【凪乃断章・3話】直接対決(1)-外道
◇凪乃◇
蟻沢さんが誰かと電話をしているのを見かけたのは数日後のこと。
その相手があの男かその関係者だというのはその表情から察することができた。
これで終わってくれたら良いな。
そんなこと、ある訳がないのだけど。
最初から儚い希望だとは思っていた。そんなことはわかっていた。
でもそれを嚙み締めさせられるのが次の土曜日だとは思ってもいなかった。
禍神福蔵が【ありさんのいえ】に直接現れたのがその日だ。
その男は最初から顔を真っ赤にして不機嫌さを隠そうともしていなかった。
蟻沢さんは私たちを安心させるように宥めて毅然と応接間に入っていく。
その背中を見送りながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
間もなくして禍神の怒声が建物中に響いた。数時間、響き続けた。
途中からは何か物が壁にぶつかる音や、それ以外の大きな物音もした。
正直、聞いていたくなかった。逃げ出したかった。でも私にそんな資格はない。
この失態は私が招いたんだ。私が収拾をつけるのは当たり前だ。私のせいなんだ。
奥歯を噛んで聞いていた。悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。
ここに姉妹がいないのは偶然だけど、結果それで良かったかもしれない。
こんな事態に直面したら皆黙ってはおかないだろうから。
◆◆◆
「クソッ!次来る時までにその考えを改めておくんだな!こんなチンケな場所、俺にはいつだって叩き潰せるんだからな!」
「いつ来ても同じです。あなたに里親は任せられません。」
捨て台詞を吐いて禍神は帰っていった。蟻沢さんは堂々と追い返したのだ。
その蟻沢さんを私は直視できなかった。額から痛々しく血を流していた。
その理由は嫌でも想像がついた。
禍神とその側近、そして蟻沢さんの3人がいた応接間。
そこは今まで人が話し合っていたとは思えないような惨状だった。
床に散乱するのは禍神が蟻沢さんに向かって投げつけたであろう物の数々。
お茶が注がれていたハズのちゃぶ台は無様にひっくり返っていた。
それを見た時、お腹の底からどうしようもないくらい怒りが込み上げてきた。
姉妹を狙っていること。蟻沢さんに怪我をさせたこと。それとこの部屋のこと。
全部が一緒になって、グチャグチャになって、私はもう収まらなかった。
気が付いた時には私の足は駆け出していた。
「ちょっと、凪乃ちゃん!?」
蟻沢さんのその声に禍神が振り向く。
「お前、あの時の……。」
「あなたを絶対許さない!愛依ちゃんたちには手を出させない!今日のこと、いつか絶対に後悔させてやる……!」
涙は止まらなかった。口は叫んでいた。今はただこの男が憎くて堪らない。
「お前、まさか…!?」
「先生、お急ぎください。」
私を見てすごい形相をする禍神を側近が車に乗せる。
車の中と外、走り去り見えなくなるその時まで私は禍神を睨んでいた。
◆◆◆
年が明けてすぐ、愛依ちゃんの所属するバレー倶楽部が活動停止になった。
エースの愛依ちゃん含め、チームメイトには何も知らされなかったらしい。
誰かが問題を起こした訳ではない。ならばどうしてこんなことに。
確証がある訳ではないが、私には禍神の仕業にしか思えなかった。
真相がどうあれ、愛依ちゃんは六年生を待たずして引退させられることとなった。
理不尽な仕打ちに愛依ちゃんは三日三晩泣き通した。私も泣きたかった。
バレーをやっている時の愛依ちゃんは本当に楽しそうだったから。
時を同じくして数々の変化が私たちの身の回りで起き始めた。
先生たちの私たちを見る目が明らかによそよそしくなった。
授業中に手を上げても無視されることが多くなった。
授業中以外でも明らかに意図的に私たちを避けた。
【ありさんのいえ】ではご飯の量が全体的に少なくなった。おかずも減った。
蟻沢さんの顔色が明らかに急に悪くなった。何かがあったのは間違いない。
家にスーツを着た人たちが時々やってきては蟻沢さんと話をしていた。
それが良い内容じゃないのは会話をする彼らや蟻沢さんの顔で察した。
一度に起きた色々な変化は益々禍神の関与を疑わせる。
その答え合わせは2月になってすぐのことだった。
その日、私は校内放送で学校の応接室に呼ばれた。
職員室に生徒が呼び出されるのはわからなくもないが応接室は珍しい。
一瞬脳裏を過るのは二度と拝みたくない嫌な顔。違っていてほしいと願う。
願い空しく、応接室で私を待っていたのは脳裏を過ったその顔の男だった。
その顔を一目見るだけで私の根拠のない直感がすべて的中していたと痛感する。
「ガハハハ、半月ぶりだな。蟻沢のババアは元気にしているか?」
その名前に私は奥歯を噛んだ。白々しくわざとらしい台詞だ。
【ありさんのいえ】の変化のことはやはり禍神が関わっているらしい。
彼の言葉には答えない。静かに対面の席に腰掛ける。
この部屋には今2人しかいない。私は今表情を隠す必要もない。
「……何が目的?」
「おーおー、警戒されておるわ。良い話を持ってきたというのに。」
禍神はふんぞり返っていやらしい笑みでニタニタと笑っている。
「お前の姉の所属するバレーのチーム、活動停止らしいな。可哀そうに。」
その笑みから浮かべられる台詞に私の奥歯はギリリと音を鳴らした。
「俺は政治家だ。お前みたいなガキなら意味はわかるな?つまり、市井に生きる人々を助け生きやすい世の中を作ることがこの俺の務め。」
説得力の欠けた薄っぺらな台詞。文字を並べただけの中身のない理念だ。
「お前の姉の件も施設の件も俺は胸を痛めているよ。残念なことだ。そして都合の良いことに俺は今すぐにでも救ってやることができる。しかし、だ。それが礼儀に欠ける相手となっては話が別だ。礼儀は重要なものだ。それを弁えん相手なんぞに差し伸べる手はない。わかるか?」
よくもいけしゃあしゃあとそんな言葉が吐けるものだ。
絶対に頷いてなんかやらない。
禍神は立ち上がって私の座る座席の近くまで来た。私はその顔を見上げ睨む。
「その目だクソガキィ!!」
禍神は突然に右手で私の顔を掴んだ。一瞬何が起きたかわからなかった。
口元を抑えられた都合、声を出すこともできなかった。
禍神の表情は先程までとは一転していた。
真っ赤になって怒っている。
「クソガキの分際で俺をナメやがって!!許さない!?手を出させない!?言うに事欠いて後悔させてやる、だと!?貴様は一体いつから俺に意見できるような立場になったァ!!」




