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豪徳寺弥彦と15人のフィアンセ  作者: 水野葬席
【第一章・Ⅰ】
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【24話】私を助けて

弥彦(やひこ)


「わかった。お前の欲しいだけ金は払ってやる。」

俺の発言に(らん)は目を丸くする。

今まで拒んでいた男が急に掌を返したのだから驚くのも無理はないだろう。

俺を見る蘭の表情は如何にも怪訝そうだ。


俺は机の引き出しの中から封筒を取り出す。中には10万円が入っている。

何かあった時のための秘策として用意しているものだ。

この10万円は今こそ使い時だ。俺はそう判断した。

しかし蘭に封筒を手渡すも、怪訝な表情は更に渋くなる。


「なんのつもり?」


「一晩1万円って言うならそれを受け取らない道理はないよな?」

1万円が欲しいというのに10万円が欲しくないわけはないだろう。

金は多いに越したことはない。それは誰にでも当てはまる世の真理だ。


「これで厄介払いしたいってこと?」

疑心暗鬼になる蘭。勿論俺にそんな意図はない。

「そんなこと言ってないだろ。足りなくなったらまた渡してやるよ。だが、その前にだ。俺の質問に答えてくれよ。それが渡す金の対価だ。」


蘭の表情を見るに俺の言葉を信用してはいないらしい。

流石にちょっと強引だったかも知れないな。

でも今はその強引さが必要だとも思ってる。


「そんな調子のいいこと言ってさ、どうせ納得いかなかったら渡さないんでしょ。そんなのあんたのさじ加減1つじゃん。」

蘭の言うことも最もだ。その認識は何も間違ってない。

だが俺は反論する。


「それもそうだな。でももし俺に最初から渡す気がなかったらそもそもその10万円だって渡さないとは思わないか?なあ、蘭。俺はお前を信用したいんだ。どうだ、乗ってくれるか?」


俺の言葉に蘭は黙り込む。そこに長い沈黙が流れた。

この部屋の中に音が存在しなくなった。

だが緊張感は未だピンと張り詰めている。


その中で蘭は、きっと俺に想像できないような勇気で口を開いた。

「……わかった。何でも聞きなよ。」


「ありがとう。じゃあ早速最初の質問だが……」

蘭について気になることは多くある。

だが俺が一番最初に聞くべき質問はやはりこれしかないだろう。


「稼いだ金を何に使うつもりだ?」


「生活費。食費。」

食い気味に即答。そしてその返答は予想外でもあった。

だがその答えは即座に俺の脳内でとある点と線で結ばれた。

正に昨日、俺が出会った時の蘭はかなりの空腹状態だった。


蘭の身体の線は細い。不健康に見える瘦せ方をしている。

スマートとかスレンダーなどという言葉で形容される美のそれとは違う。

それは俺の中に1つの疑問を生み出す。悪い予感だ。

だが正直なところ、それは当たっていそうな気がする。


「お前、食うのに困ってるのか?」

「困ってる、というか切り詰めてる感じかな。」

あたかも当然というように蘭は淡々と答える。


この時点で確信した。

蘭が抱えている闇は俺の想像なんかよりずっと暗くて重たい。

それこそ生半可な覚悟で手を差し伸べてはいけない。

だが俺は手を差し伸べた。故に進まねばならない。


「学校には行っていないのか?アルバイトは?」


我ながら答えの透けた愚かな質問だと思った。どちらもノーだろう。

だがもし聞けるのならば、それがノーである理由は知りたい。


「学校なんて小学校も行ったことがない。アルバイトもできない。」


当たり前のように答える決して当たり前でない状況。

蘭の真実は俺の予感を悪い方向に超えていく。

だが俺は怯まない。怯んではいけない。


「その、なんだ。理由を聞いて良いか?」


「あんたが質問したいって言ったんだから、怖じ気付くんじゃないよ。」

そう言って蘭は返答を考え始めた。或いは、それは返答ではないかも知れない。

自分の秘密を俺に曝け出す覚悟かも知れない。

蘭が答える直前、彼女の呼吸がやけにハッキリ聞こえた。


「私さ、戸籍ないんだよね。拾われっ子だから。」


「戸籍が、ない……!?」

戸籍がなければ書類上は人として存在していないのだ。

身分証が作れない。それを必要とする全てができない。

現代社会を生きることにおいて、一体それがどれだけのハンデだろう。


「お前、今までどうやって生きてきたんだ……。拾われっ子って言うんだから、お前を拾って育ててくれた人がいるんだろう?」

考えるより先に質問は言葉に変わって口から放たれていた。


「そりゃ勿論()()よ。」


過去形。つまり今はいないということか。

拾った子を育てるんだから、きっと慈悲深い人だったんだろう。

そんな人が薄情にも見捨てて追い出すとは考えにくい。

俺が思うに、その人は既に……。


戸籍のない拾われっ子で天涯孤独の身。これが蘭の現状だ。

それはきっと社会から生存権そのものを阻まれているような立場だろう。

誰にも当たり前にある日常そのものが彼女にとってはその一日一日が試練なのだ。


兎にも角にも俺が聞きたい情報はすべて聞けた。もう十分だ。

こんな話を聞いて黙っていられるのならば、それは血も涙もない鬼や悪魔だろう。


「いい人だったよ、本当に。もう感謝もできないけど。いい人だったんだ……。」


蘭が呟いた。その頬を一筋の涙が濡らしていた。

「おい、蘭……。」


「何の縁もないあたしを拾って育ててくれてさ。教科書だって知り合いを当たってかき集めてくれてさ。勉強もそうだけど色んなことを教えてくれた人だった。血の繋がった孫みたいに私の面倒を見てくれた人だったんだよ……。」

蘭の目から見る見るうちに涙があふれだす。蘭は泣きながら言葉を紡ぐ。


「全然お客さんは来なかったけどさ、あの骨董店は好きだったんだ……。それももうなくなっちゃった……。私には何も残ってない……。」


遂に蘭は堰を切ったように大声を上げて泣き始める。

その目からはとめどなく大粒の涙が流れ出している。


話しながら色んなことを思い出したのだろう。

それこそ、きっと思い出したくないことまで。

話しながら再確認してしまったのだろう。

余りにも過酷で絶望的な自身の立場を。


俺は蘭を肩に抱き寄せる。そして声をかけてやる。

「辛かったな。苦しかったな。大変だったよな。」


「私を、助けて……!」

蘭が心の底から捻り出した、たった1つの本音。

涙ながらに聞こえてくる言葉。まるで鼓膜に焼き付きそうだ。


「俺に任せろ。」

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