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107:俺自身の意思で来た。そして、俺自身の意思で帰る

 USBを解析していた男が、小さく顎を引いた。

 顔色が変わる。わずかに唇が開く。

 低く、抑えた声がマリチェンコの耳元に落ちた。


「……横流しの記録、複数あります。

 輸送ログと裏口座、すべて一致。

 完全に……クロです」


 その言葉に、マリチェンコの目が細められた。

 が、表情は変えない。

 ただ、顎をわずかに動かした。


 即座に、男たちが動いた。


 黒いスーツの2人が、キングスリーの左右に滑り込むように近づく。

 彼は一瞬の遅れで気づき、椅子を軋ませて立ち上がった。


「待て! 誤解だ、俺はそんな――っ」


 言葉の続きは、腕を取られる音にかき消された。

 もう片方の男が肩を極め、肘関節を逆に撓らせる。


「やめろ! マリチェンコ! 俺はお前に忠誠を――!」


 声が途切れた。


 口元に白い布。

 力づくで膝を折らされ、額を床に押しつけられる。

 拘束されたキングスリーは、目を見開いたまま、足をばたつかせた。


 汗が噴き出す。

 髪が額に貼りつき、スーツの背はじっとりと濡れていた。


 だが、誰1人、彼の呻きを拾わなかった。


 マリチェンコは時計を見るように手首をちらりと確認し――

 指をひとつ、鳴らした。


 銃声。


 乾いた音。反響すらない。

 キングスリーの体が短く痙攣し、床に崩れ落ちた。


 赤い液体がカーペットにじわりと広がる。

 だが、思ったよりも血は少なかった。


 騒ぎもない。動揺もない。

 ただ“処理”が始まっていただけだった。


 誰も言葉を発しない。


 ジョージも動かない。

 スイッチを握った左手に、力がこもっている気配はなかった。

 ただ、指はまだその位置に残っていた。


 部屋に、ようやく空調の低い唸りが戻ってくる。


 マリチェンコは静かに顔を上げた。

 そのまま、ジョージを見据える。


 敵でも、味方でもない。

 同類にだけ向ける、鈍く研がれた眼差しだった。


「……お前を見てると、昔じいさんから聞いた神風特攻隊を思い出す」


 静かな声だった。

 言葉というより、遠い記憶の残響のように響く。


「片道燃料で飛んでって……標的にぶつかって死ぬ。

 “生きて帰る”って選択肢が、最初からない。

 お前からは、それに似た匂いがする」


 ジョージは何も返さなかった。


 呼吸が浅くなる。

 口の中に、乾いた血の味。

 奥歯の裏に金属をなめたような苦味が残る。


 視界がじわじわ滲み、重力が身体の芯を引きずり下ろす。


 ――そのときだった。


 まぶたの裏で、五歳の“誠”がふと、顔を上げた。


 ◇


 夕暮れの縁側。

 風鈴が、湿った風にかすかに揺れていた。


 祖父は背筋を伸ばしたまま、黙って空を見ていた。


 誠は隣に座り、アイスを舐めながら、祖父の手をじっと見つめていた。

 節の浮いた指。土に染まった爪。

 まるで、山に埋まる根のような、揺るぎのない手だった。


「ひいおじいちゃん……ほんとに、かえってこなかったの?」


 まだ“死”を知らなかった少年の声。


「……かえりたくなかったの?」


 祖父は少しだけ間を置いてから、短く答えた。


「帰りたかったさ。……だが、帰れなかった」


 それきり、沈黙。

 風鈴だけが、音をつないでいた。


 ◇


 ジョージは、わずかに目を細めた。


「違う」


 その声に、迷いはなかった。


「命令でここに来たんじゃない。

 俺の意思で来た。

 そして――俺の意思で帰る」


 その言葉に宿る熱は、怒りではなかった。

 自らを矢として放つ、射手のような静かな確信だった。


 マリチェンコはふっと笑った。

 それは皮肉ではなく、“理解”の揺らぎだった。


「……なら、“帰り道”は通してやるよ。

 お前のその足でな」


 ジョージはゆっくりと左手を下ろした。

 指に巻かれたラップ越しのスイッチは、まだ外さない。

 だが、握っていた力はすでに抜けていた。


 腹部に染みつく痛みが、体温を削っていく。

 だが、表情は変わらなかった。


 右手を自然に下ろす。

 肩にかけたサブマシンガンのストラップを微調整し、

 銃身を腰の脇に流すように捌く。


 その視線の先――テーブルの上に、未開封のタバコと簡易ライター。


 ジョージは、無言のままそれらをつまんだ。

 ポケットに滑らせる動きは、まるで元から自分の所有物であるかのような自然さだった。


 誰も、それに触れようとしなかった。


 静かに踵を返す。

 処刑が終わった空間を、音も残さず後にする。


 ただ一人、何も背負わせず、何も奪わせず。

 夜の外気へと、足を踏み出していった。


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