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095: 人身売買――魂の値札


「……ほぉ」


 誰かの、感嘆とも嘲笑ともつかぬ声が落ちる。


 肩を掴まれ、押し戻されるようにして膝をついた。

 背筋を正すように腕を引かれ、正座を強いられる。


「喋るなよ」

 そう言いながら、男が猿轡を外す。

 口内は、喉の奥まで乾ききっていた。

 砂漠のようだった。


 アルコール臭のする冷えた布が顔を拭っていく。


「静かだな。こいつ。

 ……まるで、意思が抜け落ちた標本みてぇだ」


 別の男が鼻で笑った。


「数時間前は泣いてたぜ。

 兄貴が撃たれたとき、結構な声でな」


「へぇ。それで今これか?

 とはいえ、目はしっかりしている。

 芯は壊れてはいない。

 短時間のうちに、すっかり商品らしくなったもんだ。

 順応性が高い」


 それは、“素材がよく馴染んでいる”という評価でもあり、

 “人間でなくなりつつある”ことへの皮肉でもあった。


 だが、少年の内側には、まだ声が残っていた。

 正確には、誰かがその声を封じていた。


『ね、君が泣いてたこと、まだ覚えてるよ。

 でももう大丈夫。

 ぼくがそれ、全部持ってるから』


 顎を掴まれ、左右に傾けられる。

 唇の端に、手袋をした親指がなぞるように触れた。


「……いい面だ」


 男は無感情にそう呟いた。


「骨格が締まってる。

 鼻筋、顎のライン、頬の彫り……

 東アジア系でここまでバランスの取れた造形は、まず出ない。

 ――遊興でも、外交用でも通る。

 使い道はいくらでもある」


 指で顔をなぞる。

 感触を確かめるでも、慈しむでもない。

 値段を決めるためだけの動きだった。


「どこ産だ?」


「ジャパン」


「へぇ、それでこの骨か。

 骨太で体格もいい。縄文型。古代の血が濃い。

 滅多に出ねえ。

 顔は堀が深いのに切れ目で……

 大人になったらもっと映えるタイプだろうな」


「ジャパン産の未処理モノなんざ、10年に1体も出ねぇよ。

 裏が深ぇに決まってる。

 ……でも、当たればでかい」


「手ぇ出したか?」


「いや、まだ。手つかずだ」


 乾いた笑いがいくつも交差する。


「臓器、遊興、肉体労働、なんでもいける。

 成長すれば兵士にもなる。

 今のままなら東向け。

 教育次第じゃ西にも出せる。

 中東は競争率高いが、顔で押せる。

 まぁいずれにしても、汎用性は高い」


 別の男があぐらをかきながら、資料のファイルをめくる。


「……はぁ!?

 こいつの家系、親父が重工の技術者?

 母親は翻訳家?

 兄貴がMIT?

 マジかよ……どんだけ上流階級なんだよ」


「笑えてくるな。

 そんな金ピカの血統が、今じゃこのザマか。

 地べた這いつくばって値札つけられてるってのは……案外、悪くねぇ光景だな」


「で? リスクは?

 身元クッキリな優等生に手ぇ出して、政府が黙ってるとでも?」


「事故死扱いだ。

 書類上は家族全員、海で死亡ってことになってる。

 警察も一枚噛んでる」


「頭は悪くねぇはずだ。

 むしろ血筋的にかなり回るだろう」


 沈黙。数秒、書類をめくる音だけが室内を満たした。


「まぁいい。投資としては悪くない」


 誰かが吐き捨てるように言う。


「育てるのに時間がかかるな。……3だ」


「いや待て」


 そう言った男は、書類の端をパチンと指で弾いた。


「素直で、顔も締まってて、頭も回るぞ。

 脳ミソがまだ柔らかいうちに“思想”ぶち込めば、外交官ヅラしたスパイの出来上がりだ。

 あの将軍様の国、忠誠心だけ刷り込んで、使い潰すのは十八番オハコだからな。

 ……マジで出荷したら、ドルで返ってくるぞ、これ」


「……東アジアの中でも異色ロットだな」


 別の男が頷いた。


「顔、骨格、知能、反応速度──

 全部揃ってる。

 このスペックで、臓器や肉体労働に回すのはバカのすることだ。

 ……エリート用途一択だな」


「何だったら、最初は映像も数本、押さえておくといい。

 従順そうに見えるぶん、素材としては映える」


「ただし──」

 その男は少年の方を一瞥した。


「ハイリスク・ハイリターンな一点ものだ。

 “所有”じゃなく、“扱い”の問題になる」


「知ってるさ」


 別の男が吐き捨てるように言う。


「こう言うタイプは扱いが難しいって評判だ。

 繊細で、すぐ黙る。

 環境にも気を遣わなきゃならない。

 下手にストレスかけると、あっさり折れる」


「……折れる?」


「見た目じゃわかんねぇのよ。

 “精密品”はな、壊れても音がしない。

 気づいた時にはもう手遅れだ」


 男は指で机をトントンと叩いた。


「この前もいたよ――

 西のラインに入ったやつだ。

 朝になったら、指を1本、自分で食ってた」


「……誰かにやられたんじゃなくて?」


「いや、自分でだ。

 ずっと静かで、おとなしかったから油断してた。

 ……ああいうのは、壊れ始めても気配がねぇ。

 そいつはジャパン産じゃなかったが、傾向は似てた。

 静かで、従順なヤツにかぎって繊細で、壊れる時も誰にも気づかれない」


 少し間を置いて、男は肩をすくめた。


「この現場には向かねぇ。俺は“4”と見る」


 短い沈黙のあと、売り手が静かに口を開く。


「……4.5。これ以下は無理だ」


「運びはこちらでやる。

 海路はこっちのリスクだぞ?」


「……4.3。これで打ち切る。

 あと1分で次に回す」


 その言葉に、買い手側の男たちが視線を交わし、うなずく。


「……いいだろ。紙を出せ」


 静かな声だった。

 誰の声ともつかぬまま、契約が現実になる音が、部屋の中に沈んでいった。


 少年の顔は動かなかった。

 心の中にあったものは、すべて“ソレ”が背負っていた。


 品定めされる視線も、値踏みされる声も、もはや何も感じなかった。

 あるのは、ただ観察する目。

 自分を観る、自分ではない何か。


 静かな闇の中で、“ソレ”は黙って微笑んでいた。


『これで、決まったんだね』


 ソレが言った。誰に向けた言葉でもなかった。

 でも、それを聞いた少年は、小さく、ほんの僅かに――呼吸を止めた。


『でも、言ったろ。怖くないって』


 少年は、小さくうなずいた。


 恐怖はもうなかった。

 悲しみもなかった。

 代わりに――生き延びるという一点だけが、心の奥に静かに灯っていた。



 少年は、動かなかった。

 動けなかった。

 そして、瞬きすらしなかった。

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