120:元・内閣情報調査室、情報分析官
「目的は?」
ヴィンセントの問いに、男は正面から応じた。
「敵じゃない。政府の使いでもない。
ただの民間人だ。
……名は片桐修一。
元・内閣情報調査室所属。
今は肩書きも権限もない」
静かな間。
事実だけを並べたが、それがすべてではないことも分かる声だった。
チャットが乾いた口調で割り込む。
「“ただの民間人”が、政府のアクセス履歴を漁れるってのか。
退職官僚ってのはそんな便利機能ついてんのかよ」
片桐は答えず、吐息だけ漏らした。
「……20年前の話をしよう」
空気が変わる。
ジョージの視線がかすかに揺れた。
ヴィンセントとチャットも、次の言葉を待つ姿勢に切り替える。
「ある少年がいた。エリート一家の末子。
日本生まれ。
家族はオハイオに駐在していた。
ある国家プロジェクトに関わっていた――だが」
声が低く落ちる。
「一家ごと、消された。
生き残ったのは8歳の少年だけだ」
ジョージの眉がわずかに動く。
それでも、彼は黙ったままだ。
「日本政府は、前代未聞の異例の措置を取った。
少年の日本国籍を消し、アメリカ国籍を与えられた。
名前も戸籍も抹消された。
“もういない子ども”にされた」
片桐は淡々と告げる。
「……その処理に、俺は加担した。
見て見ぬふりをした。
つまり――見捨てた」
チャットが何か言いかけたが、ヴィンセントが手を上げて制した。
片桐の視線はまっすぐ、ジョージを貫いていた。
「……別に、お前の話じゃない」
そう言いながらも、目はごまかしていなかった。
試していた。導こうとしていた。
だが、ジョージの反応はない。
ただ、目を細めただけだった。
片桐は一息ついた。
「俺は、あのときの罪をまだ背負っている。
だから来た。
――ジョージ・ウガジン。
お前を消させないために」
重い沈黙が落ちる。
誰もが、それぞれのやり方で言葉の意味を咀嚼していた。
ヴィンセントが問う。
「……で、俺たちにどうしろと?」
片桐の目が、再びジョージを見据える。
「こちらに貸しを作ってほしい」
場が張り詰めた。
「公に出る必要はない。
名前も顔も出さなくていい。
ただ、“味方にいる”という前提を、俺たちに与えてくれ」
チャットが鼻で笑う。
「……聞いたか?
ヴィン。貸しを作れ、だとよ」
片桐の表情は動かない。
「これは命令じゃない。契約でもない。
だが、政府が表に出せない案件には、お前のような存在が必要だ。
そのときが来たら動いてくれ。
それだけでいい。
見返りとして――お前とΩRMには、手を出させない」
ヴィンセントが少し顔をしかめる。
「つまり、ジョージを“いじれない存在”にしたいってことか」
片桐が即答する。
「そうだ。“利用価値”があると認識させる。
それが最強の防御になる。
敵は、“面倒な駒”には簡単に手を出さない」
ジョージの目が微かに揺れた。
表情ではない。感覚のスイッチが入るような、冷静な視線の変化だった。
片桐は、声を落として続けた。
「……安心しろ。首輪はつけない。
命令も出さない。
俺自身、何度も裏切られた。
信用などしていない。
だからこそ、お前たちには自由でいてもらいたい。
だが――必要なときには、互いに手を貸し合いたい。それだけだ」
深い静寂が場を包んだ。
ジョージはまだ何も言わなかった。
だがひとつだけ、明確だった。
――目を、逸らさなかった。