【22話】弥彦と春佳の透ける禁忌
◇弥彦◇
俺と春佳で独占したイルカショーは演者も客も双方大満足というこれ以上ない形で終わった。
「さて、じゃあ土産でも買って帰ろうぜ。遅くなると夕飯に間に合わないぞ。」
俺はそう言って彼女を見やる。
「おう!アタシもう腹ペコで死にそうだ!」
眩しい笑顔とはこういう表情のことを言うんだろう。
裏表のない無邪気100%の春佳の満面の笑みはこちらまで微笑ましくなる。
が、途端に俺は内心パニックになり気が気でなくなってしまっていた。
視界に1つ、おおよそ見過ごすことのできない問題を発見したからである。
ついさっきまで春佳は真正面からイルカがかける水を浴び続けていた。
今の彼女は大雨の中を歩いてきたかのように頭からつま先までびしょ濡れだ。
春佳の淡いTシャツが濡れたことでその下にあるものがくっきりと浮かび上がる。
下にあるもの、故に下着。それ即ち男たる俺が触れざる禁忌、ブラジャーである。
彼女は今、傍から見たらブラジャーが透けて見える状態なのだ。
まさか直接指摘するなどという選択肢はありえないだろう。
俺と春佳の関係は親しい隣人でクラスメイトというものに過ぎないのだから。
それに親しいからと言ってこれを直接指摘するのもどうかと思う。
小学生男児のような言動が目立つが春佳は女子高生である。
逡巡に逡巡を重ねる。脳細胞がモーターめいて回転する。
このまま春佳を行かせる訳にはいかないのだ。頼むから何か思いついてくれ。
神にも縋る思いに俺の脳細胞は呼応するが如く、1つのアイデアを導き出す。
なんということでしょう。俺は今パーカーを着ているではありませんか。
これだ。これしかない。寧ろ最高の選択肢だ。
猿のTシャツが見える?そんなものこんなトラブルの前では問題にもならない。
「そのままじゃ風邪ひくぞ。取り敢えずこれでも着とけよ。」
そう言って俺は自分の羽織っていたパーカーを渡す。
大変よくできました。我ながら満点の行動だと思う。
「おお!悪い、さんきゅーな!」
頼むからもう少し自分の状態に気を遣ってほしいと思わずにはいられなかった。
◆◆◆
次に俺と春佳は土産屋にやって来た。
デフォルメされた海洋生物のグッズが所狭しと並ぶ。
折角だから七姉妹にも何か買っていってやるか。
まず目を引くのは大きさも種類も様々なぬいぐるみだ。
特に浪造ぬいぐるみのバリエーションは半端ではない。
一番大きいものは買ったとてどうやって持ち帰るか扱いが困るレベルだ。
春佳は値段を見てから自身の財布を見て肩を落としていた。買いたかったのか……。
「おい春佳、浪造クッキーなんてのもあるみたいだぞ。」
なんてことはない。浪造のイラストがプリントされたチョコクッキーだ。
他にもペナントやらキーホルダーやらTシャツやら写真集やら。
ゾウアザラシの写真集なんて一体どこの誰が買うんだろう。
「クッキーかー。珠希に独り占めされるんだよなー。」
珠希は俺の家でも煎餅を独り占めしていたな。そんなに菓子に目がないのか。
「このキーホルダーなんか土産には丁度良いんじゃないか?動物のバリエーションも7種類だし、ピッタリじゃないか。」
俺は自分の目の前にあったキーホルダーを春佳に見せる。
浪造、ペンギン、カピバラ、カワウソ、イルカ。
それとクルマダイとコティロリーザ・ツベルクラータ。
最後の2種類は浮いている気がしないでもないが。
「おお!可愛くて良いじゃんか!よし!これ!これにする!」
春佳はキーホルダーを見るなり即決した。気に入ったらしい。
と思いきや、どういう訳かその表情は見る見るうちに曇りだす。
「ああ、でも金が……。」
「そんなに金がないのか?」
キーホルダーの値段がそんなに高いようには思えない。
7種類買っても大した値段になるようなものではないと思うのだが。
「いやさ、Tシャツを買いたいんだけどな。濡れたまんまなの気持ち悪いから。」
成程、全く無理からぬことだ。
中が濡れていては俺の貸したパーカーなど大して気休めにもなっていないのだ。
いや、ある意味では非常に重要な役割を果たしていることは間違いないのだが。
「わかった。じゃあTシャツは俺が出すよ。買い物が終わったらそこにあるトイレで着替えてきたら良い。」
俺がそう言うと春佳の表情は見る見るうちに明るくなり笑顔を取り戻す。
テンションの上下の仕方が小学生男児のそれだが、微笑ましい限りだ。
「マジか!!ありがとう!!豪徳寺!!」
土産屋での買い物を終え、春佳も着替えを澄ませる。
春佳の買ったTシャツは浪造の写真がこれでもかと大きくプリントされていた。
背中には【江の島シーワールド】のロゴ。まるで回し者である。
まあ、俺が今着ている猿まみれのTシャツよりは格段にマシだが。
◆◆◆
行きの電車は痴漢トラブルもあり、時間も体力もかなり使った。
責めて帰路では何事もないようにと祈ったが、その思いはあっさり通じた。
それなりに長く電車に揺られているハズだがあっという間のように感じる。
「春佳、次で降りるぞ。」
隣で俺の肩に頭を預けて寝ている春佳を起こす。
「むにゃ……もう金閣町か……?早いなー……。」
俺の役割が終わった訳じゃない。家に送り届けるまでが保護者だ。
だがそれがもうすぐで終わりを迎える事実が妙に寂しく思えるのは何故だろう。
この話で春佳・水族館編は終了です。
次話以降もしばらく2話同時更新します。




