【番外編】ジョージの休日② – マフィアの犬(物理)
依頼内容:超重量級ピットブルの散歩
翌日、ジョージはΩRMのオフィスで、ヴィンセントから雑な書類を渡された。
依頼内容:ピットブルの散歩(超重要)
依頼人:某マフィアの幹部(名前非公開)
犬の名前:ブルータス(50kg級)
注意事項:ジョージでも手に負えないかもしれない
「……なんだ、これ」
「読んだ通りだ。マフィアの幹部が飼ってるピットブルを散歩させる。簡単だろ?」
「いや、なんでマフィアの犬を散歩させる?」
「そこの幹部が腕を怪我しててな。
で、近所の犬好きから『犬に運動させないとストレスでヤバい』って言われたらしい。
で、『誰か適当な奴に頼め』って話になって、ウチのところに回ってきた。
適当な奴……つまり、お前だ」
「意味がわからん」
「俺もだ」
ジョージはメモを見つめながら、若干の不安を覚えた。
「俺でも手に負えないかもしれない」 とは、どういうことなのか。
◇
初対面 – ブルータス(超重量級)
ジョージは指定された場所、マフィアの隠れ家のような屋敷の前に立っていた。
門を開けると、目の前に巨大な黒い影が見えた。
「……デカいな」
50kgどころじゃない。実際には60kgはありそうな筋骨隆々のピットブルが、どっしりと座ってジョージを見上げていた。
「こいつがブルータスか?」
「そうだ」
ジョージの前に現れたのは、サングラスをかけた大柄な男。
スーツを着崩し、腕に包帯を巻いている。
いかにも「マフィアの幹部」といった風格の男だ。
「お前が散歩係か?」
「ああ」
「……まあ、死ぬなよ」
「縁起でもないこと言うな」
幹部がブルータスのリードをジョージに渡す。
ジョージは軽く引いてみるが、ピクリとも動かない。
(……なるほど)
ブルータスはすでにジョージを舐めている。
「俺の言うことを聞く必要はない」と判断しているのだ。
「さて、どうするか」
ジョージはゆっくりと屈み、ブルータスと視線を合わせる。
ピットブルは、鋭い目つきでジョージを見返していた。
ジョージは静かに左手を伸ばし、ブルータスの首元を軽く掴んだ。
「おい、行くぞ」
ピットブルは一瞬、鼻を鳴らして抵抗した。
しかし次の瞬間——
「……?」
ピットブルの耳がピクリと動き、ジョージをじっと見つめる。
そして、突如としてシッポを振り始めた。
「……」
「……おい、嘘だろ」
マフィアの幹部が呆気にとられた声を出す。
ブルータスは完全にジョージを気に入ったらしく、ジョージの足元にぴったりと寄り添いながら、嬉しそうにシッポをバタバタと振っていた。
「……懐かれた?」
「ありえねぇ……」
幹部が信じられないという顔でブルータスを見下ろす。
「この犬、基本的に誰にも懐かねぇんだぞ。
特に見知らぬ男には、絶対に心を開かねぇ……はずだったんだが……」
ブルータスは、まるで何年も前から知っている相棒のように、ジョージの足元にすり寄っている。
「……まあ、いいか」
ジョージは特に気にせず、ブルータスのリードを軽く引いた。
「行くぞ」
ブルータスはすぐに立ち上がり、ジョージの横にぴったりと並ぶ。
マフィアの幹部がポカンとした表情で見送る中、ジョージはブルータスを連れて屋敷を後にした。
◇
散歩中 – まるで忠犬
ジョージが歩けば、同じテンポで歩く。
止まれば、ピタリと止まる。
吠える犬がいようが、爆音バイクが通ろうが、ブルータスは微動だにしない。
ただ静かに、ジョージの顔を見上げていた。まるで「命令は?」と言わんばかりに。
……忠犬。否、ほぼ家臣。
(なんでこんなに従順なんだ)
ジョージは首だけ傾け、ブルータスを一瞥した。
「ジョージィィ!? お前……まさか、それ連れて歩いてんの!?」
聞き慣れた軽薄な声が、街角の風に乗って飛んできた。
振り向けば、ΩRM副社長・チャールズ・“チャット”・フィンリー。
アイスコーヒー片手に眉をしかめ、まるで「彼女の浮気現場を見てしまった男」みたいな顔をしていた。
「……なにしてんの?」
「見て分かるだろ」
「分かるけど!? いや、分かんねぇよ!」
チャットはコーヒーを掲げたまま、半歩にじり寄る。
「お前……なんでマフィアの問題児連れてんの?
それもこの顔で、静かに足元張りついてるって、どういうバグ?」
「仕事だ」
「仕事で……飼いならしかよ。
っていうかさ、こいつ、3人噛んで1人腕折ってんの、知ってた?」
「知らん」
「だよなー。お前、“知らん”って言えば全部済むと思ってるだろ?」
チャットは視線を落とし、ブルータスと無言のアイコンタクトを交わす。
しかしブルータスは興味すら示さず、ジョージのブーツに顎を乗せて満足げにしっぽを揺らしていた。
「……なるほどねぇ。そうか、そう来たか」
チャットはため息まじりにコーヒーを一口。
「犬ってさ、誰が最も危険かを嗅ぎ分けるんだよな。
つまりお前、この犬に飼い主認定されたんだぜ?」
「……勝手に懐かれただけだ」
「その勝手を引き寄せるのが、お前の厄介なとこなんだよ」
チャットは笑う。笑ってるが、目はどこか真剣だった。
「なぁジョージ、お前……本当に支配してる自覚、ねぇだろ」
「何を言ってる」
「お前が何も言わなくても、場は従う。
お前が何も望まなくても、相手が勝手に従いたくなる。
……俺は、そういう奴が一番怖ぇんだ」
チャットはふっと笑い、コーヒーをくるくる回した。
「俺なんか、口と顔と演技でやっと信じさせるってのにさ。
お前は、黙ってるだけで相手を支配するんだよ。……ズルいだろ?」
ジョージはブルータスの頭をどかすように足を動かしたが、犬は頑として動かない。
逆に尻尾を全力で振り、ぴったりと彼に身を寄せる。
「……重いぞ」
「そいつ、今“愛”の重さだぞ」
チャットは肩をすくめて笑った。
「ま、せいぜい気をつけな。
忠犬ってやつは、裏切られたとき一番牙剥くからな?」
ジョージは何も返さず、ただポケットの中のジッポを指先で転がしていた。
◇
「……で、どうだった?」
ジョージがブルータスを屋敷に戻すと、マフィアの幹部が腕を組みながら尋ねた。
「問題ない」
「……そうか」
幹部はブルータスを見る。
ブルータスはジョージを名残惜しそうに見上げ、シッポを振っていた。
「……お前、この犬の新しい飼い主になる気はねぇか?」
「断る」
「だよな」
幹部はため息をつきながら、リードを受け取った。
「……まあ、いい。お前ならまた頼んでもいいかもな」
「考えとく」
ジョージは淡々と答え、屋敷を後にした。
「……まさか犬にまで懐かれるとはな」
彼は小さく息をつきながら、ポケットのジッポを無意識に回した。
「……次は猫だったりしてな」
ジョージは考えたくもなかった。