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【番外編】ビーンズヒーロー:勝手にヴィーガンにされたんだが……放っておいてくれないか?

 チャールズ・フィンリー。通称:チャットは、笑いを堪えるのが苦手だった。

 だから今も、ダイナーの隅でアイスティーを啜りながら、唇の端を震わせている。


 カウンター席のジョージ・ウガジン。

 例によって注文は、グリーンサラダ、ビーンズスープ、全粒粉のトースト。それとブラックコーヒー。


 肉? 一度も頼んでいない。


 腹部を撃たれた後遺症で、食べるものが限られているからだ。

 肉は量と質を選ばないと、消化が追いつかない。


 それが、地元のヴィーガン伝説を生むとは、当の本人は知る由もなかった。


「毎日サラダだけの小柄な元兵士がいる」


「ビーンズで罪を洗ってるらしい」


「ビーンズ=贖罪? やばい、これ小説になる」


 SNSは一気にバズった。

 誰かが作ったキャッチコピーは、“銃を置き、豆を選んだ男”。

 小柄な体型も相まって、“ビーンズヒーロー”と呼ばれるようになった。



 ΩRMのオフィスに、ヴィーガンを推奨する団体から表彰盾が届いた時、チャットは笑いすぎて倒れかけた。


『地域における平和的食選択の象徴』

Presented to Mr. George U.


「おいジョージ……お前、今じゃ豆の伝道師だぞ」


「…………」


「なんか言えよ。否定しろよ」


 しばし沈黙の後、ジョージがぽつりと呟いた。


「……あの店は場所が便利だ。

 だが肉は、油が悪い。腹を刺す。だから食わない。それだけだ」


 その無表情な言い切りに、チャットはテーブルに突っ伏した。


「そのストイックさが、さらに火に油なんだよ!

 マジで燃えるぞ、お前のビーンズ!」


 翌週、ダイナーの壁には新たなポスターが貼られていた。

 “BEANS, NOT BULLETS.”

 描かれているのは、豆をすくうジョージの横顔。シルエットすら静謐だ。

 ウェイトレスはにっこり笑って注文を取る。


「ビーンズヒーロー、いつものでいいわよね?」


 チャットはブース席で、頭を抱えてうめいた。


「……いいのかこれで。いや、いいのか……?」


 それでも、彼は思う。

 否定しない。主張もしない。

 ただ、必要な理由があって豆を選び、静かにスプーンを動かすその姿。


 それは時に、人々に勝手な意味と希望を与える。

 そしてジョージは、それすら受け流してしまう。


 チャットは息をついて、タブレットに届いた最新の記事を開いた。


『豆で世界を変える男:元兵士ジョージ・U氏の食卓に学ぶ』

 肩をすくめて、笑うしかなかった。


「……もうビーンズ教でも立ち上げるか?」



「……お前、また変なメール来てんぞ」


 ΩRMオフィスの朝。

 チャットが、にやにやしながらヴィンセントにタブレットを突き出してきた。


「今度は何だよ」


 ヴィンセントはため息をつきながら、画面をのぞき込む。

 そこには、奇妙に熱意のこもった文面があった。


『弊社では現在、“沈黙の草食獣”ことジョージ・U氏をモデルに、

 ヴィーガンと非暴力をテーマにしたヒューマンドラマ映画を企画しております。

 主役は無言で豆をすくうだけの元兵士。彼の沈黙が世界を変える――

そんな感動のストーリーを、世界に届けたいのです』


「…………は?」


 ヴィンセントの脳内で、食事をしているジョージの姿が、壮大な音楽と共に脚色された映像が流れて、即座に停止した。


「いやいやいや。いやいやいやいや!!!」


「おちつけヴィンちゃん、これ今、マジで出資募ってるぞ。ハリウッドのインディーズ枠で」


「インディーズでジョージ!?

 スプーンだけで演技するの!?

 おい、何でお前笑ってんだよチャット!!」


 数日後、ジョージはいつものようにビーンズスープを前にしていた。

 変わらぬ姿勢。変わらぬ表情。変わらぬ沈黙。


 ヴィンセントはその横に座った。疲労の顔を隠しきれなかった。


「なあ……なあ、ジョージ。お前、自分の名前で映画作られそうになってんの分かってるか?」


「…………」


「“銃を捨て、豆で語る兵士”、“過去の罪を豆で洗う男”だぞ。

 セリフはゼロ。全部表情芝居だってさ。脚本、ガチだった」


「…………」


 ヴィンセントはついに耐えきれず、テーブルを指差して怒鳴った。


「だから言ってんだろ!! 肉も食えって!!」


「…………」


 ジョージはほんの少しだけ、首を傾げた。


「……油が悪い」


「知ってるよ!!!

 でもこのままだとお前、“豆の黙示録”でデビューするんだぞ!?」


 後ろのブース席から、チャットの爆笑が止まらなかった。



 そしてその週末。

 映画企画は、「本人の許諾が得られない」という理由で白紙になった。

 理由はこう記されていた。


『対象人物の反応が無言すぎて、同意かどうかすら分からなかったため。

 また、代理人と思われる人物が肉を食わせようとキレていたため、断念いたします』


 ヴィンセントはオフィスで、ポスターを握りつぶしていた。

 そこには、白黒で描かれたシルエット――

 豆をすくうジョージの姿に、「SILENCE OF PEACE」と添えられていた。


「……いいかジョージ。次にチキン頼んだら、俺が喜んで奢るからな」


「……分かった」


 その声が、ほんのわずかに柔らかく聞こえた気がして、

 ヴィンセントは仕方なく笑った。


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