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117:自己犠牲タイプの合理性 vs ストーカータイプの合理性

 病室の扉が、少しだけ雑な音を立てて開いた。


「よーっ、グッドモーニン、眠れる森の殺し屋!」


 チャットの声だった。

 軽い足取りで入ってくるなり、腕を広げ、いつもの調子で続ける。


「おしい! さっきまでお前の愛しい彼女が来てたのにー!

 花、飾っていったぜ」


 ジョージは顔だけをそちらに向けた。

 そのまま、ベッドサイドの棚に目をやる。


 小ぶりなガラス瓶に、深紅の花が一輪。


 しばし見つめたのち、ジョージは何も言わず、再び視線を正面に戻した。


「……俺、どれくらい寝てた?」


 低く、かすれた声がようやく言葉になった。

 ヴィンセントが椅子を引き寄せ、腕を組む。


 「覚えていないのか?」


 ジョージは答えない。

 その代わりに、チャットがニヤニヤしながら割り込んだ。


「俺が話しかけたらな、お前“うるさい”ってムッとした顔で返してきたぞ?

 あれ覚えてないの?」


 ジョージはわずかにまぶたを伏せ、ゆっくりとうなずいた。


 「あれは……覚えてる」


 チャットが「うわ、そこだけ覚えてんのかよ」と肩をすくめた。

 ヴィンセントが短く笑って言った。


「ま、いいや。

 手術から、ちょうど2週間経ってる。

 意識が戻ったのはここ数日だけどな」


 ジョージは、無言のまま頷いた。

 表情は薄いが、確かに現実を受け止める顔をしていた。


「……なんで、お前らがここにいる。

 ΩRMとはもう……関係ないはずだが」


 空気が一瞬凍った。

 チャットとヴィンセントが顔を見合わせる。

 冗談の仮面が、わずかに剥がれる。


「……はぁ〜〜、お前な……」

 ヴィンセントは深く息を吐き、天井を仰いだ。

「そういうとこだよ、まったく」


「ま、ぶっちゃけ俺が契約更新しておいた」


 軽く手を挙げたチャットが、したり顔で言う。

 ジョージの視線が、ゆるやかに彼へ向く。


「お前が?」


「うん」


「……どうやって」


 チャットがポケットからスマホを出し、タップとスワイプを繰り返す。

 そして出てきた電子メールの画面を誇らしく見せてきた。


[メール]

 件名:業務委託契約 “更新” 通知書

 送信者:ウィンザー & アシュトン法律事務所(アレックス・R・ベネット)

 添付ファイル:    

 Contract_Reinstatement_George_Ugajin.pdf


ジョージ・ウガジンは、甲(ΩRM)との業務委託契約を継続する。」

 契約有効日:解除前日から継続

 署名:George Ugajin

 受領者:ΩRM 代表取締役 ヴィンセント・モロー


「俺、サインした覚えはないぞ。

 そんな、詐欺みたいな真似……」


「元詐欺師だもん、俺」

 チャットは肩をすくめて笑ったが、その目はどこか冴えていた。


 そして、続ける。


「決まり事なんてのはな、所詮、人間が作った枠だ。

 抜け穴なんざいくらでもある。

 俺らみたいな連中がその隙間に生きてんのよ」


 ジョージが眉をひそめる。


「……お前、違法行為に片足突っ込んでるぞ。

 正式な契約が取り消されるのは、法的にグレーだ。

 俺が訴えたらどうする?」


 ジョージの言葉に、チャットはにやりと笑った。


「いいねぇ~、んじゃ、訴えてみな?

 ただし――その瞬間、ΩRMの法務部が“お前の契約継続を承認した”って書類を出してくるぜ」


「なに?」


「しかも、お前――契約解除のとき、“書類は送らずに口頭で進めろ”って言ったらしいじゃねぇか?

 つ・ま・り、お前の口約束だけで済ませたんだ。

 だから“契約解除を証明する書類”が、どこにも存在しないんだよ。

 お前の指示で、な」


 チャットは指を鳴らしてみせる。


「ってことはだ――“法的には、ジョージ・ウガジンは契約を解除していない”。

 逆に、ちゃんと生存報告が上がったから、自動更新が有効になったわけ。

 綺麗だろ?」


「……つまり、“俺はまだΩRMの一員”ってことか。法的にも」


「そ。ようこそ現世へ、おかえりなさい」


 ジョージはしばらく沈黙した。


「……お前、いつから仕込んでた。

 俺が契約を切る前からか?」


 チャットはどこか楽しげに笑う。


「言ったろ? お前のやりそうなことなんざ、だいたい想像つくって。


 ヴィンちゃんから“契約解除の連絡が入った”って聞いたとき、思ったんだよ。

 “ああ、ジョージはまたバカなこと始めたな”ってさ。


 で、察した。“こいつ、契約解除して――そのまま死ぬ気なんじゃねぇか?” ってな」


 チャットはわざとらしく肩をすくめた。


「だから俺は、俺の合理性を使わせてもらったわけ。

 お前の合理性を潰すには、俺がもっと合理的に動けばいいだけの話だろ?」


 ジョージは何も言わず、ただ視線を逸らした。

 だが、その無言が何よりも答えだった。


 チャットは足を組み直し、芝居がかった口調で言った。


「なあジョージ。俺、よくストーカーに粘着されててさ。

 後をつけ回す女とか、たまに男とか。

 夜道、郵便受け、果てはシャワーの時間までな?

 ――マジでゾッとするよ。

 人間って、ああなるともう理屈じゃ止まんないのな」


 ジョージは無言で見ている。

 チャットは口元を緩めて、続けた。


「でもさ、今の俺がその子と違うの、わかるか?」


 間。


 チャットはジョージを指さして、無邪気に言った。


「対象が、お前ってだけ」


 ヴィンセントが「うわぁ……」と低く呻いたが、チャットは構わず畳みかける。


「お前がひとりで全部背負おうとするたびに、俺が勝手に契約書書き換えて、勝手に復活させてやる。

 法的にも、社会的にも、ΩRM的にも。


 ……なあ、言っとくけど。

 お前が消えたらまずヴィンちゃんがガチで潰れる。

 そんでヴィンちゃんが潰れたら、ΩRMもバキバキに割れる。

 俺の生活もパー。

 そしたら、俺、モテなくなる。


 だから俺は――俺の合理性と執念で、お前を絶対に引き戻すわけ。

 わかる? このロジック」


 顔をすっと寄せて、囁くように言った。


「……ゾッとした?

 ねぇ、ジョージ。ゾッとした??」


 ジョージは、長いまばたきを一つだけして、視線を逸らした。

 口を開きかけて、やめた。

 その表情に、わずかな敗北感と、呆れと――ほんの少し、救われたような影が差した。


 ヴィンセントは額を押さえながら、低く吐き出した。


「……ったく、こいつが本気出すとタチ悪ぃんだよ」


 チャットは満足げに笑い、指を鳴らした。


「……お前が独りで抱え込もうとするたびに、俺が引き戻してやる。何回でもな」


 その声は、思いのほか静かで真っ直ぐだった。

 からかいも、演技もなかった。


 ジョージはしばらく無言のまま天井を見上げていた。


 そして、彼女が置いて行ったアネモネの花に再び視線を落とす。


 ジョージは向き直ると静かに言った。


「SERE-Cを受ける」


 その瞬間、ヴィンセントの顔が変わった。


「……は?」

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