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豪徳寺弥彦と15人のフィアンセ  作者: 水野葬席
【序章】
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【6話】一人

(らん)


外で聞こえたクラクションに思わず窓の外を見る。

猛烈なスピードで走り去るトラックは明らかに信号無視をしていた。

にわかには信じがたい話かもしれないけど、【魔の交差点】ではよくある話だ。

だからこの交差点では年中交通事故が絶えることはない。きっと、この先も。


目線は自然と走り去った後に道の脇にいた男女に移る。

息を切らしている様子。ピンクのスマホと買ってきたばかりの卵のパックが落ちている。

卵は見るからに潰れてしまっているようだ。あーあ、可哀そうに。


シチュエーションとしては男の方が女を咄嗟に助けた…という場面かな。

一瞬の判断だっただろう。よく動けたもんだね。私は…きっと無理。

何にせよ助かって良かった。潰れた卵の所は後で水を撒いておいてやるか。


……と、こんなことをしている場合じゃなかった。助かったのを見届けたら私は自分のやるべきことに戻ろう。


梅堂(うめどう)骨董店の店主、梅堂トメ。私の育ての親。

彼女は今から16年前、店の前に捨てられていた赤ん坊の私を拾った。

夫に先立たれ店を1人で切り盛りしないといけない上で、更に年々足腰も悪くなる中で、持病とも戦い続けた上で、私を育ててくれた。ここまで。

彼女の最期はとても安らかだった。1週間前、眠ったまま静かに旅立っていった。


そして私は1人になった。


彼女の一人息子は、当然のように私の面倒を見る気はなかった。想定していた。

戸籍すらない、得体の知れない年頃の女を引き取ろうなんて気が起きる方がどうかしているだろう。


骨董店は潰してしまうらしい。それは私の家がなくなることを意味する。

でも彼はその代わりを用意しようなんて気はない。別にこれっぽっちも期待なんてしてなかったけど。

唯一の情けは骨董店の売り上げの一部10万円。早い話が手切れ金。

お婆ちゃんには1億を超える貯金があったと聞いているけど、私の立場ではそれを指摘したってどうにもならない。


店の取り壊しが始まるまで4日。それまでにここを出ていかなければならない。

住むところには正直アテはある。いずれこうなる日が絶対に来るのはわかっていたのだから。

自分の目ざとさに我ながら感心するけど、その一方でどこか悲しくもなる。

目下最大の問題は……やっぱりお金か。どうしたってお金は必要だ。


それこそ、この手元の10万円は『お金を稼ぐ手段』を手に入れるためのお金だと思った方が良い。このお金で買うべきはお金の生る木だ。

でもそれは戸籍も住所もない私にはハードルが高い。今の私の状態では真っ当には働けない。

履歴書がなくても働かせてくれるところはあるというけど、それ以外の必要なものさえ何一つ私にはないのだから。


実際どうすれば良いんだろう。考えれば考えるほどわからない。

スマホなんてものがもしこの手にあったら、少なくとも稼ぐ手段はあったのに。

勿論思い浮かぶのは褒められるような稼ぎ方じゃないことばっかりだけど。

でも今の私には倫理観なんかに構ってられる余裕はないんだ。

ないものはない。でもこのままでは、死ぬ。


◇◇◇


金閣(きんかく)町郊外の一角には中心街の華々しさとはまるで別世界が広がっている。

それは金閣町が他の町村を吸収合併する中で生まれてしまった一種の歪みと呼んでも良かった。

文字通りのシャッター商店街。栄華を極める中心街と競争の末に負けた場所。

住民の家も軒並み廃屋だ。今やこの一帯に住んでいる人間はいない。

比喩でなく、無人の街(ゴースト・タウン)。梅堂蘭がやってきたのはそんな場所である。


大きな道路に面した部分ではまだ街灯がチラホラと光っている。だが1つ奥の道に入ればそんなものは全くと言っていいほどない。

夜の闇が辺りを包む黒の世界。女性が1人で歩くなど、常識ではまず考えられない場所。

蘭のアテというのはその最奥にある、この一角でも特に老朽化した廃屋だった。


蘭はドアノブに手をかけ、回そうとする。ロクに回りもしない。

無理矢理に引っ張ると扉はギシギシと耳障りな音を立て、木片が剥がれ落ちる。

何度か強めに蹴りを入れる。その衝撃で蝶番の1つは外れてしまう。

数度の格闘の末、その扉はまるで観念したかのようにゆっくりと開いた。


「うーわ……。」

扉を開いた蘭の第一声。しかしそれは全く無理のないことである。

彼女の視界を埋め尽くすは一面の真っ白なホコリであった。

蜘蛛の巣は張り巡らされ、穴も一見だけで両手の指では収まらない。

人が何年も立ち入っていないというのが一目でわかる。


「ホウキなんて……ある訳ないよね……。」

目の前の惨状に思わず口から心情が零れ落ちる。

この現状はとても人が今すぐ住めるというものではない。

手入れされていない廃屋なのだから、それは当たり前なのだが。


蘭は大きな溜息と共に肩を落とした。今日はとんぼ返りをする他ないだろう。

彼女にとって幸いなことは取り壊しが始まるまでの期間は明日からまだ3日間あることだった。


それ即ち、掃除をする時間があるということである。荷物の整理はとうに終わっていた。

明日から手を付けるにせよ、女一人とはいえどうにか住める程度にはなるだろう。

今後の予定をブツブツ独り言で整理しながら蘭は夜道を一人帰ったのであった。


彼女にとって不幸なことは、そんな異様な状況に気づいて手を伸ばそうとする人が周囲にいないことだった。

2024年8月15日 改稿

今から17年前→今から16年前

蘭の年齢を踏まえるとこちらの方が正しいです。

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