115:敵が見えない
「組織か? 国家か?」
ヴィンセントが口を開いた。
「どっちかっていうと、“どっちも”だろ。
家族ごと消すのに、民間の力だけでできるわけがねぇ」
「うん。個人じゃなくて“構造”の問題だな」
サムは冷静に続ける。
「“どこかの誰か”がやったんじゃなくて、あのとき“そういう構造”が機能してた。
それだけ。
殺す意思がなくても、殺せる構造。
そういうのが一番タチ悪いんだよ」
チャットは深く息を吐いた。
「……つまり、“ぶつかる相手”が明確じゃねぇってわけか」
返答はなかった。
だが全員が、その意味を理解していた。
“敵が見えない”――それは戦闘において、最悪の状況だ。
殴り返すべき相手が不在のまま、ただ一方的に擦り潰される。
ヴィンセントは、やがてゆっくりと姿勢を正し、仲間たちを順に見渡した。
「……方針を変える」
その言葉に、チャットが眉をひそめる。
「会社の?」
「ああ。これまでは“関わらず、巻き込まれず”でやってきた。
でも、ジョージの件でそれも終わりだ。
もう、安全圏にはいない」
サムが静かに尋ねる。
「で、どうすんの?
敵に正面から殴りかかるわけ?」
ヴィンセントは微かに笑った。
その目は、冷静にして強い。
「殴り合いはしない。
が、目を逸らしもしない。
国家でも組織でも、向こうが仕事を頼むなら受ける。
だが、首輪はつけさせねぇ。
こっちも情報を取る。
深入りはせず、ただし目は離さない」
チャットが口笛を吹いた。
「……言うようになったな、“社長”」
「言うようになったのはお前らのせいだ。
“こんなヤツらばっかり”なんだから、俺も強くならなきゃな」
ヴィンセントはそう言って立ち上がった。
サムがぼそりと漏らす。
「……まぁ、“普通の会社”じゃなくなったな。完全に」
チャットが肩をすくめて同意する。
「――降りるなら、今だぞ」
部屋が静まる。
チャットは肩越しに彼を見て、ふっと鼻で笑った。
「いやー、今降りたら静かで長生きできたろうに。
惜しいなぁ、俺。
でも性に合わないんだよ、安定ってやつは。
トラブル?
上等。
地雷原でステップ踏むのが俺の人生だ」
サムは椅子の背に身を預け、エナジードリンクの空き缶をひとつ転がす。
「……まあ、好きにやらせてくれるし、余計な口出しもねぇから悪くないよ。
ただ、給料止まったら即バックれるけど。
つーかさ、国家と組織に喧嘩売る会社ってさ、普通に考えて経営破綻してるよね。
……存続のプラン、あんの? マジで」
チャットが笑う。
「心配すんな。“うちの社長”は筋肉と義理で生きてるタイプだ」
ヴィンセントは少しだけ表情を緩めた。
「お前ら……ほんと、まともなの一人もいねぇな」
チャットとサムが、同時に言った。
「「お前が言うな」よ」
一瞬、場がゆるむ。
だが笑いにはならなかった。
空気の奥に、澱のような重さが残っていた。
――ふと、ヴィンセントの脳裏に、あの日の食堂の風景がよみがえる。
10年前。軍の食堂。
金属製のトレイに乗ったミートローフ。
ひとけのない隅の席。
小柄な新兵が、無表情のままスプーンを口に運んでいた。
「命に、所有感がないんです」
あのときの声は、抑揚がなかった。
それでも耳に焼き付いて離れない。
――命に、所有感がないんです。
生きてるというより、“生かされてる”感じが強い。
だからせめて、使い道ぐらいは自分で決めたいと思った。
なんか意味を持たせないと……借り物にしては雑だなって――
思い出しながら、ヴィンセントは静かに言った。
「……ジョージがな。昔、言ってた」
チャットとサムがゆっくりと彼を見た。
「“自分の命は、借り物だ”って。
だからせめて、“どう使うか”くらいは自分で決めるって。
何か意味を持たせたいってな」
誰も言葉を返さなかった。
ただ、その言葉だけが、空気を深く沈ませた。
サムがふと缶を指で突きながら言う。
「あいつさ、自分の命を“誰かの残りカス”くらいに思ってんじゃねぇの?
そりゃ、死ぬのも惜しくねぇ顔するわけだよな。
もう使い道なんて、護衛くらいしか残ってねぇんだから」
チャットの表情が変わった。
無言のまま、椅子をぐっと押しのけて立ち上がる。
「……あんまり調子に乗るなよ、サム」
声は低い。怒鳴りもしない。
それが逆に、研ぎ澄まされていた。
「オイラは事実を言っただけだ」
サムは視線をモニターから外さないまま、即答する。
「本人だって気づいてる。
“自分にはそれくらいしか価値がない”ってな」
「それをお前の口で断言する筋合いはねぇだろ」
チャットの目が細まる。
一瞬、部屋の空気が凍りつく。
言葉の奥で拳が握られる気配があった。
そのとき――
ヴィンセントの声が、低く、鋭く空気を裂いた。
「……やめろ。今ここで、ジョージの“何を語るか”で争うな」
2人とも、わずかに目線をそらす。
その声には、理屈ではなく“止められねぇ力”があった。
「ジョージが何を考えてるかなんて、あいつ以外にわかるわけがねぇ。
分かったような口きいて、仲間割れするな。……くだらねぇ」
チャットが舌打ちし、サムは静かに息を吐いた。
そして何も言わず、元の姿勢に戻る。
静けさだけが、再び部屋を支配した。