【次回作少し見せ】片桐修一の謝罪:「過去を捨てた男」と「過去を背負う男」
(日本編・夜の神社)
静寂が支配する境内。
微かに葉擦れの音が響く。
月明かりが石畳を青白く照らし、風が吹き抜けるたび、木々が囁くように揺れた。
その中央に、1人の男が立っている。
片桐修一。
彼は静かにジョージを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……ここで話したい」
石段の上からジョージが片桐を見下ろす。
その表情には、何の感情も浮かんでいない。
「何のつもりだ?」
片桐は答えない。
ただ、ゆっくりと膝をついた。
ゴトン。
鈍い音が、夜の静寂に溶ける。
両手を地面につけ、深々と頭を下げた。
バンッ──
額が、石畳に強く打ちつけられる。
その衝撃で、皮膚が裂けた。
額から滲んだ血が、石の上に小さな痕を残す。
片桐は、まるで 「自らの首を差し出す武士」 のように、微動だにしなかった。
これは、介錯を待つ姿勢だった。
「……遅くなったが、謝罪する。」
その瞬間、ジョージの眉がわずかに動いた。
「……何の話だ?」
「20年前」
片桐の声は、驚くほど静かだった。
「的居誠を救えなかった。
……俺は、あのとき、お前を見捨てた」
風が吹いた。
ジョージの瞳に、一瞬だけ鋭い光が走る。
しかし、彼は何も言わない。
片桐は、頭を上げなかった。
額の傷から血が滲み、滴る。
だが、彼はそれに構おうともしない。
まるで「痛みすら許されない」と言わんばかりに。
額を石畳につけたまま、低く続ける。
「お前は……国に捨てられた。
日本政府は、お前を守らなかった。
俺は、ただそれを見ているしかなかった。
……俺は、お前に何もしてやれなかった」
吐き捨てるような言葉。
片桐の指先は、地面を掴むように強く握られていた。
「その結果、お前は”日本人ですらなくなった”。
……それは、“国家の意思”だった。
そして、俺の無力の証明でもあった」
ジョージは、じっと片桐を見下ろしていた。
9歳の時。
──黒いペンの跡。
書いては消し、また書いては消し。
震える指先で、真夜中、毛布の中で、何度も何度も繰り返した。
「まといまこと」
擦れた紙の感触と、滲んだインクのにおい。
思い出すつもりなどなかったのに、ふと、脳裏をよぎる。
ジョージはまばたきを一つして、それを振り払った。
「……そんなことを言いに、わざわざここまで来たのか?」
「そうだ。
お前のためじゃない。俺のために、だ。
──俺が、お前に償えることなど何もない」
静かに拳を握る。
「……お前がどんな地獄を生きたのか、俺には想像もつかない。
20年前、俺がお前を守れていたら……
違う人生があったかもしれない。
それを考えることすら、俺には許されないのかもしれないが……
だが、俺は “過去をなかったことにはしない”」
血が流れる額を石畳に押し付け、声が震えた。
「俺は、見捨てたことを 後悔するだけの人生を送った。
だが、後悔するだけの男で終わるつもりはない。
だから、ここで詫びる」
声が、強くなる。
「──的居誠を見捨てた俺を、俺は許さない」
血が流れ、汗が滲む。
しかし、彼は顔を上げない。
「“この命を賭けて”──謝罪する。」
これは 「ケジメ」 だった。
政府の決定に逆らえず、少年を見捨てた。
その無力を 「認めること」 から、片桐の人生は始まり、 そして、20年後に 「この男の前で終わる」。
この謝罪を拒否されてもいい。
殴られても、軽蔑されてもいい。
──だが、俺はここで詫びなければならない。
「……」
ジョージは、ゆっくり片桐の前に移動し、目を細めた。
その視線は、冷たいとも、暖かいとも取れない。
彼は、この男の首を落とす権利を持っていた。
謝罪を受け入れるも、拒絶するも、すべては自分次第。
しかし――
「……立て」
低く、静かな声。
片桐は、わずかに眉を動かしたが、頭を上げジョージを見上げた。
──そこにあったのは、何の感情も浮かばせていない、虚無の瞳。
「お前がどう思おうと、俺には関係ない。
お前が、俺を救えなかったことも、至極どうだっていい。
──”的居誠”は、20年前に海で死んだ。それだけだ。」
その瞬間、片桐の顔を伝っていた血が、顎から落ちた。
まるで、言葉が刀となり、首を刎ねたかのように。
言葉が刃ならば、これは確かに “一刀” だった。
片桐は、その刃を正面から受け止め、唇を噛んだ。
そして、低く、苦しげに呟いた。
「日本の恥だ……」
それは、政府が少年を捨てたことへの怒りか。
それとも、その決定を止められなかった自分への呪詛か。
だが、最も恥ずべきは……その「日本の一部」だった自分自身だ。
ジョージは、その言葉を聞きながら、微かに目を伏せた。
「俺の罪は消えない。
俺は、俺の責任を果たしただけだ。」
片桐は、ゆっくりと立ち上がる。
ジョージは言った。
「……お前が何を思おうと、俺は変わらない」
片桐は首を振る。
「それでも」
低く、苦しげに呟いた。
「それでも、俺は見捨てない」
ジョージの瞳が、わずかに細まる。
「お前がどう思おうと、俺には関係ない。
たとえ、お前が“死んだ”と言い張っても、
──俺は、お前を見捨てない」
声が、確かに震えていた。
だが、それは 弱さではなかった。
悔いを滲ませながら、それでも 信念を貫く男の声 だった。
「お前が今ここにいる限り、“あの少年”は、まだ生きているはずだ。」
ジョージは、何も言わなかった。
ただ、片桐の言葉を聞き、 そのまま、踵を返す。
──背を向けて、歩き出す。
一瞬だけ、小石が無造作にずれた音がした。
夜の風が、二人の間を通り抜けた。
背後で、片桐の声が最後に響く。
「……これで、やっと俺は”お前の目を見られる”ようになった。」
ジョージは、立ち止まらない。
ただ、その言葉だけが、夜の静寂に溶けていった。