038:バカとバケモンとΩRM
深夜。ΩRM本社・オフィスフロア。
天井から吊られた球体が、ほのかに光を弾いていた。
チャットは「サンキャッチャー」だと言い張っていたが、どう見てもミラーボールの類だった。
昼は窓からの陽に、夜は間接照明に照らされ、静かに天井を撫でていた。
「気の巡りが良くなる」――そう言った本人は本気だったが、ヴィンセントはずっと無言のままだ。
仕切りはない。
元は倉庫だった空間。
いまは無骨なフリーアドレスのオフィスに変わっている。
磨かれた床に、無垢材のデスクがいくつも並ぶ。
壁際のソファはやけに鮮やかなブルー。
隣にかけられた抽象画だけが、ここがただの作業場ではないと主張していた。
粗削りな空間に、奇妙な調和があった。
合理と無駄。その狭間に、ΩRMは座っていた
そのソファに、チャットは寝転び、スマホをいじっている。
一方、木製の大テーブルに肘をつきながら、社長ヴィンセント・モローは書類の束と格闘していた。
軽くバイブが震える。
From: ジョージ
[月曜か木曜にクラブ・ドミニオンに潜る。スケジュールを確認しろ]
[詳しくはヴィンセントに聞け]
短く、ぶっきらぼうなメッセージ。
チャットはそれを見て眉をひそめた。
「……は?」
素っ頓狂な声を漏らし、近くでペンを走らせていたヴィンセントに振り返る。
「なあヴィンちゃん。“ドミニオンに潜る”って、ジョージが言ってんだけど。
俺、急にスキューバでも始めんの?」
ペンが止まり、ヴィンセントがゆっくり顔だけ向ける。
目つきが険しい。
「……は?」
「だからさ、月曜か木曜に“潜る”って。
酸素ボンベ買っといた方がいい?」
チャットがスマホをひらひら掲げる。
ヴィンセントはそれを見て、ひとつ、深く息を吐いた。
「ドミニオンは海じゃねぇ。キングスリーのクラブだ」
「あー、あの“悪党サロン”か!」
チャットは指を鳴らす。
「政治家とギャングが肩組んで踊る場所。
裏じゃ武器とドラッグと女の売買ってやつね。
ロマンあるよな」
「ロマンじゃねぇよクズ」
ヴィンセントは低く呟き、書類を脇に寄せる。
「今回はジョージの依頼人、ナンシー・グレナン。
お前も電話受けただろ?」
「当然覚えてるって! ジム経営のシングルマザー、娘が2人。
地元を守る無口な用心棒と、裏で蠢く怪しいクラブ。
いやもう、B級アクションの王道じゃん。……で、それが今、現実進行中と」
「……いいから黙れ」
「はーい」
ヴィンセントは指をこめかみに当て、苛立ちを抑えるように続けた。
「そのナンシーが、キングスリーの圧力を受けてる可能性がある。
で、ジョージが“クラブに盗聴器を仕掛ける”とさ」
「ほう。楽しそうじゃん」
チャットがニヤリと笑った瞬間、ヴィンセントが吠えた。
「俺のブチ切れポイントはそこだ!!」
デスクをドンと叩き、頭を抱える。
「確かに“手伝いが必要なら仲間を手配しろ”とは言った。言ったけどな!!
まさかのお前かよ!! 副社長!!」
「いいじゃん、俺で!」
チャットは上体を起こし、嬉々として言った。
「潜入? 盗聴? 好きなやつ!!」
「お前は会社の顔なんだよ!!
副社長が裏口から犯罪組織に忍び込んでたら、
どう考えても“アウト”だろ!!」
「でもさー、ニュースになったらウケるよ?」
「ウケるじゃねぇ!! 死ぬわ!!」
ヴィンセントは机に突っ伏した。
チャットはその背中をポンポンと叩く。
「大丈夫大丈夫、華麗に潜入して華麗に盗聴器仕掛けて、華麗に撤収してやるから」
「せめて普通にやれ……」
「華麗に普通って、矛盾してる気がするけど?」
「黙れ!!」
チャットはケラケラ笑いながら椅子に身体を預け、スマホを操作する。
ΩRMの共有フォルダを開き、〈クラブ・ドミニオン/キングスリー関連資料〉をタップ。
無数の写真、噂、黒い金の流れ。
「……悪党クラブのお品書き、なかなか多いな」
チャットの指が止まり、口元がゆがむ。
「“ブラックリストに名を刻みたきゃ、まずここを通れ”って感じかね」
ヴィンセントがわずかに顔を上げる。
「……なんだよ」
「いや。ジョージ、変わんねぇなって」
チャットはスマホの画面を見せた。
「“地獄にダイブする前に、徹底的に下調べ”。
無茶はするくせに、やたら細かぇんだよな」
ヴィンセントは鼻を鳴らし、叫んだ。
「知ってたけどムカつく!!!」
デスクに拳を叩きつける。
チャットは椅子をゆらしながら笑った。
「けどまあ、あいつのその歪んだ几帳面さがなきゃ、
俺ら、たぶん何年か前に破産してたろ」
「それも知ってたけどムカつく!!」
ヴィンセントはさらに机を殴り、ついに机上の書類が舞った。
チャットはスマホをポケットに放り込み、肩をすくめた。
「バケモンにはバケモンで対応するしかないだろ? 社長」
軽くウインクを飛ばす。
ヴィンセントは両手で顔を覆い、呻いた。
「……ΩRM、バケモンの隔離施設かよ……」
部屋には深夜特有の沈黙が戻った。
ただし、そこにいるのは誰一人“普通”ではない。