【3話】お隣さん
◇弥彦◇
人生で何千回と歩いた道を行くのに地図アプリが要る人間などいるだろうか?
余程の方向音痴だって、いくら何でも道順を頭に叩き込んでしまうだろう。
ましてやそれが生まれ育った自宅への帰路なら猶更である。
「いやあ、やっぱり地元の人間は助かるなあ。ありがとうございます。」
彼女は先程から比べても見違えるほど落ち着きを取り戻していた。
というか現状は能天気すぎるような気もするが。
「一度は入った家なんだろ?もし違ったら言ってくれよ?」
「いやあ、私は地図がないとサッパリだから……。あはは……。」
正直なところ、彼女の言葉には不安を覚える。地図アプリに入力した住所が正しいと信じるしかない。
「あ!あの家あの家!良かったぁ~。」
その家が見えてきたところで俺が声をかけるより早く彼女がテンション高めに指を差す。
その家はアプリが示していた目的地とピタリと一致していた。
同時に、俺の想像とも一寸も違うことなく符合していた。
彼女が越してきたことは全く知る由もなかったが、その指差す先の家のことはよく知っている。
「シェアハウスの時代が来る!」と息巻いた現【豪徳寺ホールディングス】社長にして俺の叔父、豪徳寺風馬により推し進められた全国シェアハウス大量建造計画で建てられた記念すべき第1号である。
その第1号は祖母から聞いた話では計画が二転三転した末、だだっ広い上に土地代のかからない豪徳寺本家の所有する土地に建てられることになったらしい。
それが俺の家の隣だったという訳である。
尚、シェアハウスの時代は未だに来ていない。
俺の知る限りでは少なくとも第1号では彼女が初めてのハズだ。
「あ!?愛依、遅いじゃない!どこで何やってたのよ!」
敷地が目前に迫ると彼女、愛依を見つけたらしい同じくらいの背格好の女子が出てきた。
その声を聴く限りでは如何にもご立腹らしい。
「うおっ」
愛依の知り合いらしきご立腹の女子の顔を見た時、不意にそんな声が漏れた。
同じなのは背格好だけではなかった。顔がまるっきり一緒だったのである。
それこそ、双子でなければドッペルゲンガーの類で間違いないだろう。
そして俺の失礼な声をご立腹の彼女は聞き洩らさなかった。
「……えーと、あなたはどちら様?」
目は口程に物を言う。その彼女の目は警戒心に満ちていた。
双子の姉妹(仮定)が見知らぬ男と2人で帰ってきたという事実のが怪しくない訳はない。
ましてや愛依は引っ越してきたばかりだと自分で言っていた。その状況が今の状況への疑惑に拍車をかける。
明らかに怪しいどこぞの馬の骨に誑かされているのではないかという疑惑だ。
彼女が事故に遭う寸前だったのを助けました、更にご自宅まで案内しました、などと馬鹿正直に話したところで、そのシチュエーションがそもそも嘘くさい。
疑惑の目を向けられている現状、信じてもらえるとは思わない。
別に感謝されたい訳でもなく、故に彼女に包み隠さず真実を伝える必要もない。
「彼女がスマホを壊しちゃって地図が見れなくて帰れないってんで、俺のスマホを貸してただけだ。じゃあ、俺はこの辺で。」
「え?あ……。」
何か言いたげな愛依には悪いが、よそよそしさ100%でお暇させていただく。
別に嘘を言っている訳ではないしな。
◇◇◇
「お帰り。随分遅かったじゃない。お昼食べたら大家さんに挨拶に行くんだから、ちゃちゃっと支度済ませちゃって。」
愛依を出迎えたのは夢原家が三女、咲花である。
エプロン姿の彼女は現在進行形で昼食の用意をしているようだ。
リビングの食卓の上にはいくつかのおかずが並んでいた。どれも作りたてらしい。
「待って、その前に……。ねえ愛依、あんたと一緒にいたあの男は誰なの?」
次女、果音はどうしてもそれを確認しておきたかった。愛依が連れてきた男のことを。
だが、ここで「男」と言ってしまったのは失敗だったと数瞬で猛烈に後悔することになる。
「男!?男ができたの!?流石に早くない!?あー、だから遅かったんだ。うわーそんなことなら私が行けばよかったじゃなぁい!」
誰より早く食らいついてきたのは四女、珠希である。
「男」というワードを耳にした彼女のテンションの上がる勢いは鰻なんて生ぬるいものではなく、最早それは滝を登る鯉の如しである。
「珠希ちょっと黙ってて……」
果音は口ではそう言うものの、焼け石に水ほどの効果さえもないことをよく知っている。
「引っ越し当日に出先で男作ってくるとは淫乱すぎて引くわー。何?そのオッパイで落としたんか?ああん?」
別方向で扱いの面倒な七女、真子の追い打ちに果音は頭を抱えるしかない。
「お、なんか面白い話してんのか!?アタシも混ぜろー!」
珠希、真子に続いて階段を降りてきたのは六女の春佳である。
「してないから!落ち着いて!」
見かねた咲花が春佳を制止するが、一度こうなっては誰にも止められない。
「随分ドタバタしてるね。」
最後に階段を降りてきた五女、凪乃は騒ぐ姉妹を横目にその一言。
「そう思うんだったら止めてほしいんだけど……。」
しかし凪乃は愛依のその言葉に首を横に振る。
「ううん。こういうの見てるの、楽しいから。」
この七姉妹こそ、豪徳寺家の隣に引っ越してきた住人である。
そしてこの姉妹、全員が背も顔立ちも全くと言って良いほど同じであった。
何を隠そう、彼女らは七つ子である。