042:依頼じゃない。これは俺の意地で動く潜入だ。
ジョージはキッチンへ戻り、無造作に置かれたスマホを手に取った。
画面を点けると、不在着信の通知がひとつ。ヴィンセントからだった。
時刻を見る。シャワーを浴びていた時間と一致する。
ジョージはスマホを握り、静かにガレージへ向かった。
ナンシーたちを起こさぬよう、足音を殺して扉を開ける。
湿った夜気が肌にまとわりついた。
ガレージのシャッターは半開き。
椅子に腰を下ろし、ジョージはヴィンセントに折り返した。
コール3回。通話が繋がる。
『おう、やっと死人が蘇ったか』
ヴィンセントの第一声には、皮肉がたっぷり混じっていた。
「シャワー中だった。何かあったか?」
『お前、例のクラブにチャットと潜入って本気か?』
ジョージはスマホを持ち替え、膝に肘をつける。
「ああ。水曜に準備して、木曜に潜る。
チャットを使うが、経費は俺持ちだ」
『……チャットは副社長だぞ?
勝手に外注みたいに使っていい立場じゃねぇ。
組織の看板背負ってるって分かってるか?』
「わかってる。だが今回は、ΩRMじゃなく俺の判断だ。
ナンシーとの契約には潜入工作なんて含まれてない。
依頼人に負担はかけられない。
それに、会社の体面を汚すような動きはさせない。
チャット本人も了承済みだ」
『そんで、チャットは? 脳みそ抜いてOK出したのか?』
「“遊びを仕事にするのが俺の生き甲斐”って言ってた」
電話の向こうで、ヴィンセントが吹き出した。
『アイツ、筋金入りだな……で? 潜入方法は?』
「チャットが成金を演じてクラブに潜る。俺はその付き人だ」
『付き人って……お前が? あのジョージ・ウガジンが?』
「そうなる」
『“かしこまりました、お坊ちゃま”ってお辞儀すんのか?』
「その通りだ」
『ハハッ……くっだらねぇ〜な、最高だよ』
ジョージは黙って聞いていた。
「クラブ・ドミニオンのVIPエリアで、薬物と人身売買の疑惑がある。
盗聴器を仕掛けて証拠を押さえる。
それを使って、キングスリーに“グレナン家から手を引け”と通告する」
ヴィンセントはしばらく黙った。
『……もし交渉が失敗したら?』
「バックアップは用意する」
『ま、そう来ると思ってたよ。
お前はそういうヤツだ。だがな――』
ヴィンセントの声が低くなる。
『木曜に家を空けるなら、ちゃんと代わりを立てろ。
あの家に何かあったら、全部台無しだ』
「それについては考えてる。
これも俺が持ち出す。そっちで誰かいないか?
チンピラを追い払える程度でいい。戦闘員じゃなくていい」
『……新人、入れていいか?』
ジョージの眉がわずかに動いた。
「新人?」
『ああ。29歳、女。元衛生兵。レイチェル・カーター。
警備の基礎は入ってる。現場経験は浅いが、筋は通ってる。
人間性も問題なし』
「ナンシーや子どもと上手くやれるか?」
『礼儀はあるし、余計なことは言わないタイプだ。
気難しい娘にも過干渉しない。
だが、いざという時は殴れるくらいの腕と度胸はある』
ジョージは少し考えてから言った。
「経費は?」
『新人研修名目で計上する。タダだ』
ジョージは短く息を吐いた。
「優秀な人材を無料で。
お前、相変わらずやり手だな」
ヴィンセントが笑う。
『だろ? で、そっちは完全に持ち出しでやるってのも本気なんだな?』
「本気だ。だから――」
ジョージはスマホを持ち替え、作業台に肘をつきながら静かに言った。
「俺をΩRMの役員にしなくて正解だったろ?」
電話越しの沈黙。
次の瞬間、ヴィンセントが盛大に吹き出した。
『マジでな。お前が財務担当だったら、とっくに潰れてたわ!』
「感謝してくれ」
『するわ。心からな!』
ヴィンセントはようやく落ち着きを取り戻しながら続ける。
『じゃあ決まりだな。
チャットと新人は水曜にそっちへ向かわせる。
俺は少し離れた場所で待機しとく』
「了解」
ジョージは通話を終え、スマホを作業台に置いた。
ふと天井を仰ぎ、蛍光灯の白い光を無言で見つめる。
――水曜、準備。
――木曜、潜入。
目線を下ろすと、ローグの傷が視界に入った。
ジョージはその線を指先でなぞり、静かに息を吐く。
クラブに足を踏み入れれば、もう引き返せない。
だが――あのスニーカーが吊るされた瞬間、すでに始まっていたのかもしれない。
覚悟をひとつ、胸の奥に沈めるように。
ジョージは、ゆっくりと呼吸を整えた。




