088:子どもから大人へ
未舗装の山道を、白いセダンが跳ねながら突き進む。
タイヤが砕けた砂利を噛み、ボディが軋む。
ステアリングを握るジョージの腕には、一切の迷いがなかった。
前輪のバランスが狂っている。振動が掌に伝わる。
だが、気にしない。アクセルを増す。車体が右に流れる。
後部座席で、ジェシカの肩がわずかに縮こまる。
数十秒後、道が舗装に切り替わる。
一瞬だけ静寂が戻るが、街はまだ遠い。
街灯が間隔をあけて、ひとつ、またひとつと通り過ぎる。
光が窓をかすめ、小さな商店や朽ちかけた民家を切り取っては後ろへ流していった。
いくつかの家に灯りはある。だが、そのどれもが眠たげで、無関心だった。
ルームミラーに、異物が揺れた。
地を這うような二つのヘッドライト。
ジョージはアクセルを一段深く踏み込む。
ギアを蹴り上げる。エンジンが唸る。
追跡者がいた。速度を合わせてくる。
「追ってきたな」
低く、誰にも聞かせない声で呟いた。
ミラーの角度を微調整する。
車種は不明だが、動きで分かる。
アクセルを、怒りのままに踏みつけている。
「ワラビー」
「はい!」
「何度もやった受け身の方法、覚えてるか」
「は、はい……! 覚えてます! たぶん!」
「たぶんは要らん。思い出せ。もう一度はない」
声音が少しだけ変わった。
命令ではなく、信頼のトーン。
任せる側の声だった。
「減速したら合図を送る。そしたらジェシカを抱えてドアから降りろ。
丁寧にやる余裕はない。衝撃を逃せ」
ワラビーの喉が鳴る。
隣のジェシカが、小さく息を呑んだ。
「降りたら、誰か助けを乞え。
通行人でも、民家でも、何でもいい。
警察に保護してもらえ。顔を見せれば、本気だってわかる」
「でも、それじゃあ……」
ジェシカが言いかけた。
けれど、次の瞬間。
ルームミラー越しに見えたジョージの目が、言葉を呑ませた。
感情も、迷いも押し込めた目だった。
迷いは行動を鈍らせる。子供でも、それは感じ取れる。
ワラビーが震える手で、ジェシカの肩に触れる。
互いに視線がぶつかる。
顔は強ばっていた。だが、声はまっすぐだった。
「やります……」
短く、吐き出すように言った。
ジェシカも頷く。
拳を固く握りしめた。
年齢よりも一歩、前に出た目をしていた。
「ジョージ……戻ってきてくれるよね」
小さな声。
答えを怖れる声だった。
ジョージは答えなかった。
ルームミラーを、わずかに傾けた。
二人の顔が視界から外れる角度に。
そして、前を見据えたまま言った。
「少しだけ寄り道する」
再びアクセルが踏み込まれる。
白いセダンが、アスファルトを蹴り飛ばす。
背後のヘッドライトが、地を這うように距離を詰めてくる。
後部座席で、二人の子供は黙っていた。
その沈黙には、確かなものが宿っていた。
――自分の判断が、誰かの命を左右する。
その現実を、二人はもう知っていた。
車は夜の田舎道を走り続ける。
誰にも見られていない。だが、確かにそこには芽があった。
戦う者の「覚悟」が、静かに息をし始めていた。




