037:ジョージ、彼女いるの?
「ねえ、そういえば、ジョージ。……彼女いるの?」
唐突だった。
作業していた手が、わずかに止まる。すぐに動き出す。
金属の擦れる音が、静かな夜に戻ってくる。
「……ああ。いる」
ジェシカは少し驚いたように眉を上げた。
しかし躊躇わず、会話を繋ぐ。
「そっか。……ちょっと意外」
「何が」
「だって、いつも無表情だし。人に興味なさそう」
ジョージは短く息を抜いた。
視線だけを、ちらと横に向ける。
「興味がないんじゃない。……関わっていい人間か、選んでるだけだ」
「ふうん。で、その彼女は、“選んだ”んだ」
工具を入れ替える手が、止まらない。
「……あいつは、俺を“ただの他人”として扱える数少ない人間だ」
「それって……褒めてる?」
ジェシカが肩をすくめて笑った。
ジョージは何も返さず、使い終えた工具を戻す。
少しの間を置いて、彼女がぽつりと口を開く。
「……たぶん、私、ママが“パパじゃない男”とくっつくの、嫌だったんだと思う」
手は止まらない。
だが、空気の濃度が変わる。
「ジョージが来たとき、正直むかついた。
……ママ、美人じゃん。どう思った?」
ジョージは作業を続けたまま言う。
「依頼人だ」
「……そっか。だよね」
風が、ガレージの隙間から吹き込む。
ジェシカは小さく笑った。
「まあ、変な男じゃなくてよかったよ。
ママ、ちょっと“見る目”ズレてるから。
チャーリー・ハナムとか、ジョシュ・ホロウェイとか、好きなんだよね。
役と見た目がちょいワル系」
沈黙。ふいに声が柔らかくなる。
「でもね、パパは違った。
カイル・チャンドラーみたいな人。
真面目で、不器用で、優しかった」
ジョージは視線を天井にやった。
「……俺は、どれにも似てないな」
「ううん。ジョージは、ダニ・ペドロサって感じ」
鼻で笑う。
「身長がか」
ジェシカも笑った。
「ふふ……うん、あと全部。
無口なとことか、顔の雰囲気とか。
もし彼がアジア人だったら、たぶんジョージみたいな顔だよ」
「よく知ってるな。……バイクレーサーだろ」
「うん。パパが好きだった。MotoGP。特にペドロサ」
「ああ……」
ジョージは静かに頷いた。
「家でもよくDVD見ててさ。同じレース、何回も。
引退したとき、“静かに消えるのがあいつらしい”って。
ジョージは?
なんでペドロサ知っていたの?」
ジェシカの言葉に、ジョージはふと目を細めた。
「……4年前、病院で観た。深夜の再放送だった。
2015年、日本GP。もてぎ。雨だった」
「――あれか! 最後に優勝したやつ! ホームで!」
ジェシカの声が跳ねる。
「速いのに、倒れない。静かなのに、強かった。
濡れた路面で、何度も滑りかけながら……諦めなかった。
小さな体で、でかい奴らに食らいついてた」
「……パパもね、似たようなこと言ってた。
“あいつは、沈黙で全部返す”って」
ジェシカの声がかすかに震える。
目元が揺れていた。
ジョージは黙っていた。
沈黙のなか、ジェシカが話題を切り替えるように尋ねた。
「ねぇ、その彼女って、どんな人?」
鼻をすする音が小さく響く。
「……料理が上手い。あと、俺よりずっと言葉がある」
「言葉がある?」
「……俺が言えないことを、あいつは言える。
たぶん、俺の代わりに、世界と話してくれてる」
「その人のこと……好き?」
問いが落ちた瞬間、工具の音が止まった。
静けさが、空気の奥まで染み込む。
ジョージはしばらく黙っていた。
やがて、低く、静かに言った。
「……たぶん俺にとって“好き”ってのは、
“いなくなったとき、何もかも壊れるかもしれない”と思うかどうか、だ」
「……え?」
「喪失が怖いって感じる相手。
そういう人間を、好きって呼ぶんだと思う」
ジェシカは黙ったまま、彼を見つめていた。
その言葉の重さを、15歳なりに受け止めようとしていた。
「俺には、もったいない人だ。
……そう思えるうちは、大事にしようと思ってる」
ガレージに、再び風が吹き抜けた。
「……まあ、そんな話だ」
ジョージは立ち上がる。
空気が切り替わる音がした。
「遅い。もう寝ろ」
ジェシカは、少し名残惜しそうに頷いた。
「……うん。おやすみ」
足音が遠ざかる。
扉が静かに閉まった。
ジョージは、しばらくそこを見つめていた。
やがて左ポケットからスマートフォンを取り出す。
無言で画面を開き、指を滑らせる。
To: チャット
[月曜か木曜にクラブ・ドミニオンに潜る。スケジュールを確認しろ]
数秒の間。続けて打つ。
[詳しくはヴィンセントに聞け]
スマホをテーブルに戻す。
再び、工具を手に取った。
指先は正確に、冷たく、パーツの上を滑っていく。
思考はすでに、潜入ルートのなかにいた。
◇
【あとがき】
ジョージは「愛している」とも「好き」とも感情を表現しないタイプです。
「俺には、もったいない人だ。
……そう思えるうちは、大事にしようと思ってる」
実はかなりこだわって書きました。
少しだけ解説させてください。
→「俺には、もったいない人」
ジョージには、自分を受け入れる自己肯定はあります。
しかし、自分の行動を評価する“自己評価”は、あまり高くありません。
彼自身、「自分と付き合えば、相手は苦労する」と自覚している。
だからこそ、「自分は彼女にふさわしくない存在だ」と思っている。
それでも彼女は、そんな彼を尊重し、程よい距離でそばにいてくれる。
そこには、言葉にはしないけれど、深い感謝があります。
→「そう思えるうちは」
彼の中では、「感謝」が、あたりまえだという「慢心」に変わった時点で、自分は身を引かなければならない――そう考えている。
つまり、「もったいない」と思えるあいだだけ、自分は彼女の隣にいる資格がある。
そのラインを、常に自分で律しているんです。
→「大事にしようと思ってる」
最後まで言い切らない。
それは曖昧さではなく、不器用なやさしさの表れです。
「大事にする」と断言してしまえば、それはもう、誓いになってしまう。
彼は、自分がいつか居なくなってしまう可能性を、どこかで感じている。
だからこそ、「思っている」と留める。
それが、彼なりの最大限の愛情表現なんです。




