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101:モダフェニル、ケタニン、デキサメタソン、そして、フィンタニル・ロリポップ

 白色蛍光灯の光が、冷たくテーブルの表面をなめていた。


 ジョージは椅子に座っていた。

 背筋はまっすぐ、表情に乱れはない。

 だが身体は嘘をつけない。


 呼吸が浅い。速い。

 膝に置いた両手が、わずかに震えている。

 シャツの襟元には脂汗、額にも細かい水滴。

 全身が痛みを訴えているにもかかわらず、顔だけが何も語らなかった。


 ヴィンセントは医療用ケースを開き、薬剤をひとつずつ並べていく。

 注射器。錠剤。アンプル。

 全てが整然と置かれ、沈黙の下で意味を持ちはじめる。


 ジョージはシャツの袖を無言でまくり上げた。

 皮膚には古傷と新しい瘢痕が入り混じっていた。


 ヴィンセントは低く言った。


「……まず、モダフェニル。覚醒維持だ。

 30分後に効き始める。集中力は3〜4時間持続する。

 中枢刺激、依存性は低い――が、脳の切り替わりに耐えろよ。

 混濁と覚醒が一度に来る」


 錠剤をひとつ、掌に落とす。

 ジョージは水も使わず、そのまま喉奥へ送り込んだ。


「次。ケタニン。痛みと情動制御。

 少量だ、幻覚は出ない。ただし、冷えるぞ。

 世界がガラス越しに見えるようになる」


 アンプルを割る音。

 ヴィンセントは無駄のない手つきで薬液を吸い上げ、

 ジョージの腕に針を刺した。

 針は深く正確に入った。押し込まれた薬が筋肉を染めていく。


 ジョージの肩がわずかに揺れたが、声は出さなかった。


「デキサメタゾン。

 脳圧、炎症、その他もろもろを一時的に抑える。

 今のお前、放っときゃ途中で倒れる」


 もう1本。

 太腿への筋肉注射。

 ヴィンセントの動きにためらいはなかった。

 ジョージの身体はそれを受け入れるように、ただ沈黙していた。


 すべての薬剤が処理されたテーブルに、静けさが落ちる。

 ヴィンセントは視線だけで問いかけた。


 ――行けるか?


 ジョージが微かにうなずきかけた、そのとき。


「……あとひとつ、頼む。

 フィンタニル・ロリポップ」


 数秒、時間が止まった。


 ヴィンセントはジョージを見つめたまま動かなかった。

 まばたきも忘れたように。

 声が落ちる。低く、重く。


「……ああ?」


 怒気が滲んでいた。静かに、しかし確実に。


 ジョージは視線を逸らさなかった。


「PMC経由でくすねたやつ、まだストレージに残ってるはずだ。

 軍用のロット。……知ってる」


 ヴィンセントの目が細くなった。

 数秒、沈黙の硬直。

 やがて吐き出すように言った。


「……お前、勝手に俺の倉庫を漁ったのか」


「いや。

 “そういうものを隠し持ってる”と踏んだだけだ。

 合ってたろ」


「フィンタニルが何か、分かってんのか。

 アレはな……終わる直前に舐める、“戦場の飴”だ。

 生きてるうちに使うもんじゃねぇんだよ」


 ジョージは静かに首を振る。


「……ふざけてない。分かってる。

 だが、今の俺には必要だ。

 “これが最後じゃない”と断言できない以上、持っていたい」


 その言葉で、ヴィンセントは立ち上がった。

 椅子が床を蹴る音が、部屋に刺さる。


「お前なあ……!」


 拳が固まる。

 怒鳴ろうとした声が途中で詰まる。

 怒りの核にあるのは、恐れだった。

 弟のような相棒が、もう帰ってこないところに向かっていると、知っているからだった。


 ジョージは目を逸らさず、短く言った。


「……頼む」


 その一言に、ヴィンセントはようやく拳を解いた。

 肩の力が、重力に引かれる。


 しばらく、沈黙が流れた。


 そして彼は、ポーチの奥から小さな透明ケースを取り出す。

 中には、紫のスティックが1本。

 それをテーブルの上に置く。

 渡しはしない。音だけが、沈んだ。


「……舐めるなら、車に乗ってからにしろ。

 ここで使ったら、その場でぶん殴る。分かったな」


 ジョージは頷いた。

 そのスティックを、静かに左胸の内ポケットへしまう。

 まるで、何かを封じるように。


 言葉はなかった。


 ヴィンセントは、黙ってひとつのものをテーブルに置いた。

 タバコと、ライター。


 ジョージはそれを見た。

 一瞥だけ。

 だが、手は伸ばさなかった。


 ヴィンセントは目を閉じた。

 脳裏に、あのやりとりが蘇る。


 ――「まさかタバコ吸っちゃいねぇだろうな」


『なぜだ』


 ――「今、ジッポの音がしたぞ。もし本当に――」


『バカ言え、吸っちゃいない。今回の依頼では、一切吸わないって決めている』


 タバコの箱は、そのまま残された。

 封も開いていない。

 ライターも、火をつける相手を待ったままだった。


 そしてその場には、ただ静けさだけが残った。

 薬の効能と沈黙の中で、時間だけがゆっくりと溶けていった。


 ふたりの間に交わされた最後のやりとりは、

 それでも、言葉ではなかった。


 それは、“分かってる”という沈黙だった。

 そして、“戻ってこい”という願いだった。



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