【39話】弥彦、目覚める
◇弥彦◇
「痛っ!ったたたた……。」
全身に走る激痛で目が覚め。堪えながらゆっくり目を開ける。
そうして視界の中に飛び込んでくるのは一面の天井だった。
「うおっ!?」
上体を起こそうとすると更なる激痛が身体を回る。
同時に自分の左腕がギプスに包まれ固定されていることも理解した。
目に入って来る1つ1つの情報が困惑の思考回路を段々とクリアにする。
「果音!」
思い出した時には口をついてその名を呼んでいた。だが答える人はいない。
額を冷や汗が伝っていくのを感じる。段々と鼓動が大きくなるのがわかる。
「何だい。もう目が覚めたのかい。」
まるで文句を言うように扉を開いて現れたのはお婆ちゃんだった。
俺はいても経ってもいられず痛みも気にせずに体をそちらに向ける。
「婆ちゃん、果音が!!」
しかし縋るような俺を見ても婆ちゃんは眉一つさえ動かしはしなかった。
「落ち着いて聞きな、弥彦。果音ちゃんは無事だよ。あんたが守ったんだ。」
「俺が……守った?」
記憶が曖昧だが逃がした後で追っていった奴がいることも覚えてる。
「ああ、さっき本人に会って話もした。弥彦、よくやったね。」
「そ、そうか……。」
風船から空気が抜けていくように体から力が抜けていくのを感じた。
「犯人はまだ捕まってないみたいだよ。すぐ捕まると良いけどね。」
婆ちゃんの言葉に俺は右拳を握る。まだ安心できないということだ。
「さて、じゃあお医者さんに言ってこなきゃね。あんたは大人しく寝ときな。」
婆ちゃんはそう言って部屋を出て行く。俺は寝転がり直した。
さっきは左腕しか気づかなかったが、怪我の治療は全身に施されていた。
湿布が顔中にベタベタと貼られていて表情筋が動かしにくい。
尤も、そもそも痛くてロクに動かせやしないのだが。
冷静に観察する程、俺の身体はズタボロだった。
「……情けねえなあ。」
ふと出た言葉は自らの行動を思い出し振り返った感想だった。
果音は逃がせた。でもそれはどこからどう見ても結果論でしかなかった。
確かに俺はあの状況下で自分にできることをやった。
ただしそれを最善と言えるのはあの時の自分にできることに限定した場合だ。
俺がもっと事前から周囲に警戒していればそもそもトラブルは起きなかった。
或いは、より直接的に守る手段を持っていれば追わせなかったかもしれない。
実際トラブルは起きたし、その上で俺はあいつらを完全には止められなかった。
エスコートを担った男が何たる無様か。これが本当に果音を守ったと言えるのか。
実際には守れた。そんなことはわかっている。しかしそこに誇らしさは一切ない。
寧ろ果音に恐怖を与えてしまったことの不甲斐なさへの落胆だけだ。
数分後、婆ちゃんは看護師を連れて戻って来た。もう医者は帰ったのだろう。
時計は夜の10時を回っている。俺は随分と寝てしまっていたらしい。
看護師からいろんな話をされている間。婆ちゃんが帰った後。
そしてベッドで目を瞑っている間も、俺の胸中が晴れることはなかった。
◆◆◆
「失礼します。豪徳寺弥彦さんですね。」
朝食を摂っている最中に病室に入って来たのはスーツ姿の男たちだった。
誰もかれも強面でガタイもある。彼らが並ぶとその威圧感は凄まじい。
先頭の大男は角刈りに髭を蓄えているビジュアルも一役買っている。
無論、彼らは俺の知り合いではない。
「……すみませんが、どちら様ですか?」
「ああ、失礼、私は警視庁捜査第四課の鵜北と申します。」
先頭にいた男が名乗りながら見せてきたのは警察手帳だ。
警察ということは必然的に用件は昨日の事か。
「今日は昨日あなたが襲われた事件についてお話を伺いたく。」
鵜北さんは見た目こそ厳ついが物腰はとても丁寧な人だった。
第一印象で人を判断するものではないな。内心で反省する。
「と言っても、俺は襲われただけですし正直お役に立つかどうか……。」
別に話したくないなどという訳ではない。捜査には積極的に協力したい。
だが俺と果音は道端で一方的に暴漢に襲われただけなのである。
当然だが面識があるような相手でもない。
「大したことではないです。簡単な質問に答えていただければ。」
そう言って鵜北さんは手持ちのメモ帳で何かを確認しながら質問を始めた。
どこで襲われたか。相手の服装の特徴。襲われた時の状況や相手の武器等。
大体そんな感じの質問が続き、答えに困るようなものはなかった。
単調な質問だけだったが、終わった頃には1時間も経過していた。
「質問はこれで終了です。ご協力、ありがとうございました。」
気になることを聞くならここだ。実は聞きたいことが1つ浮かんでいたのだ。
「あの、最後に俺からも1つだけ良いですか?」
「……?ええ、答えられる質問なら。」
「この件の犯人、すぐ捕まりそう…ですか?」
彼らは掴まえるために俺に情報を求めたのだ。俺のために働いてくれている。
なのにすぐ捕まるかどうかを聞くのは失礼なんじゃないかと思う。
しかし俺の質問を聞いて鵜北さんはニッコリと朗らかに笑った。
「すぐに掴まえてみせますとも。そのための我々ですから。」
◇咲花◇
昼食の下拵え中に朧井さんから電話がかかって来た。
昨日の件には違いないだろうが一体何の用だろう。
私たちは既に知っている限りの情報を渡してある。
「どうも、こんにちは。……はい。……はい。……自首!?」
「それって間違いないんですか?」
余りに唐突な、そして信じられない内容に思わず聞いてしまう。
「はい。本当です。私も今まだにわかには信じられていないんですけど…。証拠品の血が付いた鉄パイプも態々持参してきましたし。丁度今3人共連行されていった所です。」
果音や豪徳寺君を襲った暴漢が出頭してきたという。
目の当たりにした朧井さん当人さえ信じられていないのだからその話を電話越しで聞いている私はもっと信じられない。
反省して罪悪感を覚えるくらいなら最初からやらないだろう。不自然すぎる。
何か裏はありそうだが、それがどういうものなのかは知る由もない。
少なくとも犯人は捕まったのだ。
警戒を怠れる訳ではない。ただ、それはそれとして。
この事件はスッキリしない幕切れを唐突に迎えたのだった。
午後一、豪徳寺君の病室にお見舞いに行く。
果たしてこれをどうやって説明するべきだろう。




