①置いて行け!!!撤退しろ!!!!
——4年前、ΩRM設立前
夜の闇を裂く銃声。戦場。
乾いた破裂音が連続し、弾丸が壁と地面を削った。
砂埃が舞い、ジョージは身を低くして壁際に滑り込む。
「クソ……詰められたか」
息を潜めながら、無線越しに状況を確認する。
『ターゲットは脱出した! 撤退しろ!』
敵の増援が予想以上に早かった。
作戦は成功したが、撤退路が塞がれた。
戦うか、抜けるか——
どちらにせよ、動かねばならない。
ヴィンセントが向こう側の遮蔽物から手を上げ、合図を送る。
「行くぞ」
ジョージは短く頷いた。
「カバーする。3、2、1……」
ヴィンセントが一斉射撃を浴びせ、その隙にジョージは影のように駆け出した。
あと数メートル。
遮蔽物を越えれば、脱出ポイントまで一直線——
その瞬間、
直感が警鐘を鳴らした。
咄嗟に肩をひねり、急制動をかける。
――ドスン
鋭い衝撃が脇腹を抉った。
「ッ……!」
視界が揺れ、世界がぐるりと反転する。
肺が圧迫され、呼吸が詰まる。
ジョージは重力に引かれるように、膝をつくことなく前に倒れた。
その勢いのまま仰向けに体制を変え、傷口を即座に確認する。
手が赤く染まった。
次の瞬間、腹の奥から、冷たい何かが込み上げる。
遅れて、焼けるような痛み。
喉の奥に酸がこみ上げ、胃が痙攣する。
力が入らない。手が震える。
プレートのない側面を撃ち抜かれた。
もしかしたら、跳弾して入ったのかもしれない。
――深いな……
それを認識した瞬間、全身の力が抜けた。
指先から冷えていく。血の匂いが鼻を刺す。
……なるほど。こういう死に方か。
想定済みだった。
とうとう、自分の番が来たか。
少し早まっただけだ。
思えば、ずっとこんな感じだった。
生きるのも惰性なら、死ぬのもこんなもんだろう。
まぁ、それはそれで。
どのみち、ここで動けなくなった時点で詰みだ。
――己に恥じるな。他人に誉れは要らぬ――
かつてのあの言葉が脳内に響く。
足が動かない。視界がかすむ。
終わりは一択だ。
だが、そこへ向かう足取りくらい、自分で選ぶ。
少しでも時間を稼ぐ。
奥歯を食いしばる。瞬きを忘れた。
傷口を押さえ、ゆっくりと銃を手繰る。
息を慎重に吸う。
遠くで叫び声が聞こえた。
「ジョージがやられた! 撤退しろ!」
「置いていけ! もうダメだ!」
誰かが叫んでいる。仲間の声だ。
だが、間違っていない。
ここで立ち止まれば、全員が危険に晒される。
それが戦場のルールだ。
ヴィンセントが遮蔽物の向こうから顔を出した。
「ジョージ!」
視線がぶつかった瞬間、全てを察す。
――来るな。
「置いて行けェ!!! 撤退しろォ!!!!」
声がかすれ裏返るほど叫んだ。
喉に裂けるような痛みが走る。
だが、そんなことはどうでもいい。
脳内でドーパミンとエンドルフィンが弾け飛び、体中を駆け巡る。
血が煮えたぎるように沸き立ち、全ての痛みをかき消す。
傷の感覚が、一瞬、どこかへ消えた。
ただ、この言葉だけは——
何があっても、伝えなければならない。
「ここで足を止めるな!! 行けぇ!!!」
ヴィンセントは激しく取り乱した。
「Pourquoi tu crois que je vais te laisser, connard ?!(てめぇ、俺がお前を置いてくと思ってんのか、このクソ野郎?!)
なんで無表情で言ってんだよ!」
ヴィンセントは足を踏み出していた。
走りながら、自分に言い聞かせる。
こいつがいなきゃ、俺はとっくに死んでた。
これは軍のルール違反?
どうでもいい。
俺は軍人である前に、
――こいつの相棒だろうが!!!
砂埃を蹴り上げながら、一直線に駆け抜けた。
「お前を置いて行けるわけねぇだろ!」
「ヴィンセント、やめろ!
置いていけって!!」
仲間が叫ぶ。
(あいつを助けるために、俺はここで死ぬかもしれない。それでも——)
ヴィンセントは止まらない。
「Ferme ta gueule !! Je décide !!(黙れ!! 俺が決める!!)」
銃弾が飛び交う中、ヴィンセントの腕がジョージの肩を強く引き寄せる。
「こっち来い」
「……俺に構うな、行け」
次に声が出た瞬間、自分でも驚くほど弱々しいのがわかった。
喉が焼けつくように乾き、声が出るたびに激痛が走る。
さっきまで燃え盛っていた熱が、急激に冷えていく。
アドレナリンが尽きたのか、全身が鉛のように重い。
だが、ヴィンセントは一切聞く耳を持たなかった。
「うっせぇ!!!
いいからテメェも黙ってろ、ジョージ!」
怒鳴り声が、遠のく意識を乱暴に引き戻す。
ヴィンセントはジョージの腕を掴み、肩の後ろに通した。
次に、ジョージの片脚を抱え上げ、そのまま肩へと引き上げる。
「チビのくせにクソ重ぇな、お前……」
片手でジョージの腰を押さえ、体重を肩全体で受け止める。
ジョージの身体はヴィンセントの背中にかかる形になり、片手はまだ自由に使える。
ファイヤーマンズキャリー。
背中にぬるい感触が滲んだ。
血だと気づいた瞬間、心臓が跳ねる。
命が零れていく――焦りを振り切るように、ヴィンセントは駆け出した。
「……クソ判断ミスだ……」
ジョージは薄れゆく意識の中で、皮肉を吐くのがやっとだった。
「ヴィンセント! 置いて行け!」
「いいから行け! 全員、移動!!」
ヴィンセントが叫び、仲間たちは罵声とともに走り出す。
ジョージは理解した。
こいつは決して俺を捨てない。
結果、他の仲間も危険だ。
それが、軍で最も愚かな判断だと知っているはずなのに。
「バカ野郎が……」
銃声の雨が降り注ぐ中、ヴィンセントは迷いなく走り抜けた。
その滲んだ背中が、ジョージの意識の最後に映った景色だった。
◇
BGM:
KALEO “Way Down We Go”
初めまして。冬蜂と申します。
今回、初めて「小説家になろう」様に投稿させていただきました。
本作は執筆済み作品となります。
どうぞよろしくお願いいたします。