19話 - 陽の光へ
将軍が守っていた扉を開くと、そこは石造りの壁で囲まれた小部屋になっていた。部屋の中央には祭壇があり、宝箱が安置されていた。
「いかにも、って感じだな…… ん? これ、どうやって開けるんだ?」
トラップの痕跡があるか確認しようとしたニャスカだが、宝箱に付けられた錠前の存在に眉を顰める。宝箱の開け口には大きな金具が備え付けられており、そこには一際大きな見慣れない錠前が通っており固く閉ざされている。使い慣れたピックツールで錠を開けようとするが、一向に鍵が開く気配はない。
「おいおい天下の大盗賊様よ、本当に大丈夫なんだろうな?」
フリードが焦れたように詰め寄る。
「んー、だめだ、分からん! これ、なにかの魔法の錠前なんじゃんないの? 普通ならあるはずのとっかかりが全然無いんだもの」
ニャスカはお手上げといった様子で、胡坐をかいて祭壇の端に座り込んでしまう。
その後、フリードが開錠の魔法を唱えても、大剣で叩こうにも錠前はびくともしなかった。
「これね、なーんかどこかでみた覚えが…… あ、なんか書いてある」
成り行きを見守っていたナルルースがそういって宝箱に近づく。興味を示したロランも、詳細に錠前を観察しだす。
「ふむ、この宝箱の装飾、見たことのない文様ですね。これは…… 装飾というよりも、文字? ナルルース、もしかして読めるんですか?」
「うん、読めるよー。どれどれ、『昼と夜との境目にありて、我、今一度、陽の世界に還らん』……?」
ナルルースが読み終えた瞬間に、彼女の白い炎のような姿が一層明るく輝き出した。虹色の靄がゆらめきながら、渦を巻いてナルルースを包む。あまりに強く迸る光に、他のみんなが顔を覆う。
「な……何コレ! やっぱりトラップだったの⁉︎」
ニャスカが狼狽えて騒ぐ。僕はいてもたってもいられず、祭壇に駆け出して光の方へ手を伸ばす。
「ナル! 大丈夫か⁉︎」
伸ばした手の先が熱い。光の先には、何か手に当たる感触がある。光が強すぎてよく見えない。これは…… 人間の身体? 両手で、それをしっかりと掴む。誰かの肩を掴んでいるみたいだ。空間を満たしていた光と熱が少しずつ萎んでいく。
やがてそこに現れたのは見知らぬ一人の少女の姿であった。純白のローブに身を包み、つやつやと光るブロンドの髪は背中まで伸びている。耳はつんと横に長く伸び、その顔はまだあどけなさを残している。
「ナル…… ルース?」
「わぁー、びっくりしたー。なぁに?」
あまり驚いているようには見えないリアクションで、ゆっくりとその少女が目を開く。まるで人形のような愛らしさに、一同は声を失った。
「えと、その…… ナルルースだよね? きみ、身体が……」
「え、んー? ……わ、わ、本当だ! え、なにこれ⁉︎」
自分の手をパタパタと動かして、今度こそ驚いて目を丸くしている。
「ねぇ、すごい! みて、動くよ! 私、ふわふわじゃなくなった‼︎ みんなと同じだねー。えへへ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる少女の様子を、みな呆気に取られて見守るしかなかった。
少しあってようやく口を開いたのは、何かに合点がいったような顔のフリードだ。
「ナル、きみってエルフだったのか…… いや、それより」
次にみんなが目を向けたのは、宝箱のそばに落ちている錠前だった。あれだけ頑なだった錠前は開き、箱はすでに開かれている。
しかし、中に入っていたのは、ただの紙切れが一枚だけだった。手に取ると、何か走り書きしてあるのが分かった。
『文様は古代エルフ語と一致。解読は不可能。後世、資料が揃い次第、再解析を試みること。 ——A.』
これは、誰かが既にこの錠前を開けて、何らかの研究を行っていたということだろうか。それに、最後に書いてあるこの A とは、誰かのことを指すのだろう。
その紙片を横から覗き込むように見ていたフリードが、ナルルースに話しかける。
「なぁ、宝箱の内側の文様、これも読めたりするのか?」
「えーっと、うんうん、読めるよ。ふんふん、なになに……?」
一呼吸おいてから、ナルルースはその誰にも読めない文を読み始めた。
◆
日の境に声を響かせよ。
されば、束縛されし魂はただ一夜、記憶の衣をまとう。
時の輪が満ちれば、形は散り、影へと還る。
されどこの鎖は、幾度でも扉を開かん。
徒に扉開くことなかれ。
定められし掟破られし時、天罰が下されん。
欲望のために用いるなかれ。
魂は魂を救うためにのみ、扉叩くを許される。
空の上にて座すものに問え。
星々の帳の向こう、守り人はなおも見ている。
◆
「あの将軍が言ってた『夕刻に唱えよ』って、もしかして今の文章と同じことなのかな?」
僕が疑問を口にすると、ロランが同意する。
「とすると、この錠前こそが僕らの求めていた古代魔道具ということでしょうね。にしても、宝箱の内容はなんというか、抽象的というかまどろっこしい響きですね」
フリードもこの文章について考えを巡らせているようだ。
「とすると、どうやら今の文は、この道具の説明書きということにはならないか? 整理してみよう……」
そんな真面目な話をしているのをよそに、ニャスカは突然ナルルースに駆け寄るとそのまま抱き寄せる。
「かぁーわいぃー! ナル、お姫様みたいだねぇ!」
「ニャスカ、うっ!…… あ、ありがとー」
ナルルースはその腐臭に鼻を摘んでいるが、そんなことお構いなしにニャスカは顔を擦り付けて彼女の頭をわしゃわしゃと撫でている。
「おい、これもしかして、俺も元の姿に戻れるってことか⁉︎」
フリードが言うやいなや、みんなが一斉に錠前の方に駆け寄る。しかし、錠前は既に開かれており、どんなに力を込めても錠が閉じることはなかった。そして、誰が同じ詠唱を口にしても、再び光が発せられることはなかった。
その場で必死になって、この不思議な魔道具に対して色々なことを試した。そうしているうちに半日ほど経った頃、ナルルースの姿は突然もとの白い火の玉――ウィル・オ・ウィスプの姿に戻ってしまった。そしていつの間にか、錠前は再び閉じられている。
「つまりこれは一日一回、それもお一人様のみ、ということですね」
ロランが顎に手をあてながら考察している。それを聞いたニャスカが、けっ、と吐き捨ててから地面にどすんと座り込んで伸びをする。
「なーんだ使えねーっ、つまんねーの」
「そんなことは無いじゃないですか、時間制限付きとはいえ、元の姿に戻れるんですよ」
「だってさー、すっかり元の姿に戻れるかもって思ったんだぜ? はぁ、本当なら見目麗しいはずのこのニャスカさんは、腐った死体のままですか」
ロランがフォローするも、ニャスカはすっかり拗ねてしまっている。僕はなんとか頭を働かせながら、その場を取り繕おうと言った。
「でもほら、これをうまく使えば、生きてた時にやりたかったことがまたできるかもしれないよ!」
「んー……」
「ニャスカは、元居たマッドキャッツを再興したかったんだろ? またやってみようよ。ダンジョンのお宝を集めたりしながらさ」
思いつきでそう話すと、ロランが乗ってくる。
「楽しそうですね。前に話した通り、私は商売というものを経験したかったのです」
「な、そうだろ?」
「鑑定や交渉をして、必要のないアイテムを売り捌き、資金を増やしていきましょう。あぁ、こんなの産まれて初めてです」
「うん、死んでるけどね」
そこにフリードも参加してくる。
「お、そうすりゃもっといい杖やら魔導書が手に入るかもな。俺は人間になんて戻らなくてもいいが、ダンジョンの深奥と魔導の真髄に挑みたいんだ。それには資金も装備も要る」
「……シュエは、どうかな?」
これまで沈黙していたシュエに水を向けてみる。
「ワタシはっ…… 別にどっちでもいい……」
俯いて話すシュエは、言葉とは裏腹に何か考え事をしているようにも見える。思い切って聞いてみるのもいいかもしれない。
「シュエには、誰か会いたい人はいないのか?」
「!…… 兄さま……」
そうか、お兄さんがいたんだな。きっと東の果ての国にいるのだろうか。煮え切らないシュエも乗り気になるように必死で考えながら言う。
「人の姿なら、街で依頼を出すことだってできる。遠い国だったとしても、いつかきっと会えるさ! あと、シュエの青白い顔。生き返った状態で会った方が兄さんに心配されないかもな!」
「骨に言われたくない」
くっ、痛いところを突かれた。
座って成り行きを見守っていたニャスカも観念した様子で立ち上がると、ナルルースの方に向き直って言った。
「しゃーねぇ、乗りかかった船だ、もうちょい付き合ってやるか。で、ナル、お前はどーすんだ?」
「んー、わかんない。わたしが本当はエルフの女の子ってことは分かったんだけど…… でもやっぱり思い出せないみたい。みんなについていくよー」
声色でしか分からないが、あまりしょげた様子はない。いつもの明るいナルルースだ。よし、当面の方針は立った。
「ま、なるようになるか。俺たちの姿形も、なんとか誤魔化せるだろ。ダメなら逃げて、またダンジョン探索だ」
フリードは慎重な性格だと思ってたけれど、結構楽天的な一面もあるようだ。どう転ぶか分からず不安も多い今の僕たちにとって心強い言葉だった。その勢いに乗って、僕もみんなに促す。
「じゃあ、決まりだね! ダンジョンお宝を売って商売しつつ、シュエのお兄さんを探す。商売で増えたお金で装備を整えて、ダンジョンの深層を目指す。余ったお金は教会や街の孤児院なんかに寄付する。そうやって旅を続けているうちに、ナルも何か思い出すかもな!」
「おいおい、そんな滅茶苦茶な…… そんで、お前自身はどーすんだ?」
呆れた様子でニャスカが僕に聞いてくる。僕は……もう心に決めている。
「僕は、あなたの騎士だ。それは変わらないよ」
「な……ッ! ふん、勝手にしやがれ!」
ニャスカはずんずんと出口に向かって歩き出してしまった。土気色の耳が赤くなってたのは、気のせいだろうか。僕も兜を脱いだら、頭からマナが立ち上り、目が真っ赤になっていたことだろう。
……そして、ニャスカだけじゃない。できることなら、ダンジョンの外でもみんなことを守り通したい。それが唯一僕にできる償いであるようにも思った。
よし、いくぞ! と、僕も出口に向かって歩き出したところで、背中から生暖かい視線を感じる。
「ふんふん」
「おいおいこれは、ふぅ、参ったよ」
シュエは何やら意味深に頷き、フリードは額に手を当てて目を瞑っている。
「神が如何なる困難を与えられようとも、あなたはそれを乗り越えなければなりません。応援してますよ」
ロランが手を胸の前で組む。ナルルースも空中で弾むように揺れている。
「うんうん、仲良しなのは、いいことだよねーっ」
なんだか気恥ずかしいな…… けど、これで良いはずだ。こんな姿になっても、古代魔道具で完全に元の姿に戻れるわけじゃなくっても、僕もみんなも絶望はしていない。
骨だけの身体ではじまったけど、今は全身を覆う装備がある。震雷将軍から受け継いだ剣もある。なにより、みんながいる。みんな死んでいるけど、でも確かにここにいる。
今は、自分たちにできることを、やりたいだけやってみよう。その後のことは、またその次に考えよう。そんな風に考えて、僕たちは上層に向かってまた歩き始めた。
そうやって僕が前向きな気持ちになった、いや、なれた気がしたのは…… 無理にでもそう考えていないと、また狂気に侵されてしまいそうで怖かったからなのかもしれない。でも、少なくともこの今だけは。この勝利の余韻に浸っていよう。そして、堂々と街へ帰ろう。
陽の光を、目指そう。
◆
その後、僕たちはゆっくりと時間をかけながらダンジョンの入り口へと辿り着くことができた。途中何度か他の冒険者とニアミスしそうになったが、隠れてやり過ごしたり、目眩しして逃げ出したりしながらなんとか事なきを得た。
この身体は肉体的な疲れこそ感じないが、精神がかなりすり減っているのが分かる。財宝を売って、宿屋でゆっくり骨休みしたい。ここで起こったこと、倒した敵、みんなの生前のこと、そしてこれからのことについて、もっとみんなと話してみたい。
この長い通路の向こうを抜ければ外だ。たしか、ここを騎士団のみんなと通って…… つい嫌なことを思い出してしまいそうになるが、ニャスカは人の気配は無いと言っている。大丈夫だ、心配ない…… そう自分に言い聞かせる。
洞窟の外はちょうど夕方らしく、赤く染まった空と木々の緑が遠くに見える。何ヶ月ぶりかに見る陽光だ。
視界が明るく色ざやかになるにつれ、身体がじりじりと熱を帯びる感覚がある。もし防具を脱ぎ去ってしまったら長くは耐えられなさそうだ。でも、僕がそんなことで泣き言ってこれから起こる冒険を止めるようなことがあってはならない。気を奮い起こして外へと歩みを進める。
フルプレートアーマーをすっぽり被って、堂々としていればきっと大丈夫。さあ、日のあたる世界へ。
と、後ろを見ると、ニャスカ、ロラン、フリードリヒの三人は足取りが明らかに遅れている。
「みんな、どうしたの……? フリード?」
「なぁ、やっぱやめようぜ?」
フリードの顔は明らかに強張っている。ニャスカも同様だ。
「うーん、なんか、その、ね。せめてもうちょっと、夜まで待ってみない?」
「私、やっぱりダンジョンに帰ります……」
今更怖気付いたのか、それとも日の光が受け付けない身体になってしまっているのだろうか。ロランに至ってはもう暗闇の方へ引き換えそうとしている。
日光にどのぐらい耐えられるかは、アンデッドの種類によって大きくことなるのだろうか。流石に無理強いは良くないし、深刻なダメージになってしまったら大変だ。ここは一旦引き返して夜を待って…… と思ったところで、シュエがフリードの手を引っ張っていた。
「骨が平気なんだから、吸血鬼もきっと平気。さっさと行く」
「ちょ、シュエ! やめ、ほんとに!」
手首を強引につかみ、ぐいぐいと外に引っ張る。そしてフリードの手の肌が夕日に晒された瞬間、ジュッと焼けるような音と共に大絶叫が洞窟の入り口にこだました。
うん、夜になってから外に出よう。死んでるって……つらいな!




