【57話】行く者・見送る者
◇蘭◇
外が騒がしくなってきた。何が起こっているんだろう。
この部屋の中からでは詳細を窺い知ることはできない。
若葉は息をしていた。
取り敢えず今の唯一にして一番の幸せ。
でも早くお医者さんに見せたい。救急車は呼べないけれど。
「このクソガキがあああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
思わず耳を塞いだ。外から聞こえて来たのは禍神の声だ。
とてつもなく怒ってるのはわかるんだけど、何が起こってるの?
クソガキ…もしかして七つ子の中の誰かが来てるの?
正直、来てほしくはなかったけど。
でも嬉しい自分もいる。複雑。
若葉の身体の傷を1つずつ手当てしていく。今の私にできることはこれだけ。
さっきの激しい暴力でたくさんのあざができてしまっていた。
直りかけの傷もたくさんあったし、古傷も数えきれない。
そしてその背中を見た時、絶句した。
そこにあったのは無数の細長い傷。さっき付けられたものではない。
傷の形状から何となくその理由を察してしまった。これは鞭だ。
あの禍神はそんなことまで若葉にしていたんだ。まるで悪魔だ。
怒りがこみ上げてくる。自分の体が熱くなっていくのがわかる。
それでも今の私には何もできない。非力な自分が恨めしい。
「貴様貴様貴様貴様貴様っっっ!!!貴様のせいでっっっ!!!」
「何度も何度もワシの人生を狂わせおって!!!何様のつもりだ!!!」
「絶対に許さん!!!絶対に許さんぞ!!!絶対にだ!!!絶対に!!!」
悪魔の吠える声がまたも轟く。
その台詞を聞く限り、多分凪乃が何かしてるんじゃないかな。
禍神に対する怒りはその経緯もあって尋常ではなかったし。
そして大きな音がしたからか、若葉がピクリと動いた。
「……蘭……ちゃん……?」
「若葉、大丈夫!?」
私の声に反応し、若葉はゆっくりとその目を開ける。
「蘭ちゃん……今の内に、逃げて……。」
どうやら若葉も何かが起こっているのを感じ取っている。
少なくとも外では禍神に対して不都合な何かが起こっている。
凪乃もいるし多分それ以外にも大勢の人がいる。何故かはわからないけど。
「……そうだね。行くよ、若葉。」
若葉に手を差し伸べようとすると若葉はどういう訳か首を横に振った。
「私、歩けそうに、ない……。置いて、行って……。」
「できる訳ないじゃん。そんなこと。」
パン!パン!
会話と思考を割くように銃声が2発響いた。
誰かが撃たれた!?その答え合わせは絶叫という形で聞こえてくる。
「きゃああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「豪徳寺ぃぃぃぃぃっっっ!!!」
凪乃の声と誰か男の人の声。彼が呼んだ名前に私の頭は真っ白になる。
豪徳寺君がいる?どうして?撃たれたのは豪徳寺君?どうして?
どうして?外では一体何が起こってるの?
汗が止まらない。手が震える。
「ごめん、若葉……!!」
私は思いっきり扉を蹴破った。走った。
考えるまでもなく体が動く。前へ、前へ、前へ、前へ、前へ。
行ったって何もできない。わかってるけれど。理屈じゃないんだ。
◇若葉◇
目だけで蘭ちゃんを見送った。体は痛くて動かない。
無事に逃げ切れるかな。どうかそうなってほしい。
私みたいにはなってほしくなかったから。
蘭ちゃんは私とは何もかも違っていた。
蘭ちゃんは諦めるということをしなかった。
目が覚めれば真っ先に周囲の情報を探っていた。
ここから出るために必死だった。縮こまっていた私とは違う。
そんな蘭ちゃんは私にも優しくしてくれた。
今まで私に触れた人間の中で誰よりも優しい人だった。
私はそんな蘭ちゃんに私みたいな人生を歩んでほしくないと思った。
だから蘭ちゃんがここから逃げたいと言った時、私は賛成した。
きっと蘭ちゃんには帰りを待っている人がいる。私とは違って。
でもそんな人がいるなら、私はその場所に彼女を戻してあげたい。
そんな人もそんな場所もなくなったら、きっと全部がなくなる。
私みたいに。
殴られると痛い。蹴られると痛い。叩かれると痛い。
でも悲しくはない。いつの間にかそうだった。普通だった。
きっとずっとこういうことを繰り返してその中で私は死ぬんだ。
でもそれなら構わない。死ねば痛くもなくなるから。
この先を生き続ける理由も私の中にはない。
そうやって死ねるなら私の幸せはそれで良い。
でも蘭ちゃんは違う。蘭ちゃんにはいろんなものがある。
私がなくしてしまった全部を彼女はまだ持ってる。
多分世の中で普通と呼ばれる幸せ。多分世の中で当たり前の平穏。
私にはもう取り戻せないものだけど蘭ちゃんは違う。まだ間に合う。
どうかそっちに向かって真っすぐ走って行って。
私の方を振り返らないで。
蘭ちゃんはずっとキラキラしてた。こんな状況でも。
さっき手を差し伸べてくれた時、実は嬉しかった。
蘭ちゃんが来てからはこの一週間の中で一番幸せだった。
もう会えないのは残念だけど寂しいなんて言わない。
段々意識が消えていきそう。ようやくあっちに行けるのかな。
蘭ちゃん、あなたがどうかこの先幸せでありますように。
あなたと一緒に生きた時間を私は忘れない。
「ありがとう、蘭ちゃん。さようなら。」




