【番外編】ビーンズヒーロー:勝手にヴィーガンにされたんだが……放っておいてくれないか?
チャールズ・フィンリー。通称:チャットは、笑いを堪えるのが苦手だった。
だから今も、ダイナーの隅でアイスティーを啜りながら、唇の端を震わせている。
カウンター席のジョージ・ウガジン。
例によって注文は、グリーンサラダ、ビーンズスープ、全粒粉のトースト。それとブラックコーヒー。
肉? 一度も頼んでいない。
腹部を撃たれた後遺症で、食べるものが限られているからだ。
肉は量と質を選ばないと、消化が追いつかない。
それが、地元のヴィーガン伝説を生むとは、当の本人は知る由もなかった。
「毎日サラダだけの小柄な元兵士がいる」
「ビーンズで罪を洗ってるらしい」
「ビーンズ=贖罪? やばい、これ小説になる」
SNSは一気にバズった。
誰かが作ったキャッチコピーは、“銃を置き、豆を選んだ男”。
小柄な体型も相まって、“ビーンズヒーロー”と呼ばれるようになった。
◇
ΩRMのオフィスに、ヴィーガンを推奨する団体から表彰盾が届いた時、チャットは笑いすぎて倒れかけた。
『地域における平和的食選択の象徴』
Presented to Mr. George U.
「おいジョージ……お前、今じゃ豆の伝道師だぞ」
「…………」
「なんか言えよ。否定しろよ」
しばし沈黙の後、ジョージがぽつりと呟いた。
「……あの店は場所が便利だ。
だが肉は、油が悪い。腹を刺す。だから食わない。それだけだ」
その無表情な言い切りに、チャットはテーブルに突っ伏した。
「そのストイックさが、さらに火に油なんだよ!
マジで燃えるぞ、お前のビーンズ!」
翌週、ダイナーの壁には新たなポスターが貼られていた。
“BEANS, NOT BULLETS.”
描かれているのは、豆をすくうジョージの横顔。シルエットすら静謐だ。
ウェイトレスはにっこり笑って注文を取る。
「ビーンズヒーロー、いつものでいいわよね?」
チャットはブース席で、頭を抱えてうめいた。
「……いいのかこれで。いや、いいのか……?」
それでも、彼は思う。
否定しない。主張もしない。
ただ、必要な理由があって豆を選び、静かにスプーンを動かすその姿。
それは時に、人々に勝手な意味と希望を与える。
そしてジョージは、それすら受け流してしまう。
チャットは息をついて、タブレットに届いた最新の記事を開いた。
『豆で世界を変える男:元兵士ジョージ・U氏の食卓に学ぶ』
肩をすくめて、笑うしかなかった。
「……もうビーンズ教でも立ち上げるか?」
◇
「……お前、また変なメール来てんぞ」
ΩRMオフィスの朝。
チャットが、にやにやしながらヴィンセントにタブレットを突き出してきた。
「今度は何だよ」
ヴィンセントはため息をつきながら、画面をのぞき込む。
そこには、奇妙に熱意のこもった文面があった。
『弊社では現在、“沈黙の草食獣”ことジョージ・U氏をモデルに、
ヴィーガンと非暴力をテーマにしたヒューマンドラマ映画を企画しております。
主役は無言で豆をすくうだけの元兵士。彼の沈黙が世界を変える――
そんな感動のストーリーを、世界に届けたいのです』
「…………は?」
ヴィンセントの脳内で、食事をしているジョージの姿が、壮大な音楽と共に脚色された映像が流れて、即座に停止した。
「いやいやいや。いやいやいやいや!!!」
「おちつけヴィンちゃん、これ今、マジで出資募ってるぞ。ハリウッドのインディーズ枠で」
「インディーズでジョージ!?
スプーンだけで演技するの!?
おい、何でお前笑ってんだよチャット!!」
数日後、ジョージはいつものようにビーンズスープを前にしていた。
変わらぬ姿勢。変わらぬ表情。変わらぬ沈黙。
ヴィンセントはその横に座った。疲労の顔を隠しきれなかった。
「なあ……なあ、ジョージ。お前、自分の名前で映画作られそうになってんの分かってるか?」
「…………」
「“銃を捨て、豆で語る兵士”、“過去の罪を豆で洗う男”だぞ。
セリフはゼロ。全部表情芝居だってさ。脚本、ガチだった」
「…………」
ヴィンセントはついに耐えきれず、テーブルを指差して怒鳴った。
「だから言ってんだろ!! 肉も食えって!!」
「…………」
ジョージはほんの少しだけ、首を傾げた。
「……油が悪い」
「知ってるよ!!!
でもこのままだとお前、“豆の黙示録”でデビューするんだぞ!?」
後ろのブース席から、チャットの爆笑が止まらなかった。
◇
そしてその週末。
映画企画は、「本人の許諾が得られない」という理由で白紙になった。
理由はこう記されていた。
『対象人物の反応が無言すぎて、同意かどうかすら分からなかったため。
また、代理人と思われる人物が肉を食わせようとキレていたため、断念いたします』
ヴィンセントはオフィスで、ポスターを握りつぶしていた。
そこには、白黒で描かれたシルエット――
豆をすくうジョージの姿に、「SILENCE OF PEACE」と添えられていた。
「……いいかジョージ。次にチキン頼んだら、俺が喜んで奢るからな」
「……分かった」
その声が、ほんのわずかに柔らかく聞こえた気がして、
ヴィンセントは仕方なく笑った。




