080:ジェシカはどこに?
ジョージはドアを静かに押し開けた。
灯りは落ちていた。玄関には、夕方の温度がまだ残っている。
空気が、止まっている。
誰もいない──正確には、「誰も戻ってきていない」気配だった。
彼は無言で廊下を進み、迷わずジェシカの部屋へ向かった。
ドアは半開き。
足音を殺す必要はなかったが、身体が自然に無音で動いていた。
指先でそっと押し、室内を見渡す。
壁にはステッカー。チラシ。
──学校のハロウィンパーティー告知。PTA主催。
ベッドは乱れていた。
慌てて出ていった形跡。枕が半回転して落ちている。
ジョージは一歩踏み込みながら、視線を走らせる。
窓、机、カバン、ゴミ箱。すべての角に、迷いなく。
目立つ乱れはない。だが──足りないものがある。
あのノートがない。
スクラップブック。
数日前から、ジェシカが大切そうに持ち歩いていたもの。
切り貼りされた写真や言葉。
本人が少し照れながら、ジョージに見せてくれた記憶が蘇る。
ジョージは机の引き出しをゆっくり開ける。
整ってはいたが、文具の配置に“空白”があった。
何かを持っていった。──急ぎながら、だ。
クローゼットの扉は開いたままだ。
中を確認。
ハロウィン用の衣装が一式ごと抜けている。
──一度持ち出そうとして、止められた。
おそらくナンシーに。だが、諦めきれなかった。
窓の外に、夕暮れの余熱が漂っていた。
子どもが家を抜け出すには、最も“都合のいい時間”だ。
ジョージは、背後を振り返る。
そして、確信した。
ジェシカは「逃げた」のではない。
──「届けに行った」のだ。自分の意志で、あのノートを。
向かう先は、おそらく学校。
そう思った瞬間、ジョージは動いていた。
スマートフォンを取り出す。
GPSと交通情報を開き、高校の名を入力。
民家からの距離。足が速ければ15分圏内。
だが、戻ってこなければ……遅すぎる。
廊下を駆けながら、ジョージは通話履歴を開いた。
ジェシカの番号。発信。
──呼び出し音は一度だけ鳴り、切れた。
表示は「接続失敗」。
圏外か。あるいは……切られたか。
ジョージは数秒、画面を見つめた。
そのままスマホを仕舞おうとしたが、ふと指が止まる。
思い出した。
ワラビーの番号。
──あの日、学校で投げ飛ばした直後、本人から手渡された紙切れ。
リッジラインに乗り込み、置いてある上着の内ポケットを探る。
くしゃくしゃになったメモ。数字がかすれていた。
そのままエンジンをかけ、番号を叩き込む。
コール──すぐに繋がった。
『……誰っすか?』
「ワラビー。ジョージだ」
一瞬で、電話の向こうが跳ねた。
マイクテストのような声と、BGMが割り込んでくる。
『ジョージさん!? マジっすか!? え、今ほんとに……!』
「ワラビー、聞け」
ジョージの声が鋭く割り込む。
「今、学校か」
『え? ああ、ハロウィンの飾り付けで──』
「ジェシカは近くにいるか」
『ん~~見てないっすね。……来てないかも』
「ワラビー、よく聞け。今から俺がそっちに行く」
声が一段低くなる。命令の音色だった。
「ジェシカを探せ。今すぐにだ」




