【69話】8+1 若葉と色づく世界
◇若葉◇
遂に迎えた私の退院の日。
隣の彼、豪徳寺さんにお礼とお別れを言って蘭ちゃん、経堂さんと病院を出る。
この経堂さんという人が私の今後の諸々について面倒を見てくれるみたい。
蘭ちゃんもお世話になってる人だって聞いたら安心できる。
「紫墨さんにはもう事情を説明してあるから、あとは一日でも早くあの家での生活に慣れることね。とは言っても同じ境遇の蘭ちゃんがいるし心配ないと思うけど。今後の事については落ち着いてから私と一緒にゆっくり考えましょ。」
経堂さんは豪徳寺さんのお婆ちゃんの秘書。
そのお婆ちゃんというのはあの【豪徳寺】の会長代理。
更に七つ子さんや蘭ちゃんの暮らす家の大家さんでもあるらしい。
病院からバスで駅へ。駅から徒歩で商店街へ。ここからは家まで徒歩らしい。
シンプルな道のり。多分、これから何度も歩くであろう道と見るであろう景色。
それでも今の私には初めて。なんだかキラキラして見えて素敵。
「後でここも案内してあげる。初めてだと迷うしね。」
私の手を引いて歩く蘭ちゃんが振り返って微笑む。頼もしい笑顔。
蘭ちゃんが豪徳寺君に会えたことを人生の転機だというなら、きっと私にとってのそれは蘭ちゃんに出会えたことなんだろうな。
「見えてきたよ、あの家。奥の大きな方ね。」
商店街を出てしばらくしてから蘭ちゃんはそう言って真正面を指差した。
見えて来たのは2階建ての一軒家。その隣には2階建てのより大きな家。
大豪邸とまではいかないけど大人数で暮らすとなるとああいう風になるのかな。
その家の前には私の荷物を運んできたであろう引っ越し屋さんのトラックもある。
とても不思議な感じ。初めて見る家なのに今日から私の家。
不安は一切ない。それも今までの自分では考えられない。
◆◆◆
引っ越し屋さんの手際もあって引っ越しはあっという間に終わった。
そもそも私の荷物が少なかったのもある。部屋もないようなものだったし。
経堂さんに前の家の荷物を処分してくれたことのお礼を言っておかなくちゃ。
続いて愛依ちゃん、果音ちゃんから各部屋の説明。
「改めて見るとこの家って広いね。全然使いこなせてない。」
「まあまだ私たちだって漸く一ヶ月だし、仕方ないわよね…。」
二人が言うようにこの家は本当に広い。
リビングは食卓に椅子が9つ過不足ない間隔で並んでも狭く感じない。
お風呂も1人で入るには広すぎるように感じてしまうくらい。
一人一人に割り当てられた部屋も大きな家具を並べても余裕の大きさ。
それを私含めて9人分。しかも同じ大きさの部屋がまだ1つ空いてる。
「これで一通りは説明したかなあ。何か質問はある?」
愛依ちゃんが説明した箇所を指折り数え確認しながら私を振り返る。
「あ、いや…特には…。」
声、小さくなっちゃった。
慣れない環境。まだ緊張する。
「わからないことがあったらいつでも聞いてね。」
果音ちゃんがそう言って私に微笑んだ。
「そろそろ説明は終わったかしら?ちょっと若葉に用があるんだけど。」
階段の下から声をかけて来たのはこの七姉妹の四女、珠希ちゃん。
さっき顔を合わせた時とは違うTシャツに短パンという気楽な格好をしている。
「今丁度ね。…あんたどうしたの、そんな服着るなんて珍しい。」
私に用事って何なんだろう。何かの手続きが残ってたのかな…。
そういうのは全部経堂さんに任せちゃったから私自身は何も確認してない。
私は珠希ちゃんに誘われる。向かった先は再びお風呂場だった。
私は訳も分からないままローブのようなものを着させられる。
「その前髪、好きでそうしてるの?」
私を椅子に座らせ右手で鋏をチョキチョキ鳴らしながら問う。
珠希ちゃんが今から私に何をするのか、状況から察する。
「…色々あって。」
「いじられたくないなら洗うだけで済ませるけど?」
彼女の右手の鋏がその言葉と共に動きを止める。
「…切って、欲しい。短めに…。」
私は意を決した。本来ならそんな事、自分でやるべきだけど。
「了解。じゃあ私に任せておきなさい。ほら、体の力抜いて。」
お父さんは私の目が嫌いだった。お母さんにそっくりらしいこの目が。
意識したことはない。そもそもお母さんは家にいないことが多かったから。
そしてお母さんは私が中学生になる少し前から帰って来なくなった。
私が前髪を伸ばすようになるのにそこからそう時間はかからなかった。
この目を理由にしてお父さんが暴力を振るうようになったから。
その痛みに声を上げて泣いてはうるさいと殴られた。
声を殺して泣けば目障りだと殴られた。
前髪で視界が隠れてから、目を理由に殴られることが減った。
私にどうしようもできない理由での暴力は少しだけながら明確に減った。
私にとってこの前髪は少しだけ私の痛みを和らげてくれるお守りだった。
こんなお守り、もう要らない。
鏡に映る自分がどんどん見慣れた自分じゃなくなっていく。
でもどういう訳だか、それが嬉しく感じられる。
「あなた素材は良いの持ってんだからちゃんと手入れしないと勿体ないわよ?」
「…ありがとう。」
珠希ちゃんは手慣れた手つきで私の髪を切り揃えていく。
鏡に映る私はもう全くの別物。私が初めて見る私の姿。
重たかった後ろ髪も昨日までとは比べ物にならない程に軽くなった。
シャンプーでわしゃわしゃ洗われる。ドライヤーの心地よい温風で乾かされる。
されるがまま、鏡像の私は全く見たことがない姿に作り替えられていく。
「さて、こんなもんかしら?」
「すごい…!」
自分でも感嘆するばかりのキラキラした輝かしさを持つ自分がそこにいた。
次回更新は8月12日(祝)です。




