018:あ、こいつ天然だ
21時過ぎ。ΩRM本社・オフィスフロア。
社員たちが引き上げたあとの空間には、書類の匂いと微かに残った雑音の名残だけが漂っていた。
静かすぎるほどの静けさ。
天井の照明は半分だけ落とされ、煉瓦の壁に影が伸びている。
コーヒー片手に足を組んでいた副社長チャールズ・“チャット”・フィンリーは、鳴り響いた外線のディスプレイをちらりと見て、眉を上げた。
「……誰だこんな時間に?」
着信元は非通知。だが、妙に素人臭い着信音の空気が、すでに何かを物語っていた。
チャットはカチャっと固定電話の受話器を上げ、声を低めに抑えて出る。
「こちらΩRMカスタマーリレーションズ、チャールズ・フィンリーです。ご用件は?」
受話器の向こうから、やけに緊張した若い男の声が返ってきた。
『あのっ、すみません、少しだけお聞きしたいことが……!』
チャットは一拍の沈黙を置いてから、ゆっくりとコーヒーを啜った。
その口元に、薄く笑みが浮かぶ。
(あー……こいつ、天然だな)
「なるほど、少しだけね。
で、どの話題について少しなのかな?」
『あの……そちらに、小柄な東洋系の男性がいらっしゃると聞いたんですが……』
「……小柄な……おぉ、アレか。
配送業あがりの無口なナッツ中毒くんね」
『……はい!?』
「君の言ってる“彼”が誰かは察しがついたよ。
でも、なぜそんなニッチな個人情報を?」
『い、いえ、ちょっと、調査というか……あの、彼のことを少しだけ――』
チャットは電話の受話器を肩と耳で挟んだまま、デスクに足を投げ出した。
「ま、教えてもいいけど、《《話は適当に聞いてくれ》》よ?
ほら、俺って副社長だけど、“それなりに無責任”なところがあってさ」
『……はぁ……?』
「元は配送屋……だったような気がする。
UPSとかそのへんの茶色いヤツね。
軍歴? あー、それは……“一応”ってことで。
何かしらの訓練は受けたらしいけど、どこでどうかは誰も知らない。
本人もノーコメント。お察しってやつ。
射撃? クセの強いフォームでなら当たる。
でも普通に構えると豆鉄砲。
結局、撃つより投げる方が速いっていう、そっち系の人間だね」
『な、なんですって……!?』
「うん、でも近接は得意らしいよ。
いや、得意っていうかそれしかないって話もある。
一匹狼タイプ。社内コミュは……ゼロ。
社内ストック分のナッツだけ黙々と消費してるのは多分アイツ」
『……それって、ΩRMの正式な人材では……?』
「ΩRMの正社員かどうかって? うーん……
ナンシーって依頼人が勝手に契約しただけだから、ウチとしては“外注扱い”」
『が、外注……!?』
「正式には“支援的存在”……通称:謎の副菜」
『副菜……?』
「主菜にはなれないけど、添えると味が引き立つらしい。
中華でいうザーサイ的ポジション」
『………………………』
――存在・副菜・ザーサイ――
チャットは、いい感じに韻を踏めた自分を心の中で褒めた。「完璧じゃねぇか」
「ま、そういうやつよ。“東洋の謎ナッツ”」
チャットはにっこりと電話口で笑った。
「ところで君さ、録音してたら編集しておいてね」
『えっ……あっ、は、はいっ!
ど、どうもありがとうございましたっ!』
通話が切れた。チャットは受話器を置き、ため息をつく。
「いやー、情報戦って、ほんと人材選びから始まるよなぁ……
ハハッ! 元詐欺師に正直な答え期待するって……
君、最高にいい子だな」
彼はくつろぎながら、ひとり呟いた。
「……さて、ナッツでも食うか。
な、ジョージ?」




