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豪徳寺弥彦と15人のフィアンセ  作者: 水野葬席
【第一章・Ⅰ】
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【36話】蛮勇の果てのケダモノと

◇◇◇


商店街に現れたのは酷く腫れ上がり血で真っ赤に染まった顔の男である。

彼は普段ならこの町ではそれなりに知った顔のある人間だ。

何せ生まれてこの方15年ずっとこの町で育ったのだから。


しかし今、その彼に声をかける人間は誰もいなかった。

無論、判別がつかない程にグチャグチャの顔をしていることもある。

加えてもう1つの理由が金閣(きんかく)町に付き纏う面倒事、影の部分だ。


金閣町の治安は決して良くない。それには理由がある。

その最たるものこそ関東圏最大の反社会組織【狗虎會(いぬとらかい)】の事務所の存在。

本丸でこそないが、国内に複数抱える拠点の中では比較的大規模のものである。

そしてそれは地元のどこにでもいる不良学生たちの居場所にもなっていた。


つまり、この町の不良の絡む面倒事はそのまま【狗虎會】の面倒事ということだ。

そういった事情があるからこそ金閣町では他の町以上に誰も不良に口を出さない。

そして衆目から今のその男、豪徳寺(ごうとくじ)弥彦(やひこ)はそう見えていた。

事実を語る者はここにはない。


周囲から今の彼を見る目は様々だ。憐れむ目も蔑む目もある。

しかしその全ては今の彼にとって蚊トンボ程の影響力さえない。


「カノン……!カノン……!カノン……!カノン……!カノン……!」


周囲に聞こえない程小さな声で、譫言で繰り返されるその名前。

それはこの男が守りたかったものであり、見事に守り切ったものである。

尤も、この男自身は自らが守り切れたことを知る由もない。

彼はその安否を確認したかったに違いない。

故にここに来たのだろう。


見ての通り、既にこの男にまともな意識はない。

虚ろな目。ふらつく足。絶え絶えの呼吸。滴る血。

体中の痛みなど既に限界を通り越しているのである。

それでもこの男は歩く。歩き続ける。もう感覚もないその足で。


「カノン……!カノン……!カノン……!」


亡者と化した今の弥彦を動かすものは根性などという高尚なものではない。

それは執念だ。狂気と紙一重の凄まじい執念が今の弥彦を突き動かしている。

名を呼ばれ続ける彼女、果音(かのん)は既にこの商店街にはいない。

妹、珠希(たまき)の協力もあり無事に家に逃げおおせている。


それを知らないままに追い求め続ける。名を呼びながら進み続ける。

その様相は最早とても人と呼べるようなものではない。ケダモノだ。


「豪徳寺君!?」


不意に呼ばれた名前にケダモノはそちらを向いた。

遠巻きに憐れむ観衆共はモーゼの十戒の海が如く割れた。


(らん)


私の目は間違っていなかった。間違っていたらどんなに良かったことか。

パッと見ではわからないほど腫れ上がった顔。汚れて破れた服。

そのどちらにも確かに見覚えがあった。


「ちょっと!豪徳寺君!」

慌てて駆け寄って肩を掴む。

でも私を見るその表情はもう虚ろだ。

その口は何かに憑かれたように名前を呟き続けている。

「カノン……!カノン……!カノン……!」


果音!?果音に何かあったの!?

どうしよう。頭の中がグチャグチャになって何をすれば良いかわからない。

緊急事態。そんなことは考えなくてもわかっていることなのに。


「果音ちゃんに何かあったの!?ねえ!!ねえってば!!」

「どういうこと!?どういう状況よ!?一体何があったの!?」

凪乃(なぎの)真子(まこ)も戸惑い始める。どうしよう、皆パニックだ。


「全員ちょっと落ち着くであります!!」


誰よりも大きな声で叫んだのは御霊石(みたまいし)さんだった。

私も、それに凪乃も真子もそちらを見る。


「落ち着くであります。緊急事態は明白。されど落ち着いて事に当たらねば余計なトラブルを招いてしまうのでありますよ!」

「この状況で落ち着けっていうの?あんた、他人だからって!」

苛立ちのあまり言葉は強くなってしまう。


この状況で落ち着けているのは凄いことだ。

でもなんだかそれが一瞬、彼女が現状を軽んじているように見えてしまった。


「ええい、黙らっしゃい!吾輩は救急車の手配をしたのであります。到着まで数分はかかるでありましょう。それまで蘭嬢は呼吸と脈拍の確認をお願いするのであります。凪乃嬢はその間に家にいる咲花嬢へ連絡を。それから真子嬢は果音嬢に電話するのであります。以上!」


御霊石さんのその言葉で私は目が覚めた。

彼女は寧ろ現状で一番大事なことが何かを把握していた。

彼女がパンと手を叩くと同時にそれぞれ指示された行動に移っていく。

まるで御霊石さんは優れたリーダーのようなカリスマ性を放っていた。


豪徳寺君は少なくとも呼吸も脈拍もあった。

そもそも歩けて譫言とはいえ名前を呟けているのだから、それはそうか。

彼はそうしている間にもずっと呻くように果音の名を呼び続けていた。


「呼吸も脈もあるみたい。意識は……あるって言って良いのかな……?」

意識で言えば少なくとも明らかなことは正常でないということ。

現に彼はこうやって私に支えられている今でさえ私に気がついてない。


「豪徳寺殿ー!聞こえるでありますかー!」

御霊石さんは彼の目の前で手を振って見せるも反応はない。

音に関しては先程のように名前を呼ばれれば反応がある。

反応があるといっても、そちらを向くくらいだけれど。


そうこうしている間に遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

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