ヴィンセントは眉を上げる。


「へえ。で、相手は?」


「カーティス」


「……は?」


 沈黙。


「カーティス?」


「ああ」


 さらに沈黙。


「……いや、待て、あの、カーティス?」


「他に誰がいる?」


 ヴィンセント、限界突破。

「っはははははははは!!!」


 食堂の隅に、腹を抱えたヴィンセントの笑い声が響く。

 周りの隊員が何事かとこちらを見たが、ヴィンセントは気にせず、テーブルを叩きながら笑い続ける。


「おまっ……マジかよ!!

  カーティス!?

 お前、カーティスと寝たのか!?」


「うるさい」


 ジョージはコーヒーを飲みながら、無表情のままヴィンセントを見た。

 ヴィンセントは涙目になりながら、肩を揺らしている。


「くっそ! なんだよそれ!

 てっきり女かと思ったら、カーティスって!

 まあまあまあ、男なのはとりあえず置いておいて、なんでよりによってカーティス?

 お前、カーティス好きだったのか!?」


「別に。なんなら性別とかもどうでもよかった。

 本質的に男も女も同じだろう」


 ジョージは本当に興味なさそうに言う。

 ヴィンセントは、さらに笑い転げた。


「いやいやいやいや!!

  普通はさ!!

  初めてってもうちょいこう、選ぶもんじゃねえの!?

  なんでカーティスなんだよ!!」


「誘われたから。」


「いやいやいや、それだけかよ! 訓練かよ!」


「それだけだ。」


 ジョージは平然としていた。

 ヴィンセントはしばらく笑ったあと、ようやく息を整え、肩で息をしながらジョージを見た。


「……で、どうだったんだよ?」


「……」


 ジョージはしばらく黙った。

 その無表情のまま、ぼそっと言った。


「……人形と寝てるみたいだって言われた。

 次の日、何故かかなり落ち込んでいた」


 ヴィンセント、第二波の爆笑発生。


「っだぁはははははははは!!!

  クソッ!!

  お前、それ完全にやらかしてるだろ!!」


 ジョージは、ヴィンセントが涙を拭いながら笑うのを冷めた目で見つめていた。


「そんなに面白いか?」


「面白いに決まってんだろ!」


「なぜ?」


「いや、なんでって……

 お前、普通、初めてはもうちょいロマンチックとか……」


「必要か?」


「そもそもお前、カーティスが落ち込んでた理由、ちゃんと考えたか?」


「人形みたいだったと言われた」


「そういう問題じゃねえ!!」


「俺は“適切な動作”を行ったはずだが?」


「お前がやったのは、訓練のシミュレーションみたいなもんだったんだよ!!」


「……なら、次回は感情を学習すべきか?」


「違う、もうお前は何もしなくていい!!!

 お前はマジでダメだ!!

 くそ、俺の腹筋返せ……!」


 ヴィンセントは肩を震わせながら、コーヒーをすすった。

 そして、テーブルの上の『利己的な遺伝子』に目を落とし、ひくひくと笑いながら言った。


「……ははっ、マジかよ。

 遺伝子レベルで合理的すぎんだろ、お前……!」


 ジョージは特に否定も肯定もせず、本を指で軽く叩いた。


「恋愛感情も結局、遺伝子の生存戦略だ。」


「……は?」


「本能として惹かれる相手も、遺伝子的に適しているかどうかの判断にすぎない」


 ヴィンセントは目を見開いたあと、耐えきれずにまた笑い出した。


「っはははは!!!

 お前、経験する前にそんなこと考えてたのかよ!!」


「いや、した後に考えた。」


「最悪すぎんだろ!!!」


 ヴィンセントはテーブルを叩きながら笑い続ける。


 ジョージは特に気にした様子もなく、静かにコーヒーを飲んだ。


 ◇


 現在


 ΩRMのラウンジには、深夜の静けさが漂っていた。

 仕事がひと段落した時間帯。

 照明は落ち着いたトーンで、コーヒーの香りだけがほのかに残っている。


 チャットはソファにだらしなく体を預け、ジャーキーを噛んでいる。

 向かいでは、ヴィンセントが腕を組みながら穏やかにそれを眺めている。


「なあチャット……

 お前、ジョージの初体験の話、知ってるか?」


 突然のヴィンセントの言葉に、チャットは噛むのをやめた。

 ゆっくりとヴィンセントの顔を見る。


「なにそれ怖い。

 まさか“銃より先に撃ったのは恋だった”とか言わねえよな?」


「ちげぇよ」


 ヴィンセントがフンと鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。


「19んときだ。

 あいつ、“訓練の一環”とか言いながら、カーティスと寝た」


「……ん?」


 チャットの動きが止まる。


「ごめん、今“ジョージとカーティス”って聞こえた気がしたんだけど、電波のノイズだよな?」


「いや、合ってる。あのカーティスだ。

 アストラ・モーション社の。

 アーノルドがリハビリで世話になった」


 チャットは、持っていたマグをそっとテーブルに置いた。

 目を伏せ、軽く額を押さえる。


「……訓練の一環……ジョージ、やっぱりAIだったんだな……」


「誘われたら断る理由がなかったらしい。

 “そろそろ経験しておくか”ってだけで受けたんだと」


「“そろそろ覚えとくか”って、下半身システム設定の確認かよ!!」


 チャットはテーブルをバンと叩いた。


「ていうか、感情がない人間の初体験って“やってみた”じゃねえだろ!?

 試した、だろそれ!!」


「その後カーティスに“人形みたいだった”って言われたらしい。

 で、カーティスは1日落ち込んでた」


「カーティスに謝れ!!!!」


 チャットは頭を抱えてのたうち回る。


「いやもうダメだ……“魂のない実技試験”ってやつじゃん……

 “記録:性交渉、完了。評価:不可。理由:感情不足”ってか……!」


 ヴィンセントは笑いながらコーヒーをすすった。


「まあ、あいつが当時読んでたのが『利己的な遺伝子』だったからな。

 “生殖行動は遺伝子の自己保存戦略”ってページ読んで納得してたぞ」


「お前の初体験は自然の摂理か!!

 詩もロマンも皆無!!」


 チャットは天を仰いで呻いた。


「……かつて、愛を知らずにファーストキスを通過した男がいた……

 その魂は湿度を知らず、ただ“適温の効率”を求めた……。

 ああ、恋の反対は無関心ではない、“学習項目”だ……」


「それ詩か? 警告文じゃねえのか?」


 ヴィンセントが肩を揺らして笑ったそのときだった。


 ――足音もなく、背後から低い声が届いた。


「……なんの話だ?」


 チャットとヴィンセントの笑い声がピタリと止まる。


 ジョージが、いつの間にかラウンジに入ってきていた。

 冷蔵庫の前に立ち、水のボトルを手に取りながら、無表情でこちらを見ている。


 チャットは椅子に背筋を伸ばし、やたら愛想のいい笑みを浮かべた。


「え? あーいや、ヴィンセントが昔の仲間の失恋話を……」


「あー! えっと、いや、そのー……ジョアンナ? じゃなくて、ジョセフィーヌだっけ?

 ほら、カーティスと付き合ってた……気がする女が、なんか、泣いたとか泣いてないとか……?」


 ジョージは無言で水を開け、口をつけた。


「……どうして“人形”って単語が聞こえたんだ?」


 チャットの顔から、引きつった笑いが滑り落ちた。


「お、おかしいな!?  幻聴じゃね!?

 ねえヴィンちゃん!?

 幻聴ってことでいいよな!?」


「いやぁ~お前記憶力いいな……さすがだ……忘れてくれてもよかったんだが……」


 ジョージは淡々と一言。


「……あのときは、まだ最適化されていなかっただけだ」


「最適化って言うなよ

  アップデート通知かよ!!

 “ver1.02:感情パッチを搭載しました。

 人間性に若干対応しました”ってか!!」


 チャットが悲鳴のように叫ぶ中、ジョージは無言でソファに腰を下ろした。

 しばらく沈黙が流れたあと、チャットがぼそりと呟く。


「……でもな、お前が感情持ったら、それはそれでややこしそうだわ。

 冷蔵庫に急に火が点いたらビビるだろ、普通」


 ジョージはそれには何も言わず、しかし、

 ほんのわずかに、唇の端を持ち上げた。


 それを見逃さなかったチャットが、電光石火で指を差す。


「笑った! いま笑ったよな!?

  口角1ミリ! 誰か録画してなかった!?

  カメラどこ!?」


 ヴィンセントは吹き出し、肩を震わせながら言った。


「ほんと、あの冷蔵庫がよ……

 今じゃトースターくらいにはなったよな」


「……いやそれ、下手したら火傷するやつじゃん。油断できねぇ……!」


 ラウンジに、遅い夜の静かな笑い声が流れる。


 元・人形の男は、黙ってそれを聞いていた。





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